2011年9月27日火曜日

朽木ゆり子×山下裕二 きいてきました


『ハウス・オブ・ヤマナカ
ー東洋の至宝を欧米に売った美術商』




メトロポリタン美術館やボストン美術館は
なぜ、国宝級の日本美術品のコレクションをもっているのか ?

今ではその名前を知る人も、
美術業界の人たちだけとなってしまったが
明治から戦前にかけて、欧米へ進出し、
日本や中国の美術品の流通の一端を担った
「山中商会」という世界的美術商が存在した、、、


すこし聞くだけでも、興味をそそられる話ですが、
今までまとまった研究のされていなかった
「山中商会」について、著者が長年にわたって探し出した資料を元に
その活躍から消滅までを描いた本だそうです。


ということで、本自体はまだ読んでないですが、
本の刊行を記念して開催された
著者の朽木ゆり子さんと、美術史研究者の山下裕二さんの
トークイベントがあり、昨日行ってきました。

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第92回紀伊國屋サザンセミナー
『ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮社)刊行記念
消えた世界的古美術商「山中商会」
出演:朽木ゆり子 山下裕二
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これまで山下先生の本は、いくつか読んできて
一度生で話を聞いてみたかったというのと、
「山中商会」についての興味で行ってみる事に。

本はたくさん読んでいても、できれば温度感をもって
人が語る話をそのまま聞いてみたい。
ときどき出掛ける、講演会などは
理解を進めるのに大きな手助けとなっています。


著者が、大変な労力を使われて書き上げた内容も
後になって概要を聞いてみると、
これほど大きな美術商で、日本の美術史を考えるなかでも
重要な存在について、今まで研究が無かったことが
意外なような気にもなる。

でもそれは、できあがった本という形のものを
あたりまえに読んでいる私がすっかり忘れている事で、
改めて、先行研究もなにもないところから調べ上げるって、
研究者のような人にはあたりまえの行為かもしれないけど
それってすごいなあと感じた。

現在はロンドンのほうで、本格的な研究もされ
論文を書いている人がいるということで、
こうやって研究は広がっていくんだと思うと
物事って知らないところでどんどん進んでるんだなあと
勝手に感慨の気持ちになったり。


あの有名なプライスコレクションの始まりも、
メトロポリタン美術館にある八ツ橋図も、
あれも? え、これも? みたいな感じの美術品が
すべて、当時の山中商会が関わっていんだそうです。

本と同じように、出来上がった美術館のコレクションしか
知らないわたしは、今当たり前に美術品として収まっている物が
大名家や、コレクター、有名富豪、美術商など、数々の場所を経て
移動してきたことを想うと、それが海外に行ってしまったことは
少しさみしい気もしつつ、それぞれの経緯に時代のロマンを感じてしまう。

スライドをみながら、ときどきはさむ
山下先生の多少きつめな冗談にも、なんとなく共感してしまいながら
あっというまの1時間半でした。


会場には、あれ? 雑誌とかで見たことあるような、、 
みたいな美術業界の人や
千宗屋さんとか杉本博司さんとかが見えていました。


11月には、山種美術館で山下先生の講演があるとのことで
早速申し込んでみました。
たのしみだなあ 。



芸術の秋。

信州・安曇野へ


週末に 安曇野へ行ってきました。


あ づ み の

という地名がどことなく好きで
いってみたかった場所。

今回はゴルフのついでに立ち寄ったので
ぜんぜん ゆっくりできなかったけど
秋に入りたての 自然を
めいいっぱい吸い込んできました

写真を見返していると
清々しい空気と風が すーっと吹いてきて
気持ちいい 水の流れる音が聞こえてくる











 



ひだまりは ぽかぽか
野の花は なんで 
控えめにかわいらしく咲くんだろう ?


すすきは そよそよ
トンボは なんで
一列に並んで とまっているんだろう ?



