2012年9月17日月曜日

長谷川潾二郎


この猫があまりに気持ち良さそうで、このままそっとしておきたくなったので、新聞を切り抜いて置いておいた。
数日後、なんとなくこの猫のことが気になってきた。そういえば、新聞の解説もぜんぜん読んでない。新聞をもういちどひっぱり出して、ちゃんと読んでみた。

絵を描いたのは、長谷川潾二郎(はせがわ りんじろう)という、もうすでに亡くなっている人でした。そしてこの絵は完成までに何年もかかったという。それは猫がこのポーズをとるのが年に数回しかなく、長谷川さんはその時だけしか描かず、絵の仕上がりを待たず猫は亡くなってしまい、この絵を譲ってほしいと画商が現れるが、まだヒゲを描いてないからと断り、さらに月日は流れ、「できました」と画商に連絡があり絵を見てみると、ヒゲは片方しか足されていなかったという。
わたしたちとは違う時間を使って絵とずっと対峙してきたような、画家の気の長さが窺い知れるようなエピソードが書かれてありました。

眺めれば眺めるほど、猫から目がはなせない。周りの空気ととけあうようにまどろんでいる猫の存在感は、こちらの気持ちを動かすような優しさがある。猫と時間と長谷川さんの世界。たんなる筆の足し算だけじゃない、たんにリアルなだけじゃない、言葉ではあらわせない感覚までを描いたこの長谷川潾二郎さんとは ?


『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』

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到着したこの画集は、2010年に開催された「長谷川潾二郎展」の公式図録兼書籍として刊行されたものでした。

絵が沢山収められているのはもちろんですが、本人によるエッセイのような文章が入っていて、それを読みおわる頃にはもう長谷川さんの大ファンになってしまったのでした。

「写生を見る人々」では、道端で絵を描いている長谷川さんのそばを通り過ぎて行った人たちの話が、すこし空想も交えながら綴られているのですが、その語り口になんとも静かなユーモアがあって引き込まれます。ある時は側で写真撮影がはじまり、そのままモデルと勘違いされて色々指示をされることになった長谷川さん。彼らに協力しよう、と絵を描く画家を演じた話とか。

絵になった猫の「タローの思い出」という話。読み物としてもすてきな物語で、ちょっと涙も出てしまいそうなタローのこと、絵が生まれるまでのこと。ふと思いついて書いたというタローの履歴書がおもしろく、最後には念入りに前足で押された拇印がかわいらしい。


○近況と自己PR
二十才の時描きはじめた画が未だ仕上らず、今も描いたり消したりしている有様。当年七十四才。
○好きな言葉
何事も判断してはいけない・・・ 
○好きな食物
よく煮たもの

これはどういう経緯で書かれたのかわからないですが、「この人Q&A」と題されたものから。その絵からも言葉からも、同じように伝わってくる長谷川さんな感じ。

長谷川さんの絵を眺めていると、見ているものと自分の間に不思議な世界ができあがる気がします。身の回りのものを描いた静物画も、当たり前のものがどこか当たり前でないような、現実とファンタジーのすきまのようです。
そんなふうに物が在るのは「長谷川さんの目」の独特さによるものですが、長谷川さんのように物をみつめてみたいと思うようになります。



たまたま読んでいた安野光雅さんの本で、アンリ・ルソーを代表とするナイーブ派(素朴派)と呼ばれる人たちには、ふしぎな共通点があるように思う、とまとめられていたものが長谷川さんにもちょうど当てはまる気がしたので、その内容を要約しておきます。

1.「誠実さ」を感じること
専門家の作品にありがちな、達者という感じがなく好感が持てます。わざと下手に描く演技をしているわけではありません。 
2.人と競争しない、比べない
闘うとしたら、相手は自分です。 
3.プロの真似をしない
自由です。これは良くも悪くも自分を大切にするということです。 
4.世間の束縛がない
プロは一人で描いているだけ、という具合にはいかないので何らかの束縛の下にいます。 
5.格別、栄誉を求めない
描いていればそれだけで満足ということです。これは、絵で身を立てようと思う人には難しいことです。 
6.自分の絵を客観的に見る力
自分で伸びていこうと思うなら、やはり試練だと思って、客観的な見方について考えなければなりません。


『絵のある人生』安野光雅 (2003)

「ナイーブ派」と呼ばれる人は、生まれも人種も違うのにふしぎな共通点がある、と安野さんは言っていますが、税関の仕事をしながら独学で絵を描き続けたルソーと、画壇との関わりを持たずこちらも独学で油彩画を学んだ長谷川さんは、まさにその共通点をもっているとおもいます。長谷川さんも初期の頃こそ、他派の表現やそのルソーの影響が見られる絵があると指摘されていますが、ゆるやかに離れて独自の道へ進んで行きます。

素朴派の人たちの道は、それはそれで大変試練のある道のようにも思います。比べない、真似をしない、自由である、それは自分に沢山のことを問い、何か大切な視点を見つけ、自分にとっての豊かな世界を築いていくことだとおもいました。安野さんが見つけた共通点は、ふだん自分が生きていくことにも取り込んでみたいエッセンスが含まれていました。

現実は精巧に出来た造られた夢である。

長谷川さんが残した詩的な文章のなかで、このことばが心に残りました。


1 件のコメント:

  1. 長谷川さん、知らんかった~~Q&Aに撃沈!
    こういう、ちょっと不器用で、ゆっくりで、
    でも地道に前に進んでる感じって愛らしいよね。

    安野さんの本買ってしまった~127円(笑)

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