2011年12月29日木曜日

想像のかたまり


ハーモニウム(Harmonium)
水星でこれまでに発見された、ただひとつの生物だ。ハーモニウムは、ほら穴に住んでいるんだよ。これよりも美しい生物はちょっと想像できない。
(『いろいろなふしぎと、なにをすればよいかの子ども百科』)


これまで色々な物語の中で生まれてきた空想上の生き物。。。
そのなかでいちばん美しく素敵な存在は、この本のなかに。


『タイタンの妖女』
カート・ヴォネガット・ジュニア(1959)

SF小説で世界観に入りこむまで読み進めにくいけれど、全て読み終わるとおとぎ話を読んだような感覚になる。不思議。むかしからあるような神話みたいで、完璧で残酷な物語。

話の中で主人公が水星に彷徨い着いたとき出会うのが、ハーモニウムという謎の生き物たち。性は一つしかないし、感覚は触覚しかない。
彼らは弱いテレパシー能力を持っているけれど、送信し受信できるメッセージはたった二つだけ。

"here I am(ボクハココニイル)"
"so glad you are(キミガソコニイテヨカッタ)"

。。。たったこんな言葉が、じじじじーんと胸を打つ。
その感動を味わって以来、ずっと心に残っている言葉。こんな見事なコミュニケーションあるかな。そんなことで、わたしのブログタイトルもここから付けてみたりしたのです。

この生き物は、小さな菱形で半透明になっている。水星の洞窟の壁からは黄色い光がでているが、その透明体を通り抜けるとき、光はアクアマリンの色に変わる。何の意味もないけど、その色と形をつかって、壁の上で整列し模様をつくって遊ぶ。水星がうたう歌を食べて生きている・・・そしてその音楽好きなところと、美への奉仕のために熱心に形づくろうとするところから、地球人たちがハーモニウムという美しい名前を与えたという。そんな素敵な生き物。


あたりまえだけども
やっぱり物語は物語で
音楽は音楽で 
絵画は絵画で
それ以外では表せないものが凝縮している。

どれだけここでハーモニウムを説明しても、物語の中でこそじゃなきゃ味わえない感動がある。その興奮を人はどうしても伝えたいから言葉で表そうとするけど、言葉とはなんてはがゆくて不完全なツールなんだろう。だからハーモニウムに憧れるんだけども。

作者がこの生命体を思いついたときにはどんなイメージが巡って、どんな感動があったかな。全然考え及ばない。でもハーモニウムまでの美しい想像はできなくても、その端くれは誰の日々のなかにもちりばめられてるんじゃないかな。


..それはふと目を落としたコーヒーカップの中に ?


..それともレンズを通せば見える光の流れの中に ?

いつか想像のかたまりになるといいな

2011年12月14日水曜日

ゆうやけ こやけ

なんにもない休みの日、
はっと気づくと気配を感じる

ゆうやけとこやけの。

 2010/8/27


遠くの空もよく見える この家に引っ越してから2年くらい。
いろんなゆうやけとこやけがありました。

   2010/11/13, 2010/9/10

こんなに良いものを何度見過ごしているのか。
日没の時間帯は夕焼け鑑賞を優先してよい、
という「夕焼けの自由」の時代がくるといいな。

   2011/12/2, 2010/10/9

本格的なゆうやけも感動的。
だけどだんだんと無くなっていく色の中の
こやけもまたよい。

   2011/10/23, 2010/12/31

何も考えず無の境地にいけるような。
この空を鳥に乗って飛びたくなる。ニルスみたいに。

   2010/8/28, 2011/12/10

この夕焼け 夢気分にぴったりくるような
音楽や何かがないかなと考えていたら
なんとなくこの詩を思い出した。

生きているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ(谷川俊太郎 「生きる」より)

ミニスカートのところがいいなあ。

2011/10/19

象を使って雲を吸い取らせてみたい。

2010/11/2

ゆうやけ。こやけ。
またね〜。

2011年12月6日火曜日

『古美術と現代』吉沢忠

昭和の時代に活躍された美術史家、吉沢忠氏の本を読んだ。

吉沢忠『古美術と現代』(1954) 東京大学出版会


奥付を見ると、著者の住所欄まである。定価は330円となっていて、時代を感じる。戦争が終わって9年、1954年(昭和29年)に出版されているのでもう60年近く経つ。

内容は、当時の美術政策に対する批判や、美術界・古美術界の実情、芸術の本質について、また観賞者の立場や現代画家の問題点など、吉沢氏がいろいろな雑誌などに寄せた40本ほどの文章を収めた作りになっている。謙虚に、でも鋭く、真摯な文章。

戦後からの60年という時間は、物事が発展するのに十分な長さを持っているような気がするけれど、この本で書かれた美術の世界に対する問題意識などは、読み終わってみると学ぶこと、考えさせられることがあり、内容については決して古いという感覚がなかった。それはこの60年のあいだで、それほど大きな変化がなかったということなんだろうか。

この本の中にあえて基調をなしているテーマがあるとすれば「日本美術における伝統と創造の関係」といえるかもしれない、とあとがきにある。もしかすると2011年の今でも、このテーマに対する状況がそれほど変わっていないからなのかもしれない。時代感覚があまりピンとこないけれど、今の自分の親が生まれたのが大体60年くらい前。その頃と現在とを考えると、表面は大きく変わって見えるけれど、本質はそれほど変わらないような感じもする。


