2011年10月27日木曜日

感想 「春日の風景」いってきました

根津美術館で開催中の「春日の風景」にいってきました。


この展覧会では、古くから聖地であり名所としても知られる奈良・春日の地をテーマに、春日宮曼荼羅、伊勢物語絵、名所図屛風など、中世~近世を中心にさまざまな形で展開された春日のイメージを、その絵画や工芸品を通して見られるというものでした。

それにしても 春日。。。 まったく知識もなく、この展覧会がきっかけではじめてなんとなくのことを知る。基本情報を知らないと見所が分からないかもと思ったので、あわせて開催された根津美術館の学芸課長・白原由起子さんによる講演会「王朝人の祈りと憧れー春日宮曼荼羅の世界」も聞いてきました。


春日大社のある奈良の春日。春日の野から見える春日連峰のなかに、古代から神さまの住む山として崇められた三笠山があります。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし 月かも」(阿倍仲麻呂)
「春日野に 斉く 三諸の 梅の花 栄えあり待て 帰り来るまで」(藤原清河)

社殿の出来る以前から、春日は遣唐使が旅の無事を祈る場所でもあったようで、遣唐使としてのこの二人も無事帰還できることを願い、このような歌を詠んでいる。

奈良時代に創建された春日大社が繁栄したのは、時の権力者であった藤原氏の隆盛と大きな関わりがある。まず都を平城京へ移した際に、藤原氏の氏神・タケミカヅチを春日につれてきて、春日神と称し、平城京の守り神としてそして藤原氏の繁栄を祈り社殿を建たことが始まり。タケミカヅチは白い鹿にのって三笠山に降りたったそうで、鹿は神さまの使いとされる。さらに他に3体の神様もつれてきて社殿を4殿つくる。いっぽうで、藤原氏には氏寺の興福寺があり、ここで仏様と神様の折り合いをつけるため、興福寺の本尊である不空羂索観音さまは、実はタケミカヅチの神さまの本来の姿である(本地仏)として、これまでビジュアルイメージの無かった4体の神様と仏教の神々とを組み合わせ、最強の神々を合体させました。これが神仏習合の一例。なるほど。

曼荼羅については、密教のものがよく知られるように、口伝できないという密教の教えの世界観を幾何学的な図に示したガチガチの本格派があるが、日本ではもう少しゆるく、仏教の世界観や狭義を観念的に表すもの、という方向で表現が独自に発展していった曼荼羅たちがある。



鹿が仏さまを背負っている「春日鹿曼荼羅」、春日大社の上に仏様たちがいる「春日宮曼荼羅」。

ふつうに考えると、お祈りのためなら仏さまの姿をどーんとそのまま描きそうなものだけど、春日では、姿をしるすよりも、仏さまのいる場所を表すほうが大事な事だったようで、右の曼荼羅のように春日大社を俯瞰で見た「宮曼荼羅」と呼ばれるものが多いそう。
描かれ方は、時代や目的によっても変化があって、初期は奈良から曼荼羅を運んでもらい、つまり神様を招いて、その前でお経を読んでいたりしていたので、建物の正面観を重視して描かれていたり、また、参道の道のりを歩いていくことがより大切だと考えられた頃には、手前の道をしっかり書き込んであったりする。

日本の曼荼羅で興味のあったのは、そういうふうな観念的なものをどうに表しているかというところ。実際の地理を無視して山が入り込んでいたり、中がよく見えるようにと建物の塀を勝手に取ってしまったり。歴史的資料としてみると、「絵空事」が見られるので建物などから単純な時代推定ができないということだけど、ただ見る分にはそういう部分がとても面白く感じられる。モノの三次元の存在感を写し取ろうという気が全然なくて、観念的に重要と思われることをなんとか表そうとしているところ、そこで創造力が働いている部分を見るのがおもしろい。
これで絵を書く技術が劣っていると、素朴絵になっていくような気がする。素朴絵は完全な絵空事だなあ。今回はさすがに重要文化財になっているものだったり、由緒のあるような品ばかりだったので、ちょっと構図がおかしいな・・ぐらいで、素朴絵はなかったけれど、素朴絵も書きたいもののイメージが先行しすぎて、そこだけ大きく描いたり、バランスがおかしくなったりするんだろう。

