2012年11月5日月曜日

感想 「お伽草子 この国は物語にあふれている」いってきました


今年一番楽しみにしていたかもしれないサントリー美術館の「お伽草子」展。

絵巻や絵本の形で楽しまれた「お伽草子」は、室町時代から江戸初期にかけて盛んに作られ、広まっていった短編物語の総称。「この国は物語にあふれている」と展覧会のサブタイトルにあるように、現存しているものでも400種以上の作品が存在しているといわれています。絵の中の世界はどこかかわいくてほのぼのしていて・・・とても戦乱の世に作られたとは思えません。こんなに楽しい物語を作り出し鑑賞する余裕はどこにあったのかと、時代背景を知るとなおさら不思議になります。

お伽草子に心ひかれる理由。
それはやっぱり絵のかわいらしさと素朴さでしょうか? 何百年前のものでも今に通じる「かわいいー」があります。中には恐い絵もあり全てがそうではないですが、親しみの湧く絵を見ていると、当時の人とそれほど変わらない感覚で今も見られる気がします。絵を見るだけでも楽しくて、気軽にお伽草子の世界に入っていくことができます。


かわいいの代表といえば、ねずみが主人公の「鼠草子絵巻」。
サントリー美術館が現代語訳したものを絵本の形にして出版している素敵な本がありますが、それを見ながら一場面を写してみました。みんな着物も違って、名前も一匹一匹ついていて、一場面だけでも楽しめる要素がたくさんです。


この物語は需要があったためにいくつか伝本があり、サントリー美術館のものだけでなく東京国立博物館の所蔵品も今回一緒に展示されていました。

鼠草紙はすごくかわいくまとまっていて完成度が高いのですが、お伽草子のなかでも魅力的に思うのは、今で言う「へたうま」的な絵の作品があることです。へたうまというより、「へた」かもしれないです。でもそこに何ともいえない魅力があって、絵巻の展覧会などになると、まだ見ぬおもしろ作品があるのではないかと、ぎこちない絵を探そうとしてしまいます。

そんな絵を「素朴絵」と呼び、本にまとめている方がいます。

『日本の素朴絵』矢島新  2011

「鎧で固めた歴史の中を、裸で通り抜けてきた「素朴」のある事実が、なにより嬉しい。」というこの本の帯にあった赤瀬川原平さんの言葉がとても好きです。美しく風雅な文化を築き上げてきたなかで、のんきに素朴が通り過ぎていくのを想像するとほほえましくなります。この「かわいい」はやっぱり日本の大事な感覚です。
この本にはお伽草子以外にもきゅんとくるツボな素朴絵の数々が紹介されていますが、今回展覧会に出品されていたものもいくつか載っています。

お伽草子に見られる素朴絵のなかで、最も破格の表現といえば、やはり日本民藝館所蔵の浦島絵巻のラストシーンなのではないかと思います。


こういう感じで、箱をあけると煙が首にダイレクトに刺さるっていう、恐ろしい描写です。民藝館ではじめてみたときには度肝を抜かれました。
ちょうどこの場面を今回も見ることが出来ましたが、それを見ている人を見るだけでも楽しめました。
民藝館といえば、もう一点。心をわし掴みにする「築島物語絵巻」というものがあります。素朴絵の代表格で、矢島さんの本の表紙にもなっているものです。今回出品されるのかなと思っていたのですが、どうやらこの時期はパリで開かれている展覧会に出ているようでした。残念でしたが、しかし描いた人もまさかフランスまで行くとは想像もしなかったことと思います。

絵を見ているだけでも楽しいお伽草子ですが、ストーリー自体も「へん」だったりするのが心ひかれる二つ目の理由です。沢山の人に楽しまれてきただけあって、お話自体も分かりやすいのがポイントです。
テーマが面白い「付喪神絵巻」は、人間に復讐する古道具たちの話。展開が急な「掃墨物語絵巻」は、おしろいと眉墨を間違えて真っ黒な顔で来客を迎えてしまった女性がそれを機に出家するという話。おならってやっぱりいつの時代もおもしろなのか、突然妙音を出せるようになった男の話「福富草紙」などなど、短編でむりやりまとめようとするからこうなったのか、その荒唐無稽なストーリーの発想はどこから出てきたものなのか、とても気になるところです。
内容も面白いので一つ一つゆっくり読みたいのですが、絵巻や絵本形式だと展覧会では一場面しか見られなかったりするので、お伽草子は手元に欲しくなってしまいます。

