2012年8月30日木曜日

感想 「ロバート・メイプルソープ flowers」いってきました

ショーウィンドウ、
って何となく古めかしい響きがするのですが、今もそれで合ってるんでしょうか。

西武渋谷店のショーウィンドウで見かけた花の写真。
その写真展が気になったので行ってみました。


「ロバート・メイプルソープ flowers 写真展」

ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)は1946年ニューヨーク生まれの写真家。完璧に構図化されたポートレートや男性ヌード、花などのモノクロ写真が有名。特に、ダイレクトな性的表現やゲイ、SMなどを取り入れた作品は、時代的な問題もあり論議を巻き起こし、絶賛とバッシングの両方を受けることに。1989年エイズにより42歳で死去。チェルシーホテルアーティストの一人でもあり、ドラッグ、セックス、エイズとともに、70年~80年代をNYで過ごしたまさにTHE・時代の人。

ということで全然知らなかったですが、
そのメイプルソープの花の写真60点が、今回の写真展では展示されていました。


どれを見てもperfectな造形と陰影。四角の中の世界が、おそろしいほど研ぎすまされていました。

当たり前ですが、コトバでない表現で伝わり感じたことを、コトバに変換して感想にするのは絵でも写真でも毎回むずがゆいですが、その中でも今回はかなり難しいなと思いました。

それは見る人によっては、まったく真逆に感じるような可能性がある世界だったからかもしれません。
「生と死」であったり「生も死も無い世界」であったり、ヌード作品と重ねあわせて「ナルシシズム的な性」を花にも見たり、「性の生々しさを排除した」ようでもあったり、現実であるようで現実でないとも。
過度にコトバで飾ろうと思えば詩人ならいくらでも表現できそうな、そんな幅広いイメージを持ち合わせている世界観でした。そして「黒」がこんなにも強烈美しいのかという驚き。

偶然なんて許されない、どのレベルまで計算し尽くされているんだろうか、と不思議に思うそんな超絶技巧の美という感じでもありました。


メイプルソープの言葉をいくつか探しました。 (訳違いのおそれ有!)

When I have sex with someone I forget who I am. For a minute I even forget I'm human. It's the same thing when I'm behind a camera. I forget I exist. 
誰かとセックスするときは自分が誰だか忘れる。少しすれば自分が人間だということも忘れてしまう。カメラの後ろにいるときも同じだ。自分が存在していることを忘れてしまう。

I see things like they've never been seen before. Art is an accurate statement of the time in which it is made. 
自分はこれまで決して見られなかったような見方でモノを見る。アートはそれがなされたことの確かな表明だ。

Beauty and the devil are the same thing. 
美と悪魔は同じ。
Robert Mapplethorpe

時代の感覚も、メイプルソープの人生も、そのギリギリの感覚も、私には到底想像が及びません!それでも刺激を得た時間でありました。

無料で見れて9/10まで。もう一度行ってみようと思います。
11月には西武池袋店でもやるようです。


Arts meets Life 西武渋谷店
ロバート・メイプルソープ財団


2012年8月22日水曜日

6月〜8月 空まとめ

8月が終わりそうで寂しさがつのります。
去年の8月31日からブログを書いていますが、やっぱりそれも寂しさからスタートしたのでした。

夏は過ぎて、秋がちらちらとフェードインしてきています。
その前に夏の空まとめ。

6月8日 雲がぼっそぼそだった日。

6月13日 美容室に行く前、道を曲がったらピンクに驚いた日。 

 
6月20日。エアーブラシで描いたような変な雲。

7月16日。名古屋〜東京間のどこかの空。

8月12日。WORLD HAPPINESSにて空を見上げる人たち。

8月15日。遠くまで色んな色が混ざりあった空。

8月19日。お盆の終わりは雲の渋滞。

あともう少し夏の気分。良い空、良い雲を見られるかな。
夏も終わりに近づけば、今度は夕焼け鑑賞隊として過ごす日々が始まります。don't miss it! 今年はどれくらいいいものが見れるかな。


感想 「具体ーニッポンの前衛 18年の軌跡」いってきました


具体 GUTAI グタイ。。。
「具体」って何だろう?