現代の日本の美術は、自分の中に生きている古典をもたぬ。


という指摘がいくつかの文章を通して見られた。美術の世界だけでなく言えることだろうけれど、この一文を読むと、自分のことを省みて心が痛くなる。無意識に影響を受けながら、日本について知らない事が多すぎる。世界との距離が近くなり、客観的な日本人としての自分をより認識させられるような時代になって、今を生きる人たちはうすうす、、というより深刻に、日本の伝統や過去についてしっかり消化することの大切さに気づきつつあると思う。

過去と向き合うこと、過去との「対決」をしていないと吉沢氏いわく、古いものが、ずるずると、かすのように私たちの中にこびりついてしまう。

ずるずるとした かす・・

例えば、形式を受け入れることが伝統を受け継いだかのごとく錯覚し、形や技巧だけを踏襲したような形骸化した美術を生みだすこととなる。過去と対決できていないということは、つまりその現実ともきびしく対決できていない結果である。この本のあちらこちらで何度か登場するこの問題点。冷静な文章の中でも強い憂いをもって訴えられるこの点が、「日本美術における伝統と創造の関係」の問題点でもある。

戦後になると、デパートなどでも古美術展が開かれたり、古美術関連の本がぞくぞく出版されるような古美術ブームが訪れたという。過去を見つめる目がふえることは、その再評価を行えるチャンスだし、一見よろこぶべきような状況にも見えるが、安心してはいられないと吉沢氏はいう。なぜなら、過去の美術はどこか彼岸のものとして観賞され、現代の美術の創造と関係のないところで、古美術が切り離されてしまっているからだと。

過去を過去として切り離してしまう現象は、急速に発展した美術史研究が、単なる様式の変遷の解釈と、美術家たちの伝記集で終わってしまっていることに同様に見られる。日本の伝統、古典というものが形式だけのものとして解釈されてしまい、現在の私たちの中に生きているものとして捉えられない。これからの美術の創造と関わらないところで終始していることが、日本美術における伝統と創造との関係性となっている。

感覚的には、「つながっている感じ」を持てていないということだろうか。過去と現在の間に時空の歪みがあるみたいに、過去への直線を遡っていくうちに突如もう1本の平行線が現れるような。「○○時代の頃は~」と語るとき、どこか自分たちの歴史ではないような、他人事の感覚が少なくとも自分にはあるんじゃないか。

この本が出版されたのは、ちょうど高度成長の時代にさしかかった頃。だからこそよけいに、過去を清算せず急速に進んでいく時代を危ぶんで、このような問題を強く意識したのかもしれない。美術論としてだけではなく日本論的にも読める興味深い本。

日本の古美術の海外からの評価という点についても、いかにそれまでの海外での展覧会が政治色の強いものだったかという事情や、国宝や重要美術品がどのように決定されていたのか、日本の美術史研究の発展を妨げているものは何なのかという内情についても述べられていたり、純粋に作品の内容ではなく、それらいろいろの要素によって決まってきた美術品の価値や日本美術があることに、美術史の見方の複雑さを知った本でもあった。

日本のこと、美術のこと、何か色々と興味を持ったり知ったりしていこうとすると、この戦後の日本の成長期に足をとどめて過去の美と向き合った人たちのところへ行き着くことが多い。何かこの時代に立ち返るべきものがあるのか、どうなのか。。自分にとってもずるずるとしたものが何なのか見極めたいからかもしれない。

2011年12月3日土曜日

感想 「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」いってきました


一生のうちに、こんな絵を描けるとは
それだけでなんと幸せものなんだ

心躍るような素晴らしい絵に出会うとそう思う。

絵を描く道を自ら選んで生きる人にとって、表現したいものを表せるだけのテクニック、技術を身につけるのは勿論。その技を磨くだけでも相当に大変な道。。。だけど、自分の心は今どこにあり、何を理想とし、描き出したい本質は何なのか、という事を探し求めることのほうがもっと難しい。さらにその確信をいかに体現できるかとなると、それはもう考えるだけでも悩み、苦しみが取り巻く険しい道のり。 気が遠くなる !

自分にとってたった一枚でも理想の絵が描ければ、その画家は救われるのかもしれない。
青木繁の言葉を思い出す。

「私は今こういう考えを持っています。つまり人間というものは、紅と見えたものを紅と描き、白と見えたものを白と描くために色々と青い色もつけ黄色い色もつけてみるもので、その本然のうるわしい絶頂に辿り着かんがために、種々の境遇を通って進むものではないかと思うのです。そして一生に一枚でも立派な絵が描ければいいと思っています。」

でもきっと真理を追い求める人には、その飽くなき探究心によって、辿り着いたと思えばまた新しい道が現れるのかもしれない。

青木繁の人生史を読んだときに、美術にも心・技・体のバランスが必要なんだろうなと思った。初期の絵に潜んでいた破壊的な美のパワーも、病に倒れるまでのその不遇な人生を知ると、心身ともにその絶頂に辿り着けるまでのエネルギーを保ち続けられなかったんだなと残念だった。

そんな孤独で険しいイバラの道を通り抜けてきた作品を、山種美術館の「ザ・ベスト・オブ山種コレクション」でもたくさん見てきました。前から楽しみにしていた山下裕二先生の講演会もあわせて聴いてきました。



