2011年10月23日日曜日

『柳宗悦』鶴見俊輔

そろそろ 読んだ本のことも
ちゃんと残していこう。

『柳宗悦』 鶴見俊輔 (1976)

この本は、柳宗悦の起こした民藝運動に焦点を当てたものではなくて、その活動を生み出すに至った柳宗悦という人物の独自の哲学観や、生い立ち、人柄について書かれたものでした。

民藝運動から入った柳宗悦についての興味も、じゃあその美的感覚はどこからきたの?民藝思想に至った原点は何なの?と追っていくと、単なる物の見方の啓蒙とか、伝統工芸を救うとか、そういうことだけじゃない、とても個人的な思想が背景にあることがわかる。

面白いのは、若い頃には西洋の科学論や哲学に傾倒しながらも、民藝思想に切り替わるころには全くオリジナルというか、既存の理論に頼ったり、それまでの思想を発展させたものではない、独自の路線に突き進んでいっていること。本人も「知識に頼らず、見る事が先で、後で概念を付け合わす」といっていて、そういう心構えは「今見ヨ  イツ見ルモ」のことばにも表れていると思う。だからといって、柳の至った考えが感覚的なものになっているかといったら全然違って、一つの体系をちゃんとうちたてている。それは鶴見のいうように、父親の影響や、若い頃の学風などによって、実証と分析の方法論が身にしみついていたことと、白樺派の中で培われた分かりやすい文体を重視することや、周囲に感情的な一面を見せない制御された性格があったことで、決して行き過ぎた狂人思想になり得なかった、ということになる。

でもこの本を読んでみて、もう少し柳宗悦のことを知ってみても、やっぱりどこか不思議で捉えられないところがある。何がピンとこないんだろう?
例えば民藝運動のなかでも、「用の美」や「てしごとの美」という価値観については、そこだけどんどん広まって、現代でも確立したものになっているけど、柳の思想全体を通して見たときには、民藝の存在は一つのピースにすぎない気がする。決して重要視してなかったとかじゃなく、民藝品の美の先にあるものを、ずっと見つめていたような感じ。民藝品に対して、素朴な美を単に感じるということだけじゃなくて、崇拝すらするような特別な感情をもっていて、たとえば山とか滝とかに神性が宿るような見方で、民藝品に対峙しているときは自分の宗教的理想をそこに見ていたんじゃないかなと思う。なので柳の言っていることには、新しい美の価値を提唱することに加えて、独自の宗教哲学が含まれているから、その2つをあわせもっている思想のバランスについて、しっくりくるのが難しいのかもしれない。

無欲、無心で、学の無い、名の無いものによって作られた民藝品は、だからこそ親しみのある健康な美を宿す。そういう意味において、すべての作は救われ、そこに美の浄土がある。それは美においての他力道とは言えないか、と『工藝の美』で言っている。
また本人も晩年には、唱えるだけで救われるという念仏宗に帰依し一遍上人に傾倒している。後期に書かれた『南無阿弥陀仏』を読むとたぶんそのことがより分かりそうなので、いつか読んでみたい。

だから個人史をみたときには、最初から最後まで興味の対象は宗教哲学についてであって、たぶんピンときてなかったポイントは、多少民藝品がその個人的な宗教理論に利用されている感があったからかもしれない。その独特な理論の立て方については、かなり初期の頃から本人も意識的に行っていて、哲学の真理の探求は個性の実際の体験をとおしてのみ、明晰な人生観世界観を建設することができると言っている。自分の体験である、芸術や宗教に対する感動が、探求の衝動となっているとして、そういう異端的な経歴を名誉である、とも言っている。そういう点があるから、戦前〜戦後で同時代の哲学者たちが色調を変化させていく中でも、柳が極めてまれな一貫性を保ちつづけた、と鶴見は書いていて、哲学者としての柳宗悦は、かなりユニークな存在なことが分かる。そんな思想家としての柳宗悦の独特さと面白さが理解できるような本でした。

ただ、ひとつ面白いエピソードが書いていて、晩年、病に倒れ不眠症になった柳に対して「念仏を唱えたら寝られるでしょう」と妻が言うと、「念仏なんかきくものか」といってひどく怒ったことがあったそう。息子の宗理によると、おやじは筆では信を唱えても、それは体得した美への裏付けの理論としてに過ぎなかったと思う、と語っている。
あくまで民藝に見た救いも、念仏の救いも、“「凡夫」である人間にとって”、というところが重要で、自分の存在は抜け落ちていたのかもしれない。

でも、やっばり民藝を見出して、日本に眠っていた沢山の地方文化をすくいあげた功績というのは素晴らしいものだとおもう。はじめに柳宗悦に興味を持ったのも、名もない工芸に美を見いだす眼を持っている人として、その美的感覚にひかれたのだし、民藝館に見られる品々も、これが見れてよかったな、と思わせてくれるものがたくさんある。

この本に引用されていたバーナード・リーチの言葉で印象的なものがあった。
「日本が持つ一般の思想はいやなものである。しかしその奥に深く横たわる思想は実に美しい。支那はいつか日本の工業をうちくだくだろう、そして恐らくその時日本は美しい姿をとりもどすだろう」

文化はきっと川みたいなもので、日本に限らずどこの国の文化でも、その上流をたどると美しい流れがそこにはあるんだと思う。


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