2012年7月20日金曜日

熱田神宮


空が夏。
じりりり もわわわ あつーーーーー
この日、名古屋 神宮前駅を降りると、夏空が迫ってくる勢いでした。


少し歩いて、熱田神宮に到着。
境内に入ると一気に体感温度が下がり、涼しい風がひゅー


そこはびっくりするほど気持ちいい空間。
さっきまでうっとおしかった太陽も
木のフィルターにかかって木漏れ日に。そして木が高いと、なんか嬉しい。
暑い時は森林へ。

よく見ると、幹からひげ

 

みたいに草が生えててモッサモサ。かっこいい。
弘法大師が植えたとされる楠とか、樹齢1000年くらいとか、親方級の巨木のパワーに圧倒。



南神池という池の真ん中には亀の島が。
万年生きているんでしょうか。やたら亀の多い池でした。
亀はなんで他の亀の背中に堂々と乗れるの。


 


福田平八郎を引きずって、水面をそれっぽく撮ってみたり。
本宮の屋根をかっこよく写したかったのに真っ黒、とあそびつつ。

熱田神宮というところは、113年に創建で、来年1900年になるという、由緒がもの凄いところだそうです。伊勢神宮についで格のあるお宮だそうで、三種の神器のうちの一つ、草薙神剣がご神体。113年。想像が及びません。
神話や伝説やらがごちゃまぜで、何が何だかわからない頃です。

家にある古事記を易しくまとめた本を見ると、この草薙神剣は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときに出てきたもので、体をずたずたに切りまくっていたら、尾から太刀が出てきたと。あまりに見事だったのでこのまま自分のものにするのもちょっと・・と思い、それをお姉さんのアマテラスさんに献上したという話がありました。やっぱり何が何だかです。

ご神体が剣ということで、熱田神宮は特に刀剣類の奉納が多いそう。
境内の中にあった宝物館では「美濃と尾張の奉納刀」と題した展示がされていました。

それはともかく、木々の後ろからふと見えたのはもしや・・


土偶。
なんとなく、ここにいるべきでないような。
眼鏡之碑。
もやっとした違和感と疑念を残したまま立ち去りました。

他にももっと歴史的に貴重なものはたくさんあって、例えば
名古屋で最古の石橋「二十五丁橋」、
信長が桶狭間の戦いで勝った時に奉納した塀「信長塀」、
長身の男子くらいの長さがある、超でかい刀「真柄太郎太刀」とか
びっくりしたんですけど、

今回一番心に残ったのは、緑の中の静寂でありました。


あきらかに、緑の中にいる場合では精神が整う感じがします。
うわさのパワースポットだと思われます。

場所の特別性もあると思いますが、どこに居たって自分以外の自然のエネルギーを感じようとした瞬間、そこがパワースポット。と勝手に解釈しました。
わたしは大きい何かのなかの小さい点だ!


その昔、この境内は仙人さまが住む不老不死の地、「蓬莱」の1つとして尊ばれていたそうな。
もしかすると、今も仙人さまがいるのかも。


さようなら〜


2012年7月6日金曜日

「福田平八郎と日本画モダン」ギャラリーツアーいってきました


福田平八郎展 ひとまずその前に
「福田平八郎と日本画モダン」いってきました

を経て、今回は差し当たり締めくくりの最終章。
山種美術館でギャラリーツアーがありましたので、後期の展示を見がてら参加してみました。

美術ジャーナリストの鈴木芳雄さんと館長の山崎妙子さんを案内人に、「こんな日本画を知ってましたか?:福田平八郎の世界」という題目でのギャラリーツアーでした。



後期の目玉はこの「雨」。
雨の降り始めの跡が見える瓦という斬新な絵。いろんな事を言い表そうとしない平凡なタイトルも、平八郎の作品では印象的。「漣」についても、はじめは「涼風」とか「波光」とかを考えていたらしいですが、シンプルに「漣」。より本質的な感じを受けます。


全体の展示では他に作品の入れ替わりが多少ありつつでしたが、短期間でもう一度訪れて同じ作品を見るというのはあまり無いこと。本を2回読んだときみたいに、1回目とはまた違うところが気になったり発見があったり。そんな感じで、そこだけ時が止まったようにいつも同じモノが見られる、気軽に行ける場所がもっとあればいいなとか思います。


「筍」は、何度見ても飽きる事無く。




筍を引き立たせるために簡略化したという背景ですが、色の無い葉を重ねていった平八郎の心境の謎は私の中でまだ解けていません。ギャラリーツアーの中では、「色をすてる」と言い得て妙なフレーズを使われていました。