「ザ・ベスト・オブ」というだけの作品が並ぶ、創立45周年となる山種美術館の誇るコレクションの展覧会。前期は「江戸絵画と浮世絵」、「近代日本画」という構成。日本画はもちろんのこと、琳派や江戸の絵画、近代の洋画まで、創立者の山崎種二氏の時代から集められたコレクションは、美術界や古美術の業界で使われる「蔵が深い」という表現が、その充実ぶりを評するのに適していると山下先生は言う。

展覧会のキャッチフレーズである「教科書で、切手で見た名画、一挙公開!」というような有名作品に肩を並べて、一般の知名度としてはまだ低い知られざる名品をあわせて見せてくれるという試みがカッコいい。パンフレットの2作品は、まさにそのコンセプトを象徴とした構図になっているということ。



右は、美術関係者によるアンケートで山種コレクションの中からNO.1となった速水御舟の「炎舞」。左は近年再評価が高まっているという松岡映丘の作品から「春光春衣」。

今回初めて実際に見た松岡映丘の作品は、本当にこんな絵が一生に描けるなら幸せだろうなと、感じた驚きの作品だった。「春光春衣」の華やかさよりも、もう1点の「山科の宿」という絵巻型の作品からの一場面に衝撃。この心を動かされるドキドキを感じたくて、いろんな絵を見に行ってるんだなと実感する。突然の雨が訪れた空気、色づいた葉っぱが風に吹かれる様子、人物、着物、細部の上品な線、淡い色の重なり・・・どこからどこをとっても心を捉えて離さない素晴らしさ。

この時期ちょうど近所の桜の木が同じ色をしていたから、木の葉を見るたびしばらくこの絵のことを思い出すほど印象的な雰囲気だった。

松岡映丘「山科の宿」雨宿り

絵は生ものだということを、後で図録を見ながらひしひしと感じる。色も大きさも質感も印象も、プリントされたものと実物ではまるで別のもの。生のものを見ていないものについては、全く何も分かっていないに等しい。ましてや、画家が命をかけて描き込んだものが、印刷物に同じようにあらわれるわけもない。
先に本や資料で見ていてよく知っている気になっているものも、実物を見て、あれ?っと思うこともあれば、目にも留めてなかった作品が実際は思いもよらず魅力を放っていたりする。

会期中には「山科の宿」から別の場面が展示されるということと、次のテーマは「戦前から戦後へ」なので、どんな作品が見られるか期待がいっぱい。年明けに始まる後期にも行ってみよう。


2011年11月18日金曜日

感想 「池大雅ー中国へのあこがれ」いってきました

ニューオータニ美術館で開催中の「池大雅ー中国へのあこがれ」へいってきました。展覧会を監修された小林忠先生の講演会もあわせて聴いてきました。



少しずつ、色んな展覧会に足を運びながら、こんなに素晴らしいものが日本ではつくられてきたのかと毎回新しい発見がいっぱい。この時代だからこそ、美術館という場所で過去の大作をすぐに見られるのはありがたいけど、もっとひとつひとつゆっくりとどまりながら見たいという矛盾した気持ちも起こる。でもうかうかしているうちに、また次の展覧会が始まり、あちらへこちらへとせわしない。

せわしいわー !

今回の出品作品もほとんどが個人蔵となっているもの。次はいつ見られるか分からないとおもうとやっぱり足を運びたい。小林先生のいうとおり、絵や美術品との出会いも一期一会。たくさん見たいという欲求も尽きないけど、それぞれの出会いをきちんと意味のあるものにしたい。
それにしてもこの時代の情報量の多さ! 昔の人よりも遥かに多くのものを見ているにちがいない。過去の人たちは、もっともっと少ない情報から今より遥かに大きい想像を膨らませていたんだろうな。しかし今得られるその情報をバッサリ捨てるのも忍びない。まあ、あまり気負わず、あと50年くらいかけてゆっくり見て、ゆっくり色々なことを考えればいいか。

でももしかして、そんな情報量の多さによって現代人は萎縮している? 講演を聞きながらそう思ったりした。
大雅は当時中国から輸入された中国画から多くのことを学んだそうだけれど、それらの絵のほとんどはそんなに質の良くない物というかニセモノだったり、超一流品を見ていたのではないそう。そこから大雅は行ったことのない中国の景色を想像し、絵を描いていた。だから大雅の絵の方が、そのお手本よりもよっぽどうまかった。超えられないと思うものをたくさん見すぎるよりも、「なんだ」と思える程度の情報もある時には必要なのかな。素晴らしいものを見てそれが創造の動機になる人も入れば、多く知りすぎて意欲が削がれる場合もあるかもしれない。

でも知りたい、学びたいという知識欲は凄まじく持っていたから、今の人と比べると考えられないくらい若い頃から優秀で知識も豊富な教養人だった。中国画の研究とか勉強も熱心に行い、絵の技術も若くして本当に優れていたらしい。日本人は知識欲があるとよく言われるけれど、それは何故? ほんとうにそうなのかな? 島国だから外のものへの好奇心が知識欲を育んだの? そのへんも考えるとおもしろい。 

大雅は53歳で亡くなる。幼い頃から神童といわれるほどだから、天才だったと言ってしまえばそれまでだけど、人の寿命って何だろうと考える。もしも今も平均寿命が50才なら、一体どうなるんだろう? 寿命が伸びるとその分為せることも多くなりそうな気がするけど、若くして亡くなった過去の偉人たちをみるとそうでもないような気がしてくる。人間の一生の総エネルギーって、寿命が短かった頃と変わりないんじゃないかな。50で死ぬなら、ゆっくりゆっくり学生時代を送ったりするんじゃなくて、もっと人生を短縮するよね。人は先の寿命を見て、人生のペース配分をしているのかな。そりゃ婚期も遅れるね。。。