これからやってくる 厳しい冬を
同じ場所でまた 待ち受けながら 

みちばたの 木も


おおきな 石も


気持ち良さそうに そこにいる 。


そんなふうに 
自然の織りなすいろんな情景を 大昔から
この地の人は、日本人は、見てきたんだな〜と思うと、
月を見て 桜を見て 感じる心が変わらずあるのは
この自然が 繋いでいるんだとしみじみ感じる。


都会の街中に住んでいても
たまの休みは 自然へ出掛けたくなる
美しい海を見て 山を見て 星空を見て
ただ 言葉を失って感嘆する

そういうふうに 心が素直に感じるものが
単純に 人にとって 大事なものだと思うし
それを「自然美」というなら、
人のつくった「美」という考え方のなかでは
やっぱり 自然美が美の頂点で 原点であるものだと思う。



日没前の 遠くの青い山。
山にはやっぱり山の神様がいそうだなあとか
信仰心みたいなのがでてくる。
不思議な感覚。


安曇野には、小さい美術館が
たくさんあるみたいで
いつになるかわからないけど
次回は安曇野アートラインをまわってみたい。


2011年9月21日水曜日

感想 「ヨコハマトリエンナーレ2011」いってきました


横浜で開催中の
ヨコハマトリエンナーレ2011に行ってきました。


感想は  ・・・  ・・・  ・・・・

基本的には ART iTの批評に同意という感じでした。

運営主体の変更、予算の縮小、震災の影響、、、
4回目の今回に至るまでは、様々ハードルがあったようで
もしかすると、開催するだけで
めいいっぱいだったのかもしれないです。

こまかい点でも
作家の背景や作品の文脈がわかりづらかったり、
公式サイトを見ても、アーティスト紹介は
内容が皆無に近かったりと、やや不親切感もあり、
なんとも歯切れの悪い印象がありました。


横浜美術館から、日本郵船海岸通倉庫へ、、
作品を見て回るなかでも、どことなく妙な違和感が。
それはたぶん作品それぞれのパワーとか個別の問題ではなくって、
今の世の中の状況と今回のテーマ、展示全体のキュレーション
に対する不可解さによるものだと思います。

世の中の社会活動のどこを見ても、
日本では今、震災以前にスルーしてきた価値観が
使用不可能なものになったり、表現を改められたりしている中、
いくら内容の急転向ができないとはいえ
もう少し向かい合った答えが見てみたかった。
いや 実際はきっと非常に悩まれたんだとおもう。

今回は予算上コンパクトな開催となったとはいえ
日本では最大級の現代アートのイベントである以上、
やっぱり、結果は別のものであってほしかったな
というのが希望でした。


作品だけの感想については、
やっぱりクリスチャン・マークレーの「The clock」を
見れたことが よかった。

できれば美術館以外の場所で、また見てみたい。
センスがいい、おしゃれ
というと語弊があるけど、そういう単純な言葉でも語れるくらい
多くの人に興味をもたれ、見られる作品だとおもう。
堅苦しく、「時間」について考えながら見なくてもいいし、
時には考えてみてもいいし。
いろんなシーンが切り貼りされてても、心地よくみれるように
なんか工夫されてたし。

どこかでまた見られるかな。

24時間上映については、
このまえポンピドゥーセンターでもやっていたみたいで
10月にはボストン美術館でも同様に上映するようです。


ART iT クリスチャンマークレー インタビュー

○ヴェネツィアビエンナーレ2011 インタビュー

2011年9月18日日曜日

感想 「柳宗悦展」いってきました


松屋銀座で開催中の
柳 宗悦展ー暮らしへの眼差しー」へ行ってきました。



同じ8階のフロアでは、
銀座・手仕事直売所」が開催中。
どちらも9/26(月)まで。

毎年、松屋銀座では
「銀座・手仕事直売所」と題して、
全国各地の手づくりによる暮らしの品々を
作り手が直接説明して販売するという企画を
行っているみたいで、その連動イベントとして今回は
柳宗悦と息子の宗理に焦点をあてた
この展示を開催しているようです。