フレーズと言えば、この時代の日本画家、平八郎をはじめ速水御舟、上村松園らは筆が当たり前に使われていた最後の世代で、いわゆる「筆ネイティブ」だという話もありました。デジタルネイティブならぬ「筆ネイティブ」。カッコいい。どちらのフレーズも、山下裕二先生語録だそうです。

元ブルータス副編集長、鈴木さんのお話では、例えば突如ピート・モンドリアンが登場してきました。「日本美術」というジャンルはさっと飛び越えて、点と点を面白い視点で結びつけてしまうことのできる編集者な目線。はるか彼方の地で同時代を生きていたピート・モンドリアンですが、だんだんと抽象表現に移行していった彼の作品の話を交えながら、平八郎がもっと抽象に進めばあったかもしれない作品の可能性を想像させられるような話でした。


しかし、平八郎さん自身は、どこまで自分の作品のかっこよさを自覚していたんだろうかと思います。特に「筍」「漣」「雨」「雪」。
抽象的とかデザイン的といわれることのある平八郎の表現について、ギャラリーツアーのあいだ、もう一度考えてみました。

その斬新さが今から見てもかっこいいと思えるので、福田平八郎に惹かれていた部分がありますが、斬新な技法の部分に平八郎はあんまり執着してないように思えます。
見る側からの勝手な要望としては、鈴木さんの話にもあったように、要素をギリギリまでそぎ落とし、その表現を極めた先の、もっと抽象的なものを見てみたいという気持ちがあります。

が、たぶん平八郎にとっては、スタイルや理論ありきでモノを見ていたわけではなくて、きっと見えている自然/感じた自然をどう表すかという追求が大事。今はデザイン的な視点から平八郎作品を見てしまいますが、本人はそこは意識していなくて、色々そぎ落して本質を描き出そうとしたら、結果デザイン的なものになったというだけのような気がしました。


そこにある、感じられる自然。人間がそれを再構成して「絵」で表現するとき、本質を得ようとすればするほど、抽象的なものになっていく進み方はとってもおもしろいと思います。燃え上がる炎がだんだん「火」の文字になる過程みたいに。




でも「漣」から150年ほど前に、円山応挙は「氷図屛風」でこういうことをしているという日本美術のかっこよさ。

さてもうちょっとしたら、今度は根津美術館で応挙の藤花図と近世の屛風という展覧会がはじまりますので、またそそくさと行ってみようと思ってます。


2012年7月4日水曜日

感想 「バーナード・リーチ展」いってきました



日本民藝館まで、バーナード・リーチ展を見に行ってきました。

他の美術館などに行く時とは違って、民藝館はそこにいるだけで心穏やかになれる場所。「あ、行こう」と思いついた時に、自転車で遊びにいくおじいちゃんの家のような感じ。駒場のずいぶん良いところにあるおじいちゃんちですが。

民藝運動にも深く関わったバーナード・リーチの今年は生誕125年、作陶100年の記念の年ということで、所蔵品の中から選りすぐりの170点の作品が一同に見られる展覧会です。

同じように民藝運動の中で活躍した、濱田庄司、河井寛次郎と比べると、人柄なのかリーチの陶芸作品はより暖かさを感じます。また、今回いくつか展示されていたリーチの風景や人物を描いたスケッチがまた味わいのある絵で心にとまりました。


『バーナード・リーチ日本絵日記』

リーチの日本滞在中に記した日記と絵をまとめた本。本は白黒、文庫なので小さいですが、今回見た絵もいくつか入っていました。どこか浦沢直樹を思わせるような人間味があふれる人物の絵が上手くて、関係ないけど漫画を描いてほしかった気になります。

併設展では、初期伊万里、朝鮮時代の白磁、濱田庄司、ガラス絵、木彫りの神様、などなどが見れました。素敵なのは、展示室の真ん中に生けられている季節の花。私が行ったときは定かではないですが、ホタルブクロとシモツケソウの素朴でかわいらしい花が飾られていました。

休日だったのでいつも行く平日よりは人が多かったですが、民藝館の建物がすべてを調和してくれるためか、人が多くても全然いやな感じがしないという発見もありました。木のぬくもりを感じたいので、ここに訪れたときは階段の手すりや壁をやたら触りながら歩きます。

静かな午後の駒場をすり抜け、帰りは駅前の古本屋で本を眺め、マクドナルドでちょっと小腹を満たしてぼうっと。民藝館コースの時は、言葉で沢山のことを言い切ってしまいたくないので、全体的にほんわりモードで終了。


ガラス絵のなかにこんな顔をした人がいました。