2012年6月22日金曜日

感想 「ボストン美術館展」いってきました




ボストン美術館展にいってきました。
東博での展示が終了する週末に訪れたので、雨にもかかわらず平成館の前には大行列。。中に入れば、椅子に座ってぐったりしている人多数。最終週と休日は二度と上野に行かないと心に決めました。

「吉備大臣入唐絵巻」は一番人で溢れかえる前半に展示されていたので、案の定、人・人・人でどこに絵巻があるか分からない状態。

昭和初期に、この絵巻の海外流出が発覚したことが契機となり、歴史上重要な美術品は国の許可が無いと海外輸出してはいけないという「重要美術品」の法整備がされたという話をききました。
今回ボストン美術館から帰国した選りすぐりの品々を見て、絵巻、仏像、着物、刀剣、屛風、、とこんなに多くの、それも日本美術にとって重要なものが出て行ってしまったのかと少しさみしい気持ちになりました。
しかし、このコレクションが形作られる当時は、日本が自国の文化を顧みず、西欧に倣えと一直線に近代化への道を進もうとしていた時。「吉備大臣入唐絵巻」でさえ、10年ほど売れずじまいなので商人が困っていたといいます。そんな時代に、かのフェノロサ、ビゲロー、モースらが日本美術の芸術的価値を見出し、収集していった作品の数々が、ボストン美術館へと次々収められていきました。
さみしさ半分。でも彼らがコレクションしてくれていなければ、今回見た作品はちりぢりばらばらになったり、行方知れずになったかもしれません。さみしいの一言で片付けてしまうのもなんだか他人事で、日本人自ら勝手に流出させてしまったんだから何とも言いようがない。そう思うと、大切な日本の美術品を大規模に集めてくれたこと、その収集も彼らにしか出来なかったと思うと、ありがとうフェノロサ! 今日この美術作品たちを見ることができて嬉しいです、とお礼を述べたいです。

出品数は全部で70点。もっと沢山見た気がします。すべてが目玉作品級のため、感想も沢山ですが、個人的に忘れたくない気持ちだけ覚え書き。


「江流百里図」狩野芳崖 1828〜1888
なんでしょうか、この生理的な曲線の膨らみ。こんなタッチの漫画をみたことあるような。パトロン的存在であったフェノロサの理想とする絵画の理念に従い制作した、晩年の作品。実物を見ると画像よりさらに違和感がありました。


「帷子 染分麻地御座船梅竹模様」 江戸時代
麻布を単衣仕立てにした夏の小袖を帷子(かたびら)と呼ぶ・・そうです。繊細さ大胆さ遊び心の同居した美しい着物たちが展示されていましたが、これが一番好きでした。画像では生地感や、細部の手の込んだ色とりどりの装飾の感じが失われてしまい全く分からないですが、わ〜素敵!と感嘆の声が出そうでした。舟に乗っている人々がまあ楽しげ。


「松島図屛風」尾形光琳 1658〜1716
やっぱりこれは見たかったです。金色に輝く麺。のような波。光琳が元にして描いたという宗達の松島図はフリアー美術館に。2つを並べて見てみたい。図版でしかお目にした事はないですが、インスパイアの元となった宗達のほうがやはり好きです。


 「十雪図屛風」(右隻)狩野山雪 1590〜1561
 十雪図というのは、「雪」にまつわる10の文人逸話を絵画化したものを指すそうです。かっちり整った美しい絵、完成されすぎた絵というのは、なんとなく面白みがなく見過ごしてしまいますが、この作品は整い加減が執拗すぎて逆に眼がとまる絵でした。強調された緻密さや技巧的な表現ばかりが気になり、絵の内容が全然頭に入ってこないというか、それはそれで面白いなあと思いました。

「龐居士・霊昭女図屏風」曾我蕭白

 「雲龍図」曾我蕭白

 「商山四皓図屏風」(右隻)曾我蕭白

最後の蕭白たたみかけゾーンは迫力の渦巻く展示室になっていました。「龐居士・霊昭女図屏風」は、もしこの絵の世界が現実ならば、多分恐ろしくて気絶してしまいそうな、薄ら気味悪さがありました。「雲龍図」はとにかくデカいという迫力、しっぽを踏まれてるようなぎゃふん顔をした龍。そしていちばん見たかった「商山四皓図屏風」では、ザッサーという筆の勢いと速さに驚き。そして上手い。商山四皓のうち三人が右隻の右から三人で、後一人は左隻に登場。その人が一番好きです。


中国の賢人たちも、 曾我蕭白の手にかかればこんなことに。この人はロバに股がりきれているのか分かりませんが、後ろ姿が何とも言えずかわいい。

どれもこれも同じ人が描いたとは思えない。蕭白は最低でも2人はいそうな気がしてしまいます。この振り幅と、奇天烈さ。とにかく曾我蕭白は変人だと心の底から思いました。


見終わった後は、お決まり考古ゾーンで埴輪を眺めて一休憩。
踊る埴輪の小さなスタンプがあったので買ってみました。



ho!

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