国立新美術館で開催されている、「「具体」ーニッポンの前衛 18年の軌跡」という展覧会に行ってきました。

*戦後の日本美術シーンには、「具体」と呼ばれる前衛的な美術集団が存在しました。

という数文字くらいのことしか知らなかった「具体」。
パフォーマンスやインスタレーションなど形式に捉われない活動も行われた、ということで、何だかわけのわからないだけだったらいやだなあと思いながらも、この機会に知ってみようと、おそるおそる行ってきました。

結果、とても面白かったです。
まず、回顧展なので一通りの流れをパックで見られたことが、GUTAI初心者としてはとにかく良かったです。小さい展覧会で数点見ただけだと、うーん何だこれ、と理解を深めるのも難しそうなところ、今回は39人の作家の150点くらいの作品が揃っていることでGUTAIワールドにどっぷりと入ることができました。


この展覧会はどれくらいの人が訪れるんだろう?
国立新美術館はきちんと宣伝できているんだろうか。でも宣伝だけでどれだけハードルが下がるのか分からない。戦後の勢いで何か変なことしてた人たち、くらいのイメージしか無かったり、力強く押し出された「具体」の響きもちょっと怖いし。。すごく知っている人以外は、ちょっと足が重いような展覧会な気がします。

そんないらぬ心配をくどくど思うほど、面白かったです展覧会自体が。
もしかすると「2012年、行こうか迷っていたが行ってよかった展覧会No.1」かもしれない。GUTAIという存在を知れたインパクトと、GUTAIメンバーの作品が集まっていることで分かるそれぞれの作家の面白さ。

平日なので人はまばらでしたが、同時代に生まれた表現スタイルということで言えば、この間のジャクソン・ポロック展と同じくらいには盛況となるべき展覧会なんじゃないかと思いました。


村上三郎氏の「紙破り」という代表的なパフォーマンスを、今回の展覧会オープニングに際してご子息の知彦氏が行った映像。
この破られた部分が展覧会場の入り口となっていました。

図録などを読んでいると、パフォーマンス自体が作品なのではなく、この行為によって破られた紙があくまで作品のよう。制作過程のセンセーショナルな部分が特に語られやすいので、行き過ぎた評価がなされてきたり、GUTAIの本質とのズレを生じさせているというようなことが書かれていました。それはGUTAIの事を知っていくほど、確かにと分かることでもあります。
でも語りたくなる要素がいっぱいの衝撃を受けるのは間違いない・・。また右の写真が良い感じなので余計にかも。写真を撮った人も凄い。

人のまねをするな、誰もやっていないことをやれ

というのがGUTAIを貫いた一つの指針。
これは、「具体」を結成させた吉原治良(Yoshihara Jiro)の言葉。


この人の存在自体がGUTAIそのものでもあったようなカリスマ的リーダー。メンバーは吉原に作品を見せては「ええ」「あかん」とだけ言われたそうで、絶対的な影響力を持つ存在。そんなバランスで成り立っていたのがGUTAIの面白く不思議なところ。

 白髪一雄「天雄星豹子頭」1959年
ロープにぶら下がって足で描いたりする白髪一雄さんの絵。サイズも大きくて絵の具の迫力があるので、周りの空気が変わってしまうほど。

 田中敦子「絵画」1960年
5月頃まで現代美術館で大規模な回顧展があった田中敦子さんの絵。なぜかサインの部分がすごく丁寧でふしぎ。

 白髪富士子「作品No.1」1960年
白髪さんの奥さんの富士子さん。ガラスとか紙とか布が一緒に塗込められている。ちょっとくぐもった色合いが良くて女性っぽさを感じる。

立体の作品もさまざまありましたが、絵の形式だと抽象画は特に伝わりやすいし、海外へも輸出しやすく売買にも都合が良いため、これらの絵が描かれた頃は、ちょうどGUTAIが絵画の形式へと集約されていく段階にもあたっています。
そして当時、ヨーロッパやアメリカで巻き起こっていたアンフォルメルや、抽象表現主義の流れに取り込まれ、海外での展覧会への出品や個展、グループ展も盛んになった頃です。

そうして現在までの間も、GUTAIは海外で評価があり、そして日本での活動場所だった関西の方では比較的知られた存在だったそうなのですが、東京ではほとんど実像が知られていないままだということで、今回の展覧会はそこを埋めるための場でもあるそうです。

展覧会をとおしてGUTAIの軌跡を見て行くと、絵以外の形式の作品もおもしろかったので、絵に収斂されていってしまったというのは少し残念なことでもありました。

 元永定正「ざるから」1954年

 白髪一雄「超現代三番叟」1957年
舞台を使って作品を発表したりということも試みていて、この赤い衣装はその舞台で使用したものなんだそうですが、おもしろ恐くてしばらく目が離せませんでした。