直売所の賑わいもあるので、展示の入り口付近は
どうしてもざわざわした感じがあって
じっくり ゆっくり見よう、という気分でいくと
なかなか入り込めないかも。

あくまでも、手仕事への美の視点のルーツとして
柳さんの生涯を広く紹介するという目的の方が強いので、
さらりっと見れます。

民藝館で展示されている時は、
無心でモノを見てほしいという信条によって
解説などは基本ついてないですが、
今回は少し情報がついていたので
柳宗悦と、コレクションについての情報を
補強する意味で見る事ができました。

出品リストが作られてなかったことは残念。


今民藝館では「朝鮮時代の絵画」という特別展が開かれているので
そろそろ行ってみようと思います。

出口には「今見ヨ イツ見ルモ」の書もありました。

2011年9月17日土曜日

感想 「大雅・蕪村・玉堂と仙がい」いってきました


出光美術館で開催中の
「大雅・蕪村・玉堂と仙がい」に行ってきました。


チラシのデザインが目をひきます。

副題は「「笑(わらい)のこころ」

 一見、水墨の黒と、漢字が溢れたこの展示も
作品を見ると、思わず笑ってしまうようなユーモアや
ほほえましい光景が。
このチラシのビジュアルも、堅苦しくなく
文人画の表現を見られる手助けに。

ユーモアでいえば、とにかく仙がいさん
それはえらい禅宗の僧だけど
どれを見てもいつも

やられた! 感服! 

おもしろさ、その発想にあきれるくらい。
もし今会えたら飛びつきたい。
難しい禅の教えが分からなくても、
みんなが楽しむことができる、愛らしい画がすばらしい。


よろこへ よろこへ

って恵比寿様が鯛を釣って大喜びの図。

これほど単純な筆使いで
これほど喜びの無邪気さが伝わるって どういうことか
と思ってしまう。

「こんなに口を開けては顎が外れないか心配」
という冷静な意見の解説も楽しめた。

有名な 花見の図も見れます。

ほんとに、みんな かわいい。 かわいいねえ。

それぞれの人に書かれているのは、
「太鼓 踊る 子供 上もん謡う 喜ぶ 呑む お通い
呑みたがる 親父寒がる 見ている べっこう 書きそこない」

自分の画に決まった法則はない と言った仙がい、
書き損じも そのまま残してしまう


池大雅の、瀟湘八景図。そのうちの4幅も出ていました。

漁村夕照図         瀟湘夜雨図

きもちよく、画の中にすいこまれる。
竹に落ちる雨の音が聞こえてきそうな心地よさ。

絵の中には小さな人が 
それぞれいろんなことをしているから
ウォーリーを探せの気分になったり・・

それにしても、この我を忘れた 
無我の境地のきもちよさ 見てると同化してしまう。
ひょろり〜


いわゆる西洋的な絵の前に立つと
その作品と対峙しているような気持ちになって
どうしても1対1で向き合ったりと
自分の存在を意識させられるけれど

特に今回のような文人画を見るときは
絵と自分の境目が無くなってひとつになってしまう

なので、ちょっと見よ
という気分でいくと
思わず時間を費やしてしまうので 
こちらもゆっくりな心持ちで行かないとね。

見終わったら、皇居周辺が一望できるスペースで
お茶を呑みながらちょっと一息。
最後まで、我を忘れさせてくれました。


図録を購入。チラシと同じカラーで、カラフル。

残念ながら図録には入っていなかったけど
「青磁三閑人壺」という明の時代の壺が
かなりこころ引かれ。

つたわらないイラスト。
陶器の淵へのぼって、中をのぞくほどヒマな人たち、
という「三閑人」が張り付いていました。
なぜか中から登ってこようとする一人の頭を
ぐいぐい押している・・ 
4人いるのになんで三閑人 ?