展覧会について。
出品点数は13点。足を運ぶ前は、数も少ないしこじんまりと見る感じかなと想像していたら、見た後の感覚ではあれ13点だった?と思うほど、作品から多くのものを見た気がする。本当に文人画は、画中に引き込まれてしまってひとつひとつ時間を使うから、一度に見るにはこれぐらいがちょうど良い分量。気の遠くなるような、心地。far away heart と小林先生はおっしゃっておりましたが、本当にそういう心地よさ。

まずとにかく見たかったのは、東山清音帖の洞庭秋月図。資料でしか見ていないから実物を見たかった。


通称、「ピョロリのおじさん」。 と勝手に呼んでいる。ピョロリの音が聞こえてきそうにすばらしかった。波のちぢれ具合も一本一本すばらしい。この境地に辿り着きたい。

カラフルでなごやかな作品も多いけれど、やっぱり心引かれるのは空白を残して、限りなく少ない描線で本質を突くような表現をしているところ。それは遠くの船を描いた部分だったり、朱赤の漆盃に黒でさっと描かれた風景だったり。デザインとして見てもきっと学ぶところがたくさんあり、刺激的だった。

知らぬ間に池大雅をすきになる。人物像についての話を聞いても、作品を見ても、その奥深さに、池大雅の研究に打ち込む人の心が分かるような気がした。

2011年11月17日木曜日

民の歌

シャンシャンシャン ・・・ ・・・

と、そろそろクリスマスの曲が流れ出すころ。

人々の祈りが込められて歌いつがれた賛美歌は、異国の人でも、異教徒の人でも、どこか聖なる気持ちにさせる力がある。

それって一体何の力なんだろう ?

とにかくクリスマスソングはいいものだなあと思うので、季節に関係なく聴いている。

Oh Holy night


考えてみると、宗教的な音楽とか、その土地に伝わってきた民謡や民族音楽のパワーってすごいねえ。たとえ歴史や背景を知らなくても、その音楽に触れるとビビーンと響くものがある。人間が生きる力が塊となって音楽の中に凝縮されているようで、心に訴えかけてくるのかもしれない。

「つらい時こそ笑いに変えよう」みたいに言われる事と、こういう音楽はどこか似ている気がする。笑いが苦しさを昇華させてしまうように、人の思いが歌や音楽になるときには、一歩何かを乗り越えたところにいる。そもそも音楽自体がそういう救いの作用を持つものなんだろうね。

日本の民謡もそうだし、アリランとか、ハワイで見たフラダンスショーでの伝統的な音楽も、しらぬ間聴き入ってしまうというか、聴いているうちにすーっとどこかへ連れて行かれそうになる、変な力がある。

そんなことを思ったのは、最近テレビでスメタナの「モルダウ」を聴いたから。これまで何度も耳にしたけど、改めてしっかり聞くと、涙が出るほどに素晴らしかった。モルダウ川なんか見た事も無いけど、なぜか光景が見えてくる。メロディは、何故情景を見せることができるのか?

The moldau

これは、ヨーロッパで民族主義運動が盛んな頃に、スメタナがチェコの失われかけた民族の文化を復活させようと国民音楽として作った曲だそう。その連作交響詩「わが祖国」の中の第2曲が「モルダウ」。
そんな歴史を考えると、とうてい民族意識なんて自分に分かる時はないんだと思うけど、なぜか郷愁とか民族の血とか歴史とかを思い起こさせる。壮大で力強いけど、ノスタルジアを感じる。この曲に込められた力が心を打つ。
すごいなあ。

信じるとか祈るとか 生きる力とか。

2011年11月7日月曜日

感想 「南蛮美術の光と影」いってきました

サントリー美術館で開催中の「南蛮美術の光と影」へいってきました。


なんとなく、興味がないかもしれないなあと思いながら足を運んでみたところ、思わず面白いものがたくさん見れた。その「なんとなく」の心が一番ダメなのだ!と自分で自分に一喝。

ポルトガルやスペインからやってきた、物珍しいモノたち、絵画や工芸品、キリスト教、そして西欧人。異国文化が当たり前になってしまっている今からは、想像もつかないくらいの驚きや興奮が当時あったんだろうな。南蛮屛風には、船の入港シーンが多く見られ、はるばる遠い国からやってきた異国の文化に出会うという好奇心とか、物珍しい集団へのテンションの高さが表れているよう。当時の風俗画の技法そのままで描かれた南蛮屛風では、なおさらカラフルな洋服や人物が、松の木や金地の“日本”と対比するようでおかしな感じを与える。南蛮屛風に限らず、日本独特の、建物のバスっとした直線とか、遠近法では見てはいけないところは、見ていていつも楽しいし、その構図の潔さがかっこいいとすら思う。屛風のすみずみまで、その様子を漏らすまいと一生懸命書き込んである画面からは、ワイワイガヤガヤという声とともに活気や賑わいが伝わってきそうだった。

ちょうど展示期間が外れて見られなかった作品に、狩野内膳の南蛮屛風があった。神戸市博物館のサイトで初めて見てみたところ、他に出ていた南蛮屛風とはちょっと別格というか完成度が違っていたので、これは実物を見てみたかった気がする。


狩野内膳によるものと思われる南蛮屏風は数点存在するそうで、今年3月には関西の個人宅で見つかったものがクリスティーズのオークションに出され、ななんと3億4千万で落札されたということ。http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240102.html

構図がとても似ているけど、左隻側の波の色が全く違っている。

そしていまだ信じられない、あの有名なザビエルの絵は日本人が描いたことを。
信ジラレナ〜イ !