展覧会場には当時の舞台映像があったり、電飾で作られたドレスがあったり、箱に耳を近づけて音を聞くとか、ボタンを押すと繋がれたベルが順番に鳴っていくとか・・・
それぞれの人が色んな事をやっていたんだなあと。どこまでなら作品になり得るか、人の真似でない表現なのか、実験をしているようでもありました。

「誰もやってないことを」
という言葉の下で、生まれてきた前衛的な表現を見ていると、美術という既存の枠組みを壊したり問いただしたりしていたのか?、とかさらに深い理念を探ってしまいそうになったのですが、なんだかそういうことでもないようでした。それも妙にGUTAIの面白かったところで、これはポロックを見たときに思った感じと似ていました。

では何をもって「誰もやってないこと」と言っているのか。
吉原さんは、視覚・感覚・形式だけで成り立つ純粋な表現にこだわっていました。作品の世界だけで簡潔する抽象にこだわっていました。あくまで色・物質・形だけでの抽象的表現を作り、その中で「誰もやっていないこと」をストイックに求めていたという事です。

吉原さんの残した言葉には、真に受けて理論として考えてみようとするとあれ?となるようなものが多いです。最終的には「ええ」「あかん」があって、GUTAIというものを一貫して語れる理論は存在しないんだと思いました。

たぶん今回の展覧会を素直に面白いと思ったのも、全体を通してコンセプチュアルな作品が無く、知覚のインパクトだけに一点集中していたのが、変に物思いにふける感じにならず楽しめたのかもしれないです。

具体は1972年、吉原さんが亡くなったことによって解散を決定し終焉。
そして気になるのは、メンバーそれぞれが思っていたことや、それぞれの進んで行った道。時代が近いだけに沢山本も出てたりするので、ちょっと読んでみたいと思います。あと大阪万博で行われた「具体美術まつり」の映像がかなりキテレツでよかったので、あれをもう一度見たいなあ。DVD化されないかなあ。

個人的に好きになった元永定正さんの作品。

左はは会場を出たところに吊るされていた色水の入った袋。
右のモニョっとした形の絵が特徴的な元永さん、、アッと思ったら


『もこもこもこ』谷川俊太郎

この絵本で見覚えがあったのでした。

この展覧会でいちばんぐっときた元永さん石の作品は、そのためにも図録を購入したのに、大々的に写ってなかったのがちょっと残念でもありました。


この石は必ず真似して作ってみよう。


2012年8月15日水曜日

感想 「応挙の藤花図と近世の屏風」いってきました


円山応挙の藤花図を見に、根津美術館に行ってきました。
展覧会は、重要文化財の「藤花図屏風」を目玉に、草花や花鳥を描いた江戸時代の屏風の数々。といっても全部で十数点なので、疲れを気にせず、大きな屏風を前にゆっくり眺めることができました。

「藤花図屏風」 (右隻) 円山応挙 安永5年 1776年 44歳 

そんな感じで描いちゃうの? という筆使いが特徴的な藤花図屏風。
へんな幹のかたちを、椅子に座って眺めてみたり、近づいてみたり・・・

この独特の描き方は、応挙が完成させた「付立て」という技法によるもの。濃い墨と薄い墨を一度に含ませた筆を寝かせながら一気に描き、その濃淡を立体表現として利用するという方法なんだそうです。
するするっと勢いに任せたように見えるのに、計算され尽くしていないと出来ないような微妙な濃淡、ほそい蔓の曲線や全体と余白のバランス。どこまでが加減されていて、どこまでが偶然かわからない、そんなセンスを楽しめる幹でした。

すこし離れた距離から見ると、ふしぎと藤の花は立体感が感じられて、きらきら光っているように見えます。近寄れば、荒くも見えるような幹や蔓も、距離を持って見ると、なぜか立派な存在感。座って屏風を眺められるなら、ちょうど花を見上げながら、お花見ができるような華やかさもあります。

「藤花図屏風」 (左隻)

応挙というと、写生を基本とした写実主義、「写生の祖」とよく聞きます。
しかし精巧な写実画などを知っている今の時代から見ると、これが「写生」というの?という単純なハテナがありました。では応挙の写生ってなんなの。

ということで、今回もあわせて講演会を聴いてきました。
「円山応挙と18世紀の京都画壇」というテーマで、学芸主任の野口 剛さんによるお話です。それをもとに、私なりに解釈したことを覚え書きします。

