2011年10月9日日曜日
感想 「芹沢銈介展」 いってきました
松濤美術館で開催中の
「芹沢銈介展」へ行ってきました。
民藝館などですこし見たことのある
芹沢銈介の「型絵染」
これほど一度に見たのははじめて。
図録も購入しましたが、
紙の中では、布のやわらかい印象が
そぎ落とされてしまうので、
デザインだけを見ていると
余計に布の必要性を感じる。
これまで、色々な工芸品のなかでも
「布」、「染め物」、
については、どうも積極的に見れなくて
なんとなく敬遠していた対象・・
きれいだな〜 と思っても
生地や着物となって 世にでまわる頃には
完成度が高すぎて とりつくしまが無いというか、
「布」という絶対的な存在感がありすぎて
もうそういうものなんだ、と
勝手に頭から追いやっていたような 。
そんな気持ちがありつつ、
今回、芹沢作品を見に行ったところ
むしろその「布」の存在感に魅了され
すぐに引き込まれてしまった。
そして改めて、布での表現について
考えることができました。
すーっと作品を見られたのは
人に馴染みやすさを与えるような
絶妙なバランスの、デザイン力。
対称性を排除したカタチに
暖もりを感じたり。
それが “完成度のとっつきにくさ”を
無くしているような気がします。
ただデザインが先立っている感じはしなくて、
布、染料、という素材の「制約」がまずあって
その素材の魅力をいかに最大限に引き出すか
ということに寄り添って
描くものや、カタチを考えられたような表現
表現と素材がそれぞれきちんと合わさっているから、
ちょうどいい気持ちよさがある。
その布が、のれんや風呂敷や着物、、、と
用途を兼ねるモノになり変わっても、
そこにずっと見つめ続けられるような 美しさが
備わっていることに 感動しました。
そう考えると、素材とか、描く対象の「制約」を
どんどん破っていくことで、新しい美を生んできた
美術の歴史がある一方で、それと矛盾するみたいに
しばられる制約があるからこそ、
美が生まれていて
伝統や制約や価値観、とか固定されたものを
「破る」という衝動と、
それをまた制約のあるものの中に
「閉じ込める」という
二つの作用が 新しい美の誕生には必要なことの
ような気がする。
自分で欲しいなと思ったのは、
この那智の滝をモチーフに作られたのれん。
そぎ落とされた簡潔さに、むしろ神々しさを感じる
というのが不思議。
単純化する、というのは
本質を捉えていないとできないし
単純化するからこそ 本質が見えたり と
そんなところに、デザインの奥深さを感じるような。。
風の字のれん、
寿の字風呂敷、
やっぱり見直してみてもデザイン力の凄さ。
奇抜な気はしないのに。
でもインスピレーションを与える
なんだかんだで、ずいぶん感動してしまった。
最後にこの、いろはにほへとの屛風のバランス力を !
文字にちなんだ絵がそれぞれ描かれているのを
見るのもおもしろい。
その後、すぐ近くのギャラリーTOMで
柚木沙弥郎さんの個展が開催されていたので
ついでによってみたら
柚木さんご本人がおり、びっくりする。
芹沢さんのお弟子さんでもあった柚木さんは、
いま、ギャラリーのサイトを見てみたら
「ほどなく90才になられる、、、」とあって
さらにびっくりする。
布のこと つくり続けること 美のこと
などを考える一日でした。
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