2011年9月14日水曜日

おばあちゃんとこんまいもの


荷物がとどきました。

まっしろい 大きい紙袋に
めいいっぱいかかれた 私のなまえ。

差出人は、




なんという 微笑ましさ

こんな東京のど真ん中に「おばあちゃん」からのお届け物。
ほんわ〜〜 

どうやら最初は「おばあちゃん」としか書いてなかったらしい。
それを見たお母さんが怒って、
もう一回住所もちゃんと書き直したら
紙袋のはしっこまでいってしまったそう。


中にはいろんなものが入っていた。

これはなに  ?


こんまい版 です。

こりゃあ かわいい !
「こんまい」 (=ちいさい) という言葉がかわいい。


でも何だか分からないので 裏を見てみる。


まぐろっ子 です。

ぜんぜん わかりません。


「おばあちゃん」と「こんまいもの」は
なんて かわいいんでしょう。

ほっとした時間でした。

『民藝四十年』を読みました


柳宗悦の『民藝四十年』を読みました。

読み終わったあと、ベッド下から なんと!


あれ〜〜〜  ひどいねえ 。。


柳宗悦さんは、1889年、岡倉天心が上野の美術学校で
校長先生をしていた頃の明治22年から、
1961年まで生きた、「民藝運動」で有名な人です。

この『民藝四十年』は、柳の民藝に関するいくつかの論文が
年代順にまとめられていて、もともとは昭和33年に刊行されたそうです。

そもそも「民藝運動」は何だったのか、については
その趣旨についてはっきり書かれた大切な論文が
この本に入っているので、
柳宗悦の入門書として読むにちょうどよかった。
巻末には、詳しい年譜もついています。

なかなか、この本全てに対する感想は難しいので
いくつかの論稿に絞って、考察をします。


○「雑器の美」1926年(大正15年)

これを書いたころは、まだ「民藝」の語はできていないと思います。
でも、「民藝」とは何だ? に対する
答えは全て書いてあると思います。

そもそも「民藝」の語は、
それまで「美」とすら見られたことのなかった
民衆の作った日常器具に対して、柳が美を見いだしたところからはじまり、
“民衆的な、工藝” の意味から「民藝」という造語ができました。


では、なぜそのような雑器に美が宿るのか?
何をもって美なのか?
について、この論稿でいっていることは、
大体以下のようなポイントでした。

1.それは、実用に耐えられるものなので。
民衆が日常に使う道具であるので、
華美だったり、奇をてらったものではない。
用に耐えるために備わった頑丈な性質には、
偽りのない健全でつつましい美しさがある。

2.それは、名もなき人によってつくられたので。 
雑器をつくるとき、職人は名を刻もうとは思わない。
美をたくらんだり、名を成すために作っているのではない。
貧しい人や、知をもたない人が、生活のために
伝わった手法をそのままに、無心に作りつづける、
そこに無欲の美がある。

3.それは、自然の素材を使っているので。
今のように人工素材があったわけではなく、
自然の素材しかなかった。だからこそ、その素材の特性を
十分に利用し、雑器をつくった。はじめに素材がある。
そのため土地土地の特色が生まれる。

4.それは、多量に生産されるので。
多量につくろうとすると、反復作業と速度が必要になる。
粗雑を生む可能性もあるが、反復は熟練を生み、無駄を省く。
驚くべき速さの動作と反復に、無意識の自然の美が生まれる。

5.それは、手でつくられたものなので。
機械による製品が生まれる前、当たり前のように
すべてが手仕事によってつくられていた。
手による仕事には、筆の走りや、削りの跡に
人が感じられ、またひとつとして同じ物とならない。


そもそも、それまでの雑器については
高級で鑑賞に耐えられるものを 上手もの(じょうずもの)
粗雑で素朴な、大衆的なものを 下手もの(げてもの)
というふうに呼んでいたそうです。