この展覧会の企画者でもある白原由起子さんは、シアトル美術館で東洋美術部長を務めた経歴があり、専門は宗教絵画ということ。初心者でもわかりやすい基本のところのお話がひととおりきけて良かったです。展示品は、約1/3が根津美術館所蔵作品で、春日については奈良の国立博物館よりもこちらのほうの所蔵品が多いんでないかとのことで、さらに奈良のほうからも春日を描いた貴重な作品が20点以上。特別出品は宮内庁が所蔵している「春日権現験記絵巻」の最近修復を終えた巻から一部を展示していました。


その後、根津美術館の庭を少し散策してから帰りました。雨上がりの午後だったので緑もきらきらして空気も爽やか、きれいでした。 いい庭だ~ 


あ、どうもどうも  

またきますね。

2011年10月23日日曜日

『柳宗悦』鶴見俊輔

そろそろ 読んだ本のことも
ちゃんと残していこう。

『柳宗悦』 鶴見俊輔 (1976)

この本は、柳宗悦の起こした民藝運動に焦点を当てたものではなくて、その活動を生み出すに至った柳宗悦という人物の独自の哲学観や、生い立ち、人柄について書かれたものでした。

民藝運動から入った柳宗悦についての興味も、じゃあその美的感覚はどこからきたの?民藝思想に至った原点は何なの?と追っていくと、単なる物の見方の啓蒙とか、伝統工芸を救うとか、そういうことだけじゃない、とても個人的な思想が背景にあることがわかる。

面白いのは、若い頃には西洋の科学論や哲学に傾倒しながらも、民藝思想に切り替わるころには全くオリジナルというか、既存の理論に頼ったり、それまでの思想を発展させたものではない、独自の路線に突き進んでいっていること。本人も「知識に頼らず、見る事が先で、後で概念を付け合わす」といっていて、そういう心構えは「今見ヨ  イツ見ルモ」のことばにも表れていると思う。だからといって、柳の至った考えが感覚的なものになっているかといったら全然違って、一つの体系をちゃんとうちたてている。それは鶴見のいうように、父親の影響や、若い頃の学風などによって、実証と分析の方法論が身にしみついていたことと、白樺派の中で培われた分かりやすい文体を重視することや、周囲に感情的な一面を見せない制御された性格があったことで、決して行き過ぎた狂人思想になり得なかった、ということになる。

でもこの本を読んでみて、もう少し柳宗悦のことを知ってみても、やっぱりどこか不思議で捉えられないところがある。何がピンとこないんだろう?
例えば民藝運動のなかでも、「用の美」や「てしごとの美」という価値観については、そこだけどんどん広まって、現代でも確立したものになっているけど、柳の思想全体を通して見たときには、民藝の存在は一つのピースにすぎない気がする。決して重要視してなかったとかじゃなく、民藝品の美の先にあるものを、ずっと見つめていたような感じ。民藝品に対して、素朴な美を単に感じるということだけじゃなくて、崇拝すらするような特別な感情をもっていて、たとえば山とか滝とかに神性が宿るような見方で、民藝品に対峙しているときは自分の宗教的理想をそこに見ていたんじゃないかなと思う。なので柳の言っていることには、新しい美の価値を提唱することに加えて、独自の宗教哲学が含まれているから、その2つをあわせもっている思想のバランスについて、しっくりくるのが難しいのかもしれない。

無欲、無心で、学の無い、名の無いものによって作られた民藝品は、だからこそ親しみのある健康な美を宿す。そういう意味において、すべての作は救われ、そこに美の浄土がある。それは美においての他力道とは言えないか、と『工藝の美』で言っている。
また本人も晩年には、唱えるだけで救われるという念仏宗に帰依し一遍上人に傾倒している。後期に書かれた『南無阿弥陀仏』を読むとたぶんそのことがより分かりそうなので、いつか読んでみたい。

だから個人史をみたときには、最初から最後まで興味の対象は宗教哲学についてであって、たぶんピンときてなかったポイントは、多少民藝品がその個人的な宗教理論に利用されている感があったからかもしれない。その独特な理論の立て方については、かなり初期の頃から本人も意識的に行っていて、哲学の真理の探求は個性の実際の体験をとおしてのみ、明晰な人生観世界観を建設することができると言っている。自分の体験である、芸術や宗教に対する感動が、探求の衝動となっているとして、そういう異端的な経歴を名誉である、とも言っている。そういう点があるから、戦前〜戦後で同時代の哲学者たちが色調を変化させていく中でも、柳が極めてまれな一貫性を保ちつづけた、と鶴見は書いていて、哲学者としての柳宗悦は、かなりユニークな存在なことが分かる。そんな思想家としての柳宗悦の独特さと面白さが理解できるような本でした。