そして一番信じられなかったのは、今回の目玉展示だった「泰西王侯騎馬図屛風」。神戸市立博物館とサントリー美術館で分蔵する2つの屛風の同時展示。描いたのは、イエズス会の学校で西洋画法を学んだ日本の絵師と推定されているとあったけれど、制作の経緯などは謎につつまれた屛風だそう。まず絵の大きさにびっくりし、そのクオリティの高さにまたびっくりし、屛風は金地になっている以外で、日本っぽさがひとつも残っていないから、日本人が描いたとは到底思えない。なのに全て日本画の技法を使って描かれているということろがまた驚き。人間みたいな馬の目がまた強烈な印象で、謎につつまれるこの屛風について考えるだけでもロマンがある。

好みとかそうじゃないとかいうのとはまた置いといて、時代のエネルギーや躍動が閉じ込められた美術には現代にも伝わるパワーがあるね。パワーを感じた展覧会でした。

2011年11月5日土曜日

『美の終焉』水尾比呂志

古本屋さんで題名にひかれて購入しました。

『美の終焉』水尾比呂志 (1967)

読み進めていくと民藝の話が思いがけず出てきたので、なんだろうと思ったら、この本の著者水尾さんは、柳宗悦に師事した美術史の研究者で、現在は日本民藝協会の名誉会長でもあり、日本民藝館の理事でもある方だそうで、最近めっきり民藝のことを読んだりすることが多い。

この本が刊行されたのが、昭和42年なので、水尾さんが37歳くらいのころになるのかな。悲観的なタイトルからも想像つくように、この本に収められている論文は、現代から「美」が失われていっているんでないか、という水尾氏の嘆きが出発点となって書かれているものが集められている。大きく3つのパートにわかれていたので、それぞれで気になったところのまとめ。

第1部 美について

美しさとは何か?美が分かるとはどういうことか?美術品とは何を指すのか? ・・・。失われゆく美の話に入る前に、第1部では水尾氏の考える「美」の性質について述べられている。そもそも美術史家の人が、このような美学を論じたり、現代美術を評論したりすることが当時あまり無かったということがあとがきに書かれていた。むしろ、あまり関与しないような慣しがあったのだそう。水尾氏はそういう態度を疑問視し、美術史の研究をする上で「美」がどういう性状のものであるかという課題に立ち向かわねば、研究自体も結局意味が無いのではないかと感じて、第1部にまとめられているような「美」に対する文章を書き重ねてきたということ。
たしかに淡々と事実を語られるだけの美術史はつまらないし、よくもわるくも美術史の人や研究者の人たちの美の捉え方をはっきり言ってくれたほうがおもしろいなと思う。そうじゃないと、美術そのものが見出されていかないだろうし、それによってまた別の視点や見方も生またりするんだろう。
水尾氏は、柳宗悦による民藝思想を受け継いでいるので、美観と言うのか、美の捉え方もまたその思想に裏打ちされている。醜いものに対して美が存在する世界ではなく、自然においては全てがあるがままに美しい。その美観を前提として、たとえば現代の人たちが美を分かる力が無くなっていると感じるなら、「自然美」に立ち返ればいいと言っている。花には醜いものはなく、また花の美しさを否定する人もいない。花に対する予備知識が無くても、瞬時にわたしたちは花の美しさのすべてを理解することができる。美術品の鑑賞態度についても、私たちはつい知識に頼って判断したり、心構えをしがちであるために、知識にベールをかけられてしまい美が分からなくなっている。分かることは「知る」ことではない。「見て」のち「知る」ことを深めてこそ、分かるという境地が開ける、と指摘している。

第2部 美の終焉

水尾氏は、「美」が終わりを迎えつつあるのは近代以降の精神風土の変化によるものだと考えている。近代美術においては、人間の能力が「美」を生み出す最大の要件とされ、一部の天才と呼ばれる人たちの才能や、個性が賛美されてきた。そうして人間性に重きをおいてつくられた美は、醜の対立概念としての美にとどまるので、「自然美」の超越性まで達する事ができなくなる。たとえば原始の美、宗教造型の美、民藝の美などに見られるような、「美」とは性質が違っている。
つまり民藝思想では、美醜の二元論を超越し、個性や自我が排除されたところに「自然美」が宿ると考えているので、自我の目覚めた近代以降の美術の性質には、「自然美」の生まれる隙がないということを言っている。また工芸の分野に関しても、工芸がしだいに作り手の自我や美意識を表現する手段として用いられるようになった頃から工芸美が衰退していってしまったと嘆いている。
近代化以降、滅んでいく手工芸品にかわって登場してきた「機械製品」についても水尾氏は述べている。それらは、機能的な美とか現代の美という言葉であらされることがあるが、ほんとうに美と呼んでいいものなのかと改めて問い、それは「能」という言葉に近い表現で表されるべきでないかと提唱している。
「美」という概念は、本来自然の造化による創造物の性質を表すもの。なので「美」と呼ぶ場合そこに自然性が含まれることになるが、機械は自然を断絶するものである。自然をコントロールし征服する機能を進歩させ、出来上がった機械製品の性質は自然の持つ不完全性を取り去った、均一性と完璧性を持っている。完璧性は美に似た印象を与える場合があるが、それは美と呼ぶべきものではなく、機械の命である機能という概念を発展させた「能」と呼べる性質のものであると結論づけている。