「雑器の美」という題名も、もともとは
「下手ものの美」という原題がつけられていました。

ただ、下手ものの全てが「民藝」なのか、といったらそうではなく、
たまたま柳が美しいと思ったものが、民衆的な性質を持っていたので
それまでの下手ものの誤解をとくためにも、
仮に「民藝」と名づけたという意図でした。


その後、「民芸」という言葉は急速に広がって
柳さんが亡くなってからも、一時ブームとなるほどに、、
消えかけたいくつもの民芸を救ったんだろうと思うけど、
今聞く「民芸品」という響きには、
上ようなことをあまり感じられない

「民芸品」という言葉は、もはや最初の民芸を離れて
べつのものになってしまったと思う。

「民芸品」と聞くと、どことなくあったかさだけは漂うけれど
土産物売り場の、妙に時が止まったようなにおいがしてくる。

『民藝四十年』が刊行されるにあたって、加えられた
「改めて民藝について」(昭和33年)の中にも書かれていたけれど、
「民藝」という言葉にとらわれてはいけない、
ということがもっとも大切だと思う。

新しい言葉は、新しい価値をうむけど、
価値がいつまでも続く事はなくて、いずれ転倒をおこしたりする。
そこに新しい見方が生まれて、
死語がうまれ、新しい言葉がうまれるように、
人はつねに新しい価値を生み出してきたんだと思う。

言葉も形式化してしまうと、ものが見えなくなる。
柳もまずはじめに、「見た」からこそ、下手ものの美を発見できた、
と言っている。


民藝館で見た、柳宗悦の書で、とても印象深い言葉があった。

「今見ヨ イツ見ルモ」

今、いつも今 その時に。 
「民藝」と呼ばれたモノたちも、いつも今、見つめ直さないと
いけないような気がする。

そして、まったく考察まで行き着かなかった・・
まだまだ柳宗悦についてはメモしておきたいので
何回かに分けて書こう。
「自然」とか「宗教」とかのキーワードについても。


あんまり似てないねえ。

2011年9月11日日曜日

感想 「濱田庄司 スタイル展」いってきました


パナソニック電工 汐留ミュージアムで開催中の
濱田庄司 スタイル展」にいってきました。



濱田庄司さんは、1894年、日清戦争の始まった明治27年から
1978年まで生きた、現代陶芸の第一人者で 人間国宝。

当時、「産業革命」「技術革新」「大量生産」
という近代化の波にあった日本で、
わたしたちが使う日用品も
機械的に作られた製品が出回り 流通しはじめていた頃、

それまでの、民衆の手仕事によって生み出されてきた
名もなき器や、伝統的な工芸品に美を見い出し、
柳宗悦らと「民藝運動」を推進してきた濱田庄司。

若い頃、イギリスに滞在したときに、
アーツアンドクラフツという、「民藝運動」とも志の似た
運動に参加していたエリック・ギルという人物と
出会ったことが大きな影響を与え、

ギルが、ロンドンから少し離れた所に工芸家村を築き、
身の回りの生活をすべて自分たちでデザインし、芸術活動を行う
というスタイルに、理想の暮らしを見たのか、

濱田庄司は帰国後、益子の地に移り住み、
自然にもとづく衣食住というスローライフを実践しながら
亡くなるときまで陶器の制作を続けたそうです。


今回の展示では、陶芸作品はもちろん、
益子生活で実際に使っていた生活用品や家具、
世界各地で集めた「民藝」的なコレクションの一部が、
現在、濱田庄司の工房を活用し、美術館として公開している
益子参考館の特別協力で、140点余り展示されていました。

※上右は今回は出てないものです。

益子参考館にも、いつか行ってみたいと思いながら
残念なことに、震災の被害で収蔵作品が何百点も割れてしまったりと、
現在開館はしているものの、損害は1億円近くあるため、
修復しきれていないそうです。