ただ、ひとつ面白いエピソードが書いていて、晩年、病に倒れ不眠症になった柳に対して「念仏を唱えたら寝られるでしょう」と妻が言うと、「念仏なんかきくものか」といってひどく怒ったことがあったそう。息子の宗理によると、おやじは筆では信を唱えても、それは体得した美への裏付けの理論としてに過ぎなかったと思う、と語っている。
あくまで民藝に見た救いも、念仏の救いも、“「凡夫」である人間にとって”、というところが重要で、自分の存在は抜け落ちていたのかもしれない。

でも、やっばり民藝を見出して、日本に眠っていた沢山の地方文化をすくいあげた功績というのは素晴らしいものだとおもう。はじめに柳宗悦に興味を持ったのも、名もない工芸に美を見いだす眼を持っている人として、その美的感覚にひかれたのだし、民藝館に見られる品々も、これが見れてよかったな、と思わせてくれるものがたくさんある。

この本に引用されていたバーナード・リーチの言葉で印象的なものがあった。
「日本が持つ一般の思想はいやなものである。しかしその奥に深く横たわる思想は実に美しい。支那はいつか日本の工業をうちくだくだろう、そして恐らくその時日本は美しい姿をとりもどすだろう」

文化はきっと川みたいなもので、日本に限らずどこの国の文化でも、その上流をたどると美しい流れがそこにはあるんだと思う。


2011年10月15日土曜日

偶然を求めて

素朴な疑問。

好きな音楽に出会うために
みんなどうしてるんだろう ?



はまり込むような音楽の聞き方をしていた
学生の頃とはまたちがって、
今の自分にとって心地良い音楽ともっとたくさん出会いたい。

やまほどある世界中の音楽のなかで
いまだ聞いたことのない、ハッとしてGoodなメロディーがあるはず。

そうすると、音楽のプロでもないし、
日々音楽探究をしているわけでもないから
自分のアンテナだけじゃなかなかむずかしい。

「ジャンル」で聴くわけでもないから、
音楽のジャンル分けは、あんまり探すのに役に立たない。

人に教えてもらって、ハッとして
どこかのお店のBGMで、ハッとして
たまたま検索でヒットして、ハッとして ?

でももっと、ゆるやかに色んなジャンルに渡って
好きな音が芋づる式にでてくることってないかな。

たまに音楽への衝動が沸き起こるとき
なんとももどかしい。

もっと偶然性による新しい発見を !

2011年10月9日日曜日

感想 「芹沢銈介展」 いってきました


松濤美術館で開催中の
「芹沢銈介展」へ行ってきました。


民藝館などですこし見たことのある
芹沢銈介の「型絵染」
これほど一度に見たのははじめて。

図録も購入しましたが、
紙の中では、布のやわらかい印象が
そぎ落とされてしまうので、
デザインだけを見ていると
余計に布の必要性を感じる。


これまで、色々な工芸品のなかでも
「布」、「染め物」、
については、どうも積極的に見れなくて
なんとなく敬遠していた対象・・

きれいだな〜 と思っても
生地や着物となって 世にでまわる頃には 
完成度が高すぎて とりつくしまが無いというか、
「布」という絶対的な存在感がありすぎて
もうそういうものなんだ、と
勝手に頭から追いやっていたような 。


そんな気持ちがありつつ、
今回、芹沢作品を見に行ったところ
むしろその「布」の存在感に魅了され
すぐに引き込まれてしまった。
そして改めて、布での表現について
考えることができました。

すーっと作品を見られたのは
人に馴染みやすさを与えるような
絶妙なバランスの、デザイン力。


対称性を排除したカタチに
暖もりを感じたり。
それが “完成度のとっつきにくさ”を
無くしているような気がします。

ただデザインが先立っている感じはしなくて、
布、染料、という素材の「制約」がまずあって
その素材の魅力をいかに最大限に引き出すか
ということに寄り添って
描くものや、カタチを考えられたような表現