お伽草子展の図録。これだけでも楽しめます。

今回は、高岸輝さんという現在は東京大学大学院の准教授の方による講演会もあわせて聴いてきました。テーマは「戦国時代のお伽草子絵巻流行と土佐光信」。
とっぴな絵巻の世界に向き合い、長い間土佐光信の研究をされてきた高岸さんという方は、静かなユーモアあわせもっていてお話自体おもしろかったのと、堅苦しくなく土佐光信という人を知る事ができて大変良い機会になりました。

室町初期から朝廷の御用絵師をつとめていた土佐派というのは、5世代目にあたる土佐光信の活躍で最盛期を迎え土佐派としての画系を確立したそうです。
彼の時代はちょうど東山文化が華開いていたころ、雪舟と同時代の人になりますが、当時では光信のほうが断然メジャーで画家としてトップの地位にいる人物だったということ。展覧会には光信筆と考えられている「地蔵草紙絵巻」という絵を見ることができました。宮廷お抱え絵師というくらいなので、かなり格式張った絵かと思いきや、ちょっとゆるさがあるのが意外でした。

「地獄草紙絵巻」の最後。大蛇になってしまった僧が呪いからとけ、背中からぱっくり抜け出ることができた場面を写してみました。シリアスなシーンだと思うのですが、ほんわとしてます。

光信に至るまでの土佐派の絵の変遷も講演会で見せてもらいましたが、一言でいえばだんだんとかわいくなるのがその特徴ということ。光信は古典的なやまと絵を踏襲するだけでなく、細かい情景や心情が伺えるようなニュアンスを描き出し、独自のスタイルを築き上げています。「土佐光信という芸術家」と講演会の資料には書かれていましたが、絵師ではなくあえて芸術家としているところに、光信の別格さを物語る高岸先生の思いがあるようで印象的なフレーズでした。時代や文化的にも転換期を迎えていたなかで、伝統から絵を作る単なる絵師にとどまらず、自らの目で見て絵を作ろうとした人というところに、光信という人の評価があることが分かりました。

「光信の目」の一端も見られるのが、三条西実隆という人の似顔絵ということです。


これを見た実隆は「十分不似、比興也(似てねー、面白い)」と残しているそうですが、絵を見るとリアルに目の前の人を描写している感じが伝わります。本人が認めたくなかっただけでこれは絶対に似ている、と高岸先生が断固として言われていたことがおもしろかったです。

「地獄草紙絵巻」の詞書は、この三条西実隆という人によって書かれたものと考えられているそうです。三条西実隆さんは室町時代の最高のインテリともいわれるお公家さんで、光信との最強コンビによって、宮廷や将軍、天皇など文化の頂点にいる人たちの高い鑑賞眼にかなうよう絵巻などが制作されていたということでした。

また、天皇などがお伽草子を楽しんでいたことは、日記などの資料にも残っているそうで、なかでも足利義政の子の義尚がかなりの絵巻オタクで、天皇と絵巻の貸し借りをしていたというおもしろいエピソードの紹介もありました。

たのしい講演を聴いたので、そんな高岸先生の書いた本はないのかなと図書館で2冊借りてみました。

『室町王権と絵画―初期土佐派研究』高岸輝 2004
『室町絵巻の魔力―再生と創造の中世』高岸輝 2008

上のほうは土佐派の系譜などについて学術的に書かれている本だったので、本格的に土佐派のことが気になったときにがっつり読んでみたい本でした。下のほうは「室町絵巻」とテーマが広がっていて、今回聴いた将軍家と絵巻の関わりや個別の作品についても触れられていましたが、とはいえこちらも研究的な本でしたので軽く読み流せるタイプではなかったです。どちらも室町時代と絵巻について深堀りしたい時の参考書的なものでした。

講演会のタイトルを見た時は、土佐光信ってだれやねん、という気持ちが満載でしたが、自分のなかで知名度が低いものを簡単に見逃してしまうってよくないなと、ふたたび強く思いました。だいすきな庶民的なお伽草子が生まれてきたのも、そんな社会のトップクラスの人たちがそのプロトタイプの制作に関わり、作り上げていった文化があったことを今回は学びました。そして土佐光信さんに出会えてよかったです。 



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