写生、、、
というのは見た物を客観的に正確に写し取ること。
十分に観察し、見た通りを描くこと。

応挙の作品は、あくまで写生を元にして作られた作品であって、
応挙=写生画ではない。
写生を軸にして絵を制作する、そんなことをした初めて絵師ということで、「写生の祖」。

というのも、それまでは基本的には師匠の絵をもとに、これはこう描く、と筆使いや描き方をマスターしていくのが普通で、スケッチをする人がいても、それを作品に生かしたりするのは稀、むしろ物を正確に写しただけの絵というのは、図鑑的で芸術的に優れたものとは見なされないような風潮があったそうです。

応挙も絵の一般を習うため、石田幽汀という人のもとに短い間弟子入りしていたようですが、絵の制作方針に影響したのは、働いていたおもちゃ屋さんでの人形制作や、レンズで覗いたら立体的に見えるめがね絵の制作など、3Dな“モノ”を意識的に捉える体験によるものが大きかったということ。
さらに時代は、本草学の発展や「解体新書」の刊行など、形態の観察を基にした博物学や解剖学などの流行もあり、応挙のような姿勢をもった画家が生まれる土台がしっかりあったこともあります。
「絵は応挙が世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵が皆一手になった事じゃ。」 上田秋成『肝大小心録』
応挙が出てきたのでみんな写生ばっかりになった、と上田秋成が書き残しています。
この文章の後には、「これは狩野派の衆がみな下手ゆえの事じゃ・・・」と手厳しい文章も続きます。

新しい手法を元に作られた応挙の絵が、京都画壇に登場して一躍評判になったのは、当時の狩野派の絵に形式主義的なマンネリ感が生まれつつあったということが一方でありながらも、だれもが写生画をやりはじめたということは、応挙が全く理解不能なことをやっていたわけでなく、時代の流れに呼応して生まれた必然的なものだったのだと思います。
それまでぽつりぽつりと降り始めていた写実表現に対する機運を、応挙がドシャーっと大雨にして降らせたような。流行は、やっぱりとんでもないことではなくて、少しだけ先を行っているもの。

そんな「応挙の写生」は、どんなものなのか。
私が絵を見て感じるのは、納得感です。藤なら「ああ、藤ってこういうものだなあ」、鯉なら「たしかに鯉ってこんな存在感だなあ」、とそれ以上でもそれ以下でもない、妙な納得感があります。
事細かに緻密な描写で写し取っているわけではないのに、「そうそう、」というなぜか実感を伴う感覚があるのです。

遠目でみて、そのように見えればOK

というような事を、応挙自身も大事にしていたようですが、「見る」という事をとても重視して、ほんとうのように見える方法を絵画技法や理論として残していった人でもあります。ここまで納得感があるというのは、もの凄い観察に観察を重ねた目があったんだなあと思います。

ほんとうのように思わせる実感、
を与えるためには、ただ目に見える部分だけの問題ではなくて、人に感じさせることをしないといけない。つまりそれは人が持っているイメージを描かなければいけない。だから単純に写実、写生そのものでは表す事ができないけれど、そのために写生は必須のもの。
人のイメージは克明なものではないので、きっとある部分が強調されていたり、薄らいでいたりと偏っている。生を写すことは、私たちがその物をその物と認識している観念が何なのかを追求することなのかもしれないです。

そんな応挙は、どういう表現方法であればそのモノの存在感が伝わるか、ということをものすごく意識して、人間の「見る」という知覚方法を頼りに、絵で視覚効果の実験をしていたようにも思えました。

見た目の単純な一致、だけでなく雰囲気や質感、最終的には気配までを描いた応挙。
逸話として、応挙の描いた鶏が今にも絵から抜け出しそうだと、衝立てに網がかけられたという話がありました。そんな迫真にせまるということは、人が見れば単純に驚き、この驚きの力が一躍評判になった力でもあり、応挙自身驚かすのが楽しかったのかも。


そんな感じでひとまず理解したのですが、まだまだ解せないことも残ります。イメージは伝わってくる応挙の絵ですが、生き生きしたライブ感があまり感じられないのはなぜなんだろう。存在感があるのに、でも何かが犠牲になっているというか死んでいるような。
手で触れられるのに無臭。
その妙な矛盾感がなんなのか。これはまた考えることとして置いておこうと思います。


ということで、根津美術館ではやっぱり最後にお庭をひとめぐりして一息。


雨上がりが良い。


いろんなお方がいます。こんにちは。


秋はどんな感じかな。