表現と素材がそれぞれきちんと合わさっているから、
ちょうどいい気持ちよさがある。

その布が、のれんや風呂敷や着物、、、と
用途を兼ねるモノになり変わっても、
そこにずっと見つめ続けられるような 美しさが
備わっていることに 感動しました。


そう考えると、素材とか、描く対象の「制約」を
どんどん破っていくことで、新しい美を生んできた
美術の歴史がある一方で、それと矛盾するみたいに
しばられる制約があるからこそ、
美が生まれていて
伝統や制約や価値観、とか固定されたものを
「破る」という衝動と、
それをまた制約のあるものの中に
「閉じ込める」という
二つの作用が 新しい美の誕生には必要なことの
ような気がする。


自分で欲しいなと思ったのは、
この那智の滝をモチーフに作られたのれん。
そぎ落とされた簡潔さに、むしろ神々しさを感じる
というのが不思議。

単純化する、というのは
本質を捉えていないとできないし
単純化するからこそ 本質が見えたり と
そんなところに、デザインの奥深さを感じるような。。



風の字のれん、
寿の字風呂敷、
やっぱり見直してみてもデザイン力の凄さ。
奇抜な気はしないのに。
でもインスピレーションを与える

なんだかんだで、ずいぶん感動してしまった。
最後にこの、いろはにほへとの屛風のバランス力を !
文字にちなんだ絵がそれぞれ描かれているのを
見るのもおもしろい。


その後、すぐ近くのギャラリーTOM
柚木沙弥郎さんの個展が開催されていたので
ついでによってみたら
柚木さんご本人がおり、びっくりする。

芹沢さんのお弟子さんでもあった柚木さんは、
いま、ギャラリーのサイトを見てみたら
「ほどなく90才になられる、、、」とあって
さらにびっくりする。

布のこと つくり続けること 美のこと
などを考える一日でした。

2011年10月3日月曜日

感想 「朝鮮時代の絵画」いってきました


日本民藝館で開催中の
「朝鮮時代の絵画」展を見に行ってきました。



そんなに人が多いときに行った事はないけど、
さすがに午前中はとても静か。

障子から入る外の光があったかい 〜〜
建物の木の香りを必要以上に嗅いだりして 
二階へつながる木の手すりを
さささーっと触りながら、階段をのぼる
時々 ギイー・・っと床のきしむ音がする 。

どことな〜く、おじいちゃんちに来た気にさせる
この建物を感じたくて 足が向いてるところもある。


大展示室が、今回の特別展の
19世紀頃の朝鮮時代の民画の展示室となっていて、
その他の展示室はいつも通りコレクションが並ぶ。

民藝館を訪れる楽しみの一つでもあるのが、
え"! っと驚く 変な絵が見られることだったりして
今回も何かオモシロ品に出会えるかなという
期待をしつついってみたけど
予想以上に、朝鮮民画って全体的に珍品めいてて
なかなか甲乙つけがたかった。。

でも、描いた人は真面目なんだよねえ、きっと。
下手なものが全部おもしろいわけじゃないんだけど
真面目だからこそ、素朴な感じがでておもしろい。

前期と後期で作品の入れ替えがあって、
絵画作品を大幅に入れ替えしますということなので
どうにか後期にも行ってみたい。

なぜならパンフレットに出ていた
瀟湘八景の図が妙な雰囲気をただよわせているから・・



この画力で、よくこの画題に取り組んだなと、。
もうちょっとがんばって!
でもなぜか微笑ましい。


鑑賞することって何がおもしろいのか、
考えると、自分なりの理由は色々あるけれど、 
いいものを見たな って思う時は
身体感覚に何か訴えるものがある。
下手な民画でも、こちらの想像力で補おうとする時点で
感覚機能をつかっているし、
今回出ていた丹波焼きのなかでも
どうしても手で触りたくなるような
感触を確かめたくなる壺があったり、
この前見てきた大雅の絵だって、
音や空気まで伝わってきそうだったり。

目で見ながら、実は身体で感じようとしてて
自分の身体感覚にぴったりくるときに
感動したり おもしろいなと思ったりしている。

作った人の意図と
見る人の意図も 全く違ってたりして
作る と 見る の関係性も不思議でおもしろい。
見るというより、自分にとっての何かを
見つけ出すために おこぼれをもらいに行くような感覚で
いつも何かを見に行っているのかも。

なので 押し付けがましい作品よりも
いかようにでもどうぞと 裸でたたずむ素朴な絵にも
心ひかれたりするのかもしれない。