この汐留ミュージアムでの展示は、
場所自体もそんなに大きくないので
コンパクトに展示がまとめられていて、
気軽に見られる感じでした。

個人的によかったのは、
濱田庄司が、制作の参考にしていたという
コレクションの陶器でした。


これは展示されていたものとは違うけど、
イギリスのスリップウェアと呼ばれるお皿や、

江戸時代に焼かれた、松の絵が印象的な大鉢。

全く伝わらないと思うけど、イラストで・・・。 
大きな鉢の内側の側面に、松の絵がぐるっと、
勢いよい線で描かれていました。
唐津焼の系統で、九州で焼かれていた弓野焼きから
さらに継承された、二川焼のお皿でした。
これが今回一番こころ惹かれたものでした。


全体の作品を見ていて感じたのは、

作為がなく、自然の偶然によってうまれた
絶妙な色合いや、線のゆれや、形 

というものが、濱田庄司の作品にも、
そのコレクションにも共通して思ったこと。

生活スタイルも、自然を大切にし、
作品が根づくところも行き着くところも やっぱり、
人間の創意を越えた 何か自然的なもの。
それを求めて作り続けてたのかなあと 思いました。


イギリス経験からもあると思うけど、
日常用品は今から見ても、雰囲気があってずいぶんお洒落。
イームズから直接譲ってもらった椅子がお気に入りだったそう。
モノからも、洗練されたセンスを感じる。

自宅兼工房には、地元の人や芸術家仲間たちがいつもあふれ、
濱田旅館のようになっていたそう。
土地のものを使った料理を、自作の器に持って
それを取り囲みながらワイワイと語る姿の写真も展示されていた。

ただ、そのモダニスト感と「理想の暮らし」感、
何かが少し気になって・・・

その気になることは、どこか
“民藝運動”とセットに考えると
“個人作家”の存在 という時点で矛盾を感じるのと似ていて

なんというか「作為のなさを求めている作為」が
それはどうしても仕方なく あるような気がした。

個人作家として 人間国宝となる
そういうことについて、本人はどういうふうに
感じていたんだろう 。

そんなことも含めて「民藝」については、
ひきつづき色々と思ってみたいし、
私の好きな素朴かわいいとも繋がる話だし、
民藝運動家たちのことを、もっと知っていこうと思います。

中秋の名月


中秋の名月は、明日だそうです。

たしかに名月。

しばらくながめてしまうほど
昨日の月もきれいでした。


月を見て、思いを馳せることは色々・・
お月見もほどほどにしないと、
宇宙のことや色んなことを考えたりして
思考が遠いところにいってしまうね。

昨日は最終的に、平安時代の貴族の
トイレ事情について考えることになってしまいました。

2011年9月9日金曜日

ふしぎな 脳のマルチタスク


「あれ、今何しようとしてたっけ。。?

あ〜 全然マルチタスクができてない。」

って 職場の人のつぶやきで ふと考えた。


マルチタスクは ふつうパソコンとかで 
いくつものプログラムを 同時並行してできる
システムのことを指すけど

わたしは 同時並行で 何してるかな ? 
 
と、意識してみると
結構 意味のない マルチタスク機能があることがわかった。


しずかな職場で カタカタカタ とパソコンに向かって
作業中・・・

・・・、

Power to the people 〜 !
ズン、ズン、ズン


Power to the people ~ !
right on !


って、頭のなかで ジョンレノンとその他大勢が歌いだす。

周りはすごくシーンとしてるのに 
頭のなかは一人、ライブに行ってるくらいの大音量。
ちょっととめて〜〜 って
自分でもつっこみたいくらい、変なタイミングで
勝手に音楽が再生される。


あのBGMは、いったいなんの目的なんだろう。
それもまったく雰囲気を無視した選曲。

途中まで 何の歌かも分からず
サビまできてやっと    ...あ、
イエローモンキー の「太陽が燃えている」か。

懐かしすぎの選曲とか。

あるよね。考えると 結構、
無用なマルチタスク機能が。


そしてブログを書きはじめて気づいたことは、

人の文章を読むとき → 標準語
仕事中にメールを書くとき → 標準語
考え事をしているとき → 標準語
ブログを書いているとき → 高知弁

なんで  !?