第3部 新しい価値

失われていく「美」を嘆きつつも、水尾氏は美を回復させよう、とかいうことを主張しているのではなかった。人類は機械文明に移行していかざるを得ないので、今後は「能」を正しい姿で発展させていくために、機械をいかに統制し活用するかが重要。その文明が直接的に広く民衆と接する場所は、生活の場における工芸であるので、新しい文明では、民衆の全てが享受しえる民衆工芸の時代であるべきとし、それを「新民衆工芸文化」と名付けている。「新民衆工芸文化」... この第3部については、なんとなく分かるようで、分からない、もやもやした気持ちになりながら読んだ。これまでの民芸の分野も守りつつ、機械製品の「能」の価値を高めていく工芸文化。機械化そのものを目的に「能」を乱用していくのではなく、用の美、ならぬ用の能、みたいに正しく人間に奉仕するモノとして発展させていかねばならないということ。

納得いくようですっきりしないところもありつつ、いろいろ考えをめぐらせながら読み終わった。でも、タイトル通り、美は終わりを迎えたと言い切っているところはおもしろかった。一人の人間が生まれて死んでいくように、美は死んでしまったのかな。美が、というよりも美を生み出す土台となっていた自然文明が終わってしまったということか。
民藝の美の話を読んでいると、人間にも同じ事があてはまるなとよく思う。人にもモノにも、自我とか表面的な装飾でかざられた美とかを越えたところに共通する健やかな美しさというのがあるんだろうなあ。



健やかな動物の瞳。

2011年10月27日木曜日

感想 「春日の風景」いってきました

根津美術館で開催中の「春日の風景」にいってきました。


この展覧会では、古くから聖地であり名所としても知られる奈良・春日の地をテーマに、春日宮曼荼羅、伊勢物語絵、名所図屛風など、中世~近世を中心にさまざまな形で展開された春日のイメージを、その絵画や工芸品を通して見られるというものでした。

それにしても 春日。。。 まったく知識もなく、この展覧会がきっかけではじめてなんとなくのことを知る。基本情報を知らないと見所が分からないかもと思ったので、あわせて開催された根津美術館の学芸課長・白原由起子さんによる講演会「王朝人の祈りと憧れー春日宮曼荼羅の世界」も聞いてきました。


春日大社のある奈良の春日。春日の野から見える春日連峰のなかに、古代から神さまの住む山として崇められた三笠山があります。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし 月かも」(阿倍仲麻呂)
「春日野に 斉く 三諸の 梅の花 栄えあり待て 帰り来るまで」(藤原清河)

社殿の出来る以前から、春日は遣唐使が旅の無事を祈る場所でもあったようで、遣唐使としてのこの二人も無事帰還できることを願い、このような歌を詠んでいる。

奈良時代に創建された春日大社が繁栄したのは、時の権力者であった藤原氏の隆盛と大きな関わりがある。まず都を平城京へ移した際に、藤原氏の氏神・タケミカヅチを春日につれてきて、春日神と称し、平城京の守り神としてそして藤原氏の繁栄を祈り社殿を建たことが始まり。タケミカヅチは白い鹿にのって三笠山に降りたったそうで、鹿は神さまの使いとされる。さらに他に3体の神様もつれてきて社殿を4殿つくる。いっぽうで、藤原氏には氏寺の興福寺があり、ここで仏様と神様の折り合いをつけるため、興福寺の本尊である不空羂索観音さまは、実はタケミカヅチの神さまの本来の姿である(本地仏)として、これまでビジュアルイメージの無かった4体の神様と仏教の神々とを組み合わせ、最強の神々を合体させました。これが神仏習合の一例。なるほど。

曼荼羅については、密教のものがよく知られるように、口伝できないという密教の教えの世界観を幾何学的な図に示したガチガチの本格派があるが、日本ではもう少しゆるく、仏教の世界観や狭義を観念的に表すもの、という方向で表現が独自に発展していった曼荼羅たちがある。



鹿が仏さまを背負っている「春日鹿曼荼羅」、春日大社の上に仏様たちがいる「春日宮曼荼羅」。

ふつうに考えると、お祈りのためなら仏さまの姿をどーんとそのまま描きそうなものだけど、春日では、姿をしるすよりも、仏さまのいる場所を表すほうが大事な事だったようで、右の曼荼羅のように春日大社を俯瞰で見た「宮曼荼羅」と呼ばれるものが多いそう。
描かれ方は、時代や目的によっても変化があって、初期は奈良から曼荼羅を運んでもらい、つまり神様を招いて、その前でお経を読んでいたりしていたので、建物の正面観を重視して描かれていたり、また、参道の道のりを歩いていくことがより大切だと考えられた頃には、手前の道をしっかり書き込んであったりする。

日本の曼荼羅で興味のあったのは、そういうふうな観念的なものをどうに表しているかというところ。実際の地理を無視して山が入り込んでいたり、中がよく見えるようにと建物の塀を勝手に取ってしまったり。歴史的資料としてみると、「絵空事」が見られるので建物などから単純な時代推定ができないということだけど、ただ見る分にはそういう部分がとても面白く感じられる。モノの三次元の存在感を写し取ろうという気が全然なくて、観念的に重要と思われることをなんとか表そうとしているところ、そこで創造力が働いている部分を見るのがおもしろい。
これで絵を書く技術が劣っていると、素朴絵になっていくような気がする。素朴絵は完全な絵空事だなあ。今回はさすがに重要文化財になっているものだったり、由緒のあるような品ばかりだったので、ちょっと構図がおかしいな・・ぐらいで、素朴絵はなかったけれど、素朴絵も書きたいもののイメージが先行しすぎて、そこだけ大きく描いたり、バランスがおかしくなったりするんだろう。

