2012年3月31日土曜日

The Singularity is near.


ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき
レイ・カーツワイル

有名な人の有名な本だったらしいですが、全然知らずたまたま読んでみました。Amazon.com 2005年ベスト・サイエンスブック、日本では2007年に出版された本です。

科学の話に限らず専門的な内容の本は、テーマに興味があってもこちらの理解度が足りずやっぱり読めなかった、ということがありがちな中、この本は読みやすく一気に終わりました。分からなかったらすぐやめようと決めた上で読みましたが、面白すぎてサイエンス音痴な私でも全体の内容は理解できました。600頁とやたら分厚いので、科学用語の飛び出る細かい話ばかりかと思ったら、何度も著者の言いたいことが繰り返されているだけという分かりやすさもあり、分子とか量子とか細かいことが分からなくても読み進められます。

まあ読み始めたらビックリすることばかり。テクノロジーの進歩は日々少しずつ進んでいると勘違いしている間に、技術は加速するように発展していっており、ある時人間の生活が後戻りできないほど変容してしまう未来がくると言われました。それがレイ・カーツワイルの言う「特異点(The Singularity)」。

例えば、2020年代あたりには人間の知能と区別がつかないほどの超インテリジェントマシンが登場する。そのような機械の能力が発達すればさらに人間が追いつけないほどの知能の爆発が起こる。しかしその頃には人間が機械の知能と融合できるようなテクノロジーが生まれている。

倍々ゲームのようにあっという間にテクノロジーの進化は進み、これまでの生物としての人間の限界を超える時がやってくる。 というその時が特異点です。


もしやわたし・・・騙されてる⁈

この未来の予測がどれだけ当たっているものか、特異点論者に対してどれだけ批判があるのか分かりません。けれどきっと訪れるであろう科学の進歩の可能性を垣間見て、人間という存在について色んな考えをめぐらせることのできる、私にとっては哲学的な本でありました。

これまでの人間倫理や道徳からすると首をかしげそうになる予測についても、レイ・カーツワイルの論調は結構明るくて、人間というものをかなり柔軟な存在でありうるとする捉え方も面白い点でした。

ヴァーチャルリアリティで好きな体になり変われるバージョン3.0の人体、ナノテクノロジーの利用によって体の細胞単位から死を遠ざける技術、機械のような非生物的な知能を取り込んだり、 他人の感情反応を体験することができたり・・・

テクノロジーの進歩、人工知能の台頭、感覚的に考えれば不安や疑問を巻き起こすことでも、下に引用したような文章を読むとやたら騒ぎ立てることでもないように思えてくる。

人類は・・・すでに生物的な限界を超えつつある。技術によって改良された人間はもはや人間でないとするなら、その境界線はどこに引けばよいのだろう? 人工心臓をつけた人間は、まだ人間だろうか? 神経を移植された人は・・? それが二カ所になったら・・?  脳に10個のナノロボットを挿入した人はどうだろう? 5億個ではどうか? ・・○○個より下なら人間で、それを超えれば「ポスト・ヒューマン」というように。

でも、技術の革新や時代のパラダイム・シフトは、結構気づかないうちに当たり前になっていくものなんじゃないかと思っています。例えばこの20年くらいの間にも、変わったことなんて沢山あっても思い出すのがちょっと難しいように。それが具体的に何の技術の進歩によるものか分からなくても今iPhoneを手にしているように。技術を受けている側からすれば、受け入れる速度も加速度的に当たり前になっていくような気がします。

この本を読んでいると、自然と未来を知りたくなりますが、この「知りたい」というのが曲者だなあとつくづく感じる。「死」への恐怖と同じくらい、「知りたい」という欲求はすごい。寿命がいくら伸ばせてもそんなに長く生きていたくないや〜、と生きることに無頓着であっても、100年後、1000年後のこの世界がどうなっているか知れるよと言われると、ちょっと心動かされてしまう。明日の天気、あの人の好きな事、暴露話、解けない数式、イカの生体、宇宙は何か、、、知りたい気持ちは飽くなき欲求です。


今、お台場の日本科学未来館で開催されている特別展示は、そんな話と少しリンクしたような企画展なんじゃないかと思います。


「永遠の生を手にいれることができたら、ほしいですか?」「テクノロジーの進歩によって失われたものはありますか?」などの73の質問とともに、世界の「終わり」を考える自己対話型の内容だそうです。

それから、ポスト・ヒューマン時代をより現実的に描いているというこの映画。




土日で観てみます。

レイ・カーツワイルの本は日本語題では「ポスト・ヒューマン」となっていますが、実際読んでいくとどこかの時点でポスト・ヒューマンが生まれるというものではなくて、私たち自身が生物進化をぶっ壊して人間の限界を拡張していくということを意味していました。

そんな時代が来ても、わたしは普通に眠ったり夢をみたりするのかな。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という映画がありましたけど、ポスト・ヒューマンは何の夢を見るんだろう。

ヒューマン!

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