言語の変換処理が、すみずみへ行きわたってない。
だから自分が書いたブログを読み直すときも
やっぱり高知弁で見てるんだよね〜

高知弁で書いてると ニュアンスが変わったりするから
意識的にできるだけ 普通のイントネーションに読めるように
気をつけてるけど。

たまに 脳のことを気にしてみると
何か変なことばっかりしてるような気もしておもしろい。


2011年9月7日水曜日

3年ぶりに話したことは


ちょうど 3年ぶり
やむにやまれず 会えなかった友達と 会えた。

どうも妙に懐かしく...  
ない。

3年のギャップが...  
ないない。


たしかにそこに 3年は あったんだけど
変わったことも もちろん沢山あるんだろうけど

変わらない間合いと 変わらない笑いで
3年は一瞬 となってしまった。

そんな きっかけをつくってくれたことに感謝。

そして 3年ぶりに わたしたちは 何を話したんだろう。
全部 思い出せないけど・・・
例えばこんなことを。

・信念は やっぱりつらぬいたほうがいい
・好きなことは たいせつに
・小さなことを算段するまえに 行動したほうがいい 
・心と体を一致させる瞬間を持つこと
・友達は 代わりのないもの

2011年9月6日火曜日

かわいいやつ

かわいいやつがいた!
さっきTumblrにもpostしたけど

かわいさが尋常じゃないから こっちにものせたい。

あ〜 久々にびっくりした!  こんなかわいいの。

 


「かわいい」って 未だにこの言葉には
納得のいってないところがあるけど
かわいい以外に今のところ言葉がない。

「かわいい」の中でも いくつかタイプをわけたい。
間の抜けた 素朴な「かわいい」は
なんて言えばいいんだろ ?

とりあえず 「かわいい」のカテゴリもつくらないとね。

そうそう このかわいいやつの作者は
Amelie von Wulffen というドイツの人。

ギャラリーのサイトも見てみたけど
ずいぶん違う作品も描いてるみたいで よくわからない。
Greene Nafatli Gallery
Alex Zachary


とにかく このネジ人は 
動きも何もかも 完璧にかわいい~

2011年9月5日月曜日

本を読んでいます


本の感想は  
“いつ読むか”  
で全く変わってしまうことがある。

だからこそ やっぱり 無理やりでも
書きのこしたほうがいいのかも

と思って、「Books」のカテゴリをつくる予定です。

これも 「まとめる」力の
何かの足しになるんじゃないかと・・・


読んだ本や 見た映画の話を
すごく上手にできる人をみると 感動する。

わたしは すぐに感情を伝えたくなって、
「なんか  ・・・良かったっ ! うん。(・・)  」  
こうなることが多い。

こういうのは、「数学」の勉強をしなかったこと
とかに関係してる気がするけど
それは また別のときに  。。


しかし 本を読んでるだけじゃ
分からないことがものすごいあって 
本ばっかり読んでる場合じゃないと思うけど、
読みたい本も どんどん溜まるから
どうしたらいいの この感じ。

本を大量に読んでる人は
頭の中をどう整理しているのか教えてほしい


ま、でも地道にすこしずつ。

何かを読んでも 何かを見ても 
はっきりさせずに 
思考をぐにゃぐにゃで放置すると
次の衝撃で 混乱状態になってしまうから。 
もしくは 見たことすら忘れてしまうとか。


できれば テトリスみたいに  ?