この展覧会の企画者でもある白原由起子さんは、シアトル美術館で東洋美術部長を務めた経歴があり、専門は宗教絵画ということ。初心者でもわかりやすい基本のところのお話がひととおりきけて良かったです。展示品は、約1/3が根津美術館所蔵作品で、春日については奈良の国立博物館よりもこちらのほうの所蔵品が多いんでないかとのことで、さらに奈良のほうからも春日を描いた貴重な作品が20点以上。特別出品は宮内庁が所蔵している「春日権現験記絵巻」の最近修復を終えた巻から一部を展示していました。


その後、根津美術館の庭を少し散策してから帰りました。雨上がりの午後だったので緑もきらきらして空気も爽やか、きれいでした。 いい庭だ~ 


あ、どうもどうも  

またきますね。

2011年10月23日日曜日

『柳宗悦』鶴見俊輔

そろそろ 読んだ本のことも
ちゃんと残していこう。

『柳宗悦』 鶴見俊輔 (1976)

この本は、柳宗悦の起こした民藝運動に焦点を当てたものではなくて、その活動を生み出すに至った柳宗悦という人物の独自の哲学観や、生い立ち、人柄について書かれたものでした。

民藝運動から入った柳宗悦についての興味も、じゃあその美的感覚はどこからきたの?民藝思想に至った原点は何なの?と追っていくと、単なる物の見方の啓蒙とか、伝統工芸を救うとか、そういうことだけじゃない、とても個人的な思想が背景にあることがわかる。

面白いのは、若い頃には西洋の科学論や哲学に傾倒しながらも、民藝思想に切り替わるころには全くオリジナルというか、既存の理論に頼ったり、それまでの思想を発展させたものではない、独自の路線に突き進んでいっていること。本人も「知識に頼らず、見る事が先で、後で概念を付け合わす」といっていて、そういう心構えは「今見ヨ  イツ見ルモ」のことばにも表れていると思う。だからといって、柳の至った考えが感覚的なものになっているかといったら全然違って、一つの体系をちゃんとうちたてている。それは鶴見のいうように、父親の影響や、若い頃の学風などによって、実証と分析の方法論が身にしみついていたことと、白樺派の中で培われた分かりやすい文体を重視することや、周囲に感情的な一面を見せない制御された性格があったことで、決して行き過ぎた狂人思想になり得なかった、ということになる。

でもこの本を読んでみて、もう少し柳宗悦のことを知ってみても、やっぱりどこか不思議で捉えられないところがある。何がピンとこないんだろう?
例えば民藝運動のなかでも、「用の美」や「てしごとの美」という価値観については、そこだけどんどん広まって、現代でも確立したものになっているけど、柳の思想全体を通して見たときには、民藝の存在は一つのピースにすぎない気がする。決して重要視してなかったとかじゃなく、民藝品の美の先にあるものを、ずっと見つめていたような感じ。民藝品に対して、素朴な美を単に感じるということだけじゃなくて、崇拝すらするような特別な感情をもっていて、たとえば山とか滝とかに神性が宿るような見方で、民藝品に対峙しているときは自分の宗教的理想をそこに見ていたんじゃないかなと思う。なので柳の言っていることには、新しい美の価値を提唱することに加えて、独自の宗教哲学が含まれているから、その2つをあわせもっている思想のバランスについて、しっくりくるのが難しいのかもしれない。

無欲、無心で、学の無い、名の無いものによって作られた民藝品は、だからこそ親しみのある健康な美を宿す。そういう意味において、すべての作は救われ、そこに美の浄土がある。それは美においての他力道とは言えないか、と『工藝の美』で言っている。
また本人も晩年には、唱えるだけで救われるという念仏宗に帰依し一遍上人に傾倒している。後期に書かれた『南無阿弥陀仏』を読むとたぶんそのことがより分かりそうなので、いつか読んでみたい。

だから個人史をみたときには、最初から最後まで興味の対象は宗教哲学についてであって、たぶんピンときてなかったポイントは、多少民藝品がその個人的な宗教理論に利用されている感があったからかもしれない。その独特な理論の立て方については、かなり初期の頃から本人も意識的に行っていて、哲学の真理の探求は個性の実際の体験をとおしてのみ、明晰な人生観世界観を建設することができると言っている。自分の体験である、芸術や宗教に対する感動が、探求の衝動となっているとして、そういう異端的な経歴を名誉である、とも言っている。そういう点があるから、戦前〜戦後で同時代の哲学者たちが色調を変化させていく中でも、柳が極めてまれな一貫性を保ちつづけた、と鶴見は書いていて、哲学者としての柳宗悦は、かなりユニークな存在なことが分かる。そんな思想家としての柳宗悦の独特さと面白さが理解できるような本でした。

ただ、ひとつ面白いエピソードが書いていて、晩年、病に倒れ不眠症になった柳に対して「念仏を唱えたら寝られるでしょう」と妻が言うと、「念仏なんかきくものか」といってひどく怒ったことがあったそう。息子の宗理によると、おやじは筆では信を唱えても、それは体得した美への裏付けの理論としてに過ぎなかったと思う、と語っている。
あくまで民藝に見た救いも、念仏の救いも、“「凡夫」である人間にとって”、というところが重要で、自分の存在は抜け落ちていたのかもしれない。

