2012年11月20日火曜日

感想 「小村雪岱展」 いってきました


ニューオータニ美術館で開催中の「大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展」を見てきました。

小村雪岱(こむら せったい 1887〜1940)。
本の装幀、挿絵、舞台装置、商業広告など幅広い分野で活躍した人。
いったい何でこの人を知ったのか忘れてしまったけれど、すっきりしてセンスがあって粋な雰囲気を持つ絵を見たときに、この人はどういう人なんだろうと、いつかちゃんと知ってみようと思っていた人でした。

おせん 1937年

展覧会は、雪岱さんの装幀した本が中心となっていて、ほとんど個人蔵のものばかりかなりの数の書籍が出ていました。それから手がけた舞台装置の原画など。その中でもやっぱり絵や挿絵が気になりずっと眺めていたのですが・・・。

どうしても感想がうまく言葉にならない。モダンでセンスの良い素敵な絵、という以上に見れば見るほど漂う不可思議な雰囲気。それは一体なんなんだろう、と展覧会場を出るまでずっとモヤモヤとしていたのでした。

後日、画集を眺めたり本を読んだりしながら、私にとってのモヤを紐解いてみました。
まず、雪岱さんの画を眺めれば眺めるほど感じてくる距離感。
「私って田舎者・・」と思ってしまうような、田舎者の私には到底分かり得ない江戸情緒みたいなものが核となっているためか、そこが個人的に一線を越えて近づけない部分だと思いました。憧れと気後れの同居です。

雪岱さんが亡くなったときに、初めて江戸っ子で無いことを知った、と山口蓬春が残していましたが、雪岱さんの画には洗練された風情が含まれています。生まれは埼玉の川越。小江戸とも呼ばれた場所に育ち、幼い頃に父親を無くし、母親は家を出るという込み入った環境のなか、16歳の頃日本橋檜物町の書家の家に寄宿することに。花街である檜物町で思春期を過ごしながら絵の勉強をはじめ、18歳に生涯の師ともなるような泉鏡花にめぐりあう。
泉鏡花の描く小説の人物や場所は、雪岱自身の複雑な生い立ちがそのまま重なるようで、その共感がなおさら鏡花との深い結びつきを生むことになったとも言われていますが、特に女性の絵など見ているとそういう世界観があるからか、他の絵とはちょっと違う感じを受けました。

それに雪岱さんの女性の画はどれもどこか似ていて、そこに人がいるはずなのに、体臭はなくて香りだけがあるような実在感のなさ。世にある人事を描いているのに、画面の中は重力も弱そうで、まるでファンタジーのよう。現実感、生々しさの薄さが不思議な感覚に引き込む要因でしょうか。夢現(ゆめうつつ)の世界です。

そんな画は、とても洗練されて完成されているのに、画だけで存在しているとどこか抜け殻みたいに思えるときがありました。挿絵も装幀も舞台装置も、雪岱さんの関わったのは文章があり人物がいて物語と合わさった時に完成するものばかり。人物が無表情に見えるのも心を収める余地のためだと思いますが、風景にも全体の構成にも、こちらの何か心情をその画にきっちり入れれば全てが完結するような絵なんだと思いました。

この機会、雪岱さんを知るために読んだ本。

『小村雪岱』星川清司 1996

この本はすばらしく良かったです。普通の人物評伝とは違うおもむきの内容ですが、この本をじっくりじっくり読めば、小村雪岱がいた風景が分かる、そんな本でした。
「此書は雪岱伝でもないし、雪岱評伝でもない。雪岱と、雪岱をめぐる人びとと、そうしたひとたちが生きていた時代の相(すがた)のはかなさを垣間みようとした書である。」と、ご本人はあとがきで述べていましたが、一般の評伝よりもよっぽどその人のことがわかる本でした。
ある人を調べようと本を開くと、その時代はどうだったのか、その親しくしていた人はどんな人だったのか、いちいち中断しながら自分で注釈を入れつつ読まなければいけなかったりしますが、この本はそれら周辺の事も含めて書かれているので寄り道せず雪岱の生きた世界に入り込むことができました。
人物を語る本が、淡々と事実を述べおもしろ味のない文章であるべきと誰も決めた事はないので、美しい文章で誰まとめられたこんなタイプの本があってもいいんだなと思った、本当に素敵な本でした。

『小村雪岱』1978 形象社

こちらは大型本の画集。雪岱さんのただ一人の門下生でもあった山本武夫さんによる解説文や、他何名かの文章が収録されていました。大きな画面で絵を眺めたいと思ってこの本を借りてみましたが、購入しようとなると手頃な金額で買える大きなサイズのものがないです。一番最近では、2010年に阿部出版という版画関連の書籍などを出版しているところから『小村雪岱作品集』というのが出ていましたが、3万円弱と根性の必要な金額でした。


小村雪岱の絵には、どこまでも私が分かり得ない世界が含まれています。けれど今を生きる私が抽出したいエッセンスはそこではなくて、現代から見てもどこか心動かす普遍的な表現の部分についてです。
雪岱さんの絵の腕前には、日本画を学んでいた経験がかなり生きているということです。仏画や絵巻物、浮世絵などの模写に励んだ経験、日本画の下村観山や松岡映丘にも師事していたこともあり、今回読んだ本のどこかに「感覚は浮世絵、描写は絵巻」によると書かれていてうなずけました。
おそらく私の惹かれているのは後者の部分と思うのですが、その要素の合わさり具合が絶妙な雪岱さんの画。画から学び、心にあるイメージを描いていたからか、写生をしなかったという話も印象に残っています。それから仏画や人物画が主で、山水などにもあまり興味がなかったということも。


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