次々とインプットをしたときに 頭のなかで
向きを変えて、形を確かめて、

いつかの「あれ」は、 さっきの「これ」とつながって
なるほどなるほど と 消化していけるように。




今はこつこつブロックづくりを。。

2011年9月3日土曜日

お祈りすること


小さいころは 神さまがいて
不思議に夢を かなえてくれた    



この歌が ずっと好きで

たしかに 子どものころは
神さまというか 
よく何かに お願いしてた気がする。


明日 晴れたらいいのに
運動会で もうビリはいやーー


いいことでも  いやなことでも
お願いします~~   (>_<)
って 自分でもよくわからない大きい存在に
祈っていた。


そう祈らなくなったのは いつからか
思い返せば どこかで神さまがいなくなった


経験とか 知識とか
つみかさねているつもりが
実は 常に懐疑的になっているだけだったりして

疑わずに 無心で祈る気持ちも
そんなことで失くしてしまうのは
とても悲しい

おとなになっても 奇蹟が起こるって信じていたい



今日 髪をきりました


このおそろしい髪の残骸に 
願掛けをしてみようかな  。。

2011年9月2日金曜日

母子像


ほかのことを書こうと思っていたけど
今日も 実はご懐妊されていた人がいた
という話をきいたのもあって
もうちょっと そんなはなしで。


最近は よく美術館にいったりするけど
絵画でも彫刻でも写真でも
母と子がモチーフとなった「母子像」というのは
気がつけば 結構見ている。

それは どれだけ時代をさかのぼっても
ずーー  っとあって

人間が何かを創りはじめたころから
いちばん古いモチーフの一つとして存在している。

豊穣を祈っていたころも
宗教がまだ力強かったころも
科学の発展がどれだけ目覚ましくても

生命の誕生は
むかしも いまも 同じように、
神秘で  謎めいている!


まさしく その象徴。

例えば凄いのは縄文時代の土器で、
今まさに産まれようと顔を出した赤ちゃんが
あらわされていたり。



土器であっても 絵画であっても 
母と子がそこにいるだけで 独特の何かが成り立ってしまう

  パブロ・ピカソ            上村松園

最近ブリヂストン美術館で Kちゃんと 
まじまじと眺めた 母子像も なかなかすごかった

オシップ・ザツキン

思わず、 顔をかたむけて 見る。


人間がいつか 自然の原理に則らずに
人間をつくりだしてしまうときが もしも来たとしたら
きっと このモチーフの 神秘性は失われて 
ついにおわりを迎えてしまうかも。。  と思ったり




いつか粘土でつくった母子像は
よく見ると 目が かなしげ・・  

2011年9月1日木曜日

赤ちゃん 増えてる?


今日から二学期だそうです。

学期という仕組みから離れて もうずいぶん。
夏休みの宿題やら何やらをいっぱい持って
久しぶりの学校に行く感覚を ちょっとだけ思い出した。

でも

小・中・高の12年間 ー それから11年間
= まだ子どものころのほうが長い

きっと30歳までは、夏休みが終わる8月を
寂しいと感じるのかもしれないな〜  と思いつつ、


子どもといえば

このごろ妊娠中の人をよく見かける。

よく見かけるっていうのも変だけど、
目にしたり聞いたり、そういうのなんとなく多い気がする。

気のせい  とも言われたけど
どうもやっぱり気になる。


もしかして、今年で29歳のわたしは
出産適齢期の動物的本能によって妊婦さんを見つけ出し
無意識にそういう方向へ向かわされているのか
そういうシステムになってるのかな  ?

とも考えてみたけど、他にもそういうことを感じている人がいて
あれ やっぱりそうなのかも。

今は世の中 日本だけじゃなくって
色々と不安定で 信じられないようなこともあるけど

勝手な想像では そういう危機や不安が
むしろ本能を呼び起こしてるのかも って・・

本当のことは 分からないですが。


そんななかでも
まだまだ自分が子どもかも とか思ってることは
今一度恥じて、人間としての本能を
もっと素直に感じてみたいなと思っています。


いや赤ちゃんがほしいとかじゃなくって。