でも、やっばり民藝を見出して、日本に眠っていた沢山の地方文化をすくいあげた功績というのは素晴らしいものだとおもう。はじめに柳宗悦に興味を持ったのも、名もない工芸に美を見いだす眼を持っている人として、その美的感覚にひかれたのだし、民藝館に見られる品々も、これが見れてよかったな、と思わせてくれるものがたくさんある。

この本に引用されていたバーナード・リーチの言葉で印象的なものがあった。
「日本が持つ一般の思想はいやなものである。しかしその奥に深く横たわる思想は実に美しい。支那はいつか日本の工業をうちくだくだろう、そして恐らくその時日本は美しい姿をとりもどすだろう」

文化はきっと川みたいなもので、日本に限らずどこの国の文化でも、その上流をたどると美しい流れがそこにはあるんだと思う。


2011年10月15日土曜日

偶然を求めて

素朴な疑問。

好きな音楽に出会うために
みんなどうしてるんだろう ?



はまり込むような音楽の聞き方をしていた
学生の頃とはまたちがって、
今の自分にとって心地良い音楽ともっとたくさん出会いたい。

やまほどある世界中の音楽のなかで
いまだ聞いたことのない、ハッとしてGoodなメロディーがあるはず。

そうすると、音楽のプロでもないし、
日々音楽探究をしているわけでもないから
自分のアンテナだけじゃなかなかむずかしい。

「ジャンル」で聴くわけでもないから、
音楽のジャンル分けは、あんまり探すのに役に立たない。

人に教えてもらって、ハッとして
どこかのお店のBGMで、ハッとして
たまたま検索でヒットして、ハッとして ?

でももっと、ゆるやかに色んなジャンルに渡って
好きな音が芋づる式にでてくることってないかな。

たまに音楽への衝動が沸き起こるとき
なんとももどかしい。

もっと偶然性による新しい発見を !

2011年10月9日日曜日

感想 「芹沢銈介展」 いってきました


松濤美術館で開催中の
「芹沢銈介展」へ行ってきました。


民藝館などですこし見たことのある
芹沢銈介の「型絵染」
これほど一度に見たのははじめて。

図録も購入しましたが、
紙の中では、布のやわらかい印象が
そぎ落とされてしまうので、
デザインだけを見ていると
余計に布の必要性を感じる。


これまで、色々な工芸品のなかでも
「布」、「染め物」、
については、どうも積極的に見れなくて
なんとなく敬遠していた対象・・

きれいだな〜 と思っても
生地や着物となって 世にでまわる頃には 
完成度が高すぎて とりつくしまが無いというか、
「布」という絶対的な存在感がありすぎて
もうそういうものなんだ、と
勝手に頭から追いやっていたような 。


そんな気持ちがありつつ、
今回、芹沢作品を見に行ったところ
むしろその「布」の存在感に魅了され
すぐに引き込まれてしまった。
そして改めて、布での表現について
考えることができました。

すーっと作品を見られたのは
人に馴染みやすさを与えるような
絶妙なバランスの、デザイン力。


対称性を排除したカタチに
暖もりを感じたり。
それが “完成度のとっつきにくさ”を
無くしているような気がします。

ただデザインが先立っている感じはしなくて、
布、染料、という素材の「制約」がまずあって
その素材の魅力をいかに最大限に引き出すか
ということに寄り添って
描くものや、カタチを考えられたような表現

表現と素材がそれぞれきちんと合わさっているから、
ちょうどいい気持ちよさがある。

その布が、のれんや風呂敷や着物、、、と
用途を兼ねるモノになり変わっても、
そこにずっと見つめ続けられるような 美しさが
備わっていることに 感動しました。


そう考えると、素材とか、描く対象の「制約」を
どんどん破っていくことで、新しい美を生んできた
美術の歴史がある一方で、それと矛盾するみたいに
しばられる制約があるからこそ、
美が生まれていて
伝統や制約や価値観、とか固定されたものを
「破る」という衝動と、
それをまた制約のあるものの中に
「閉じ込める」という
二つの作用が 新しい美の誕生には必要なことの
ような気がする。


自分で欲しいなと思ったのは、
この那智の滝をモチーフに作られたのれん。
そぎ落とされた簡潔さに、むしろ神々しさを感じる
というのが不思議。

単純化する、というのは
本質を捉えていないとできないし
単純化するからこそ 本質が見えたり と
そんなところに、デザインの奥深さを感じるような。。



風の字のれん、
寿の字風呂敷、
やっぱり見直してみてもデザイン力の凄さ。
奇抜な気はしないのに。
でもインスピレーションを与える

なんだかんだで、ずいぶん感動してしまった。
最後にこの、いろはにほへとの屛風のバランス力を !
文字にちなんだ絵がそれぞれ描かれているのを
見るのもおもしろい。


その後、すぐ近くのギャラリーTOM
柚木沙弥郎さんの個展が開催されていたので
ついでによってみたら
柚木さんご本人がおり、びっくりする。

芹沢さんのお弟子さんでもあった柚木さんは、
いま、ギャラリーのサイトを見てみたら
「ほどなく90才になられる、、、」とあって
さらにびっくりする。

布のこと つくり続けること 美のこと
などを考える一日でした。