2013年2月17日日曜日

感想 「オリエントの美術」いってきました


出光美術館といえば、日本や中国などの古美術を主に、というイメージでしたが、じつは国内でも有数の中近東美術のコレクションを持つ美術館でもあるということ。
それらのコレクションは三鷹にある中近東文化センターということろで常時公開されているそうなのですが、今回そこの改修工事が行われるにあたり、厳選した品々を三鷹から呼び寄せ、34年ぶりに出光美術館で展示されるというのがこの「オリエントの美術」展でした。

“オリエントの美術”というのもざっくりしていますが、古代エジプト、メソポタミアの頃のもの、ローマ時代に栄えた地中海地域のガラス品、イスラムの歴史が始まって以降の陶磁器・写本などの実用品、の3構成にむりやり収めたという感じで、時代も場所も種類も幅広いコレクションが一気に見られる展覧会でした。

まずは入るなり、エジプトの木棺蓋が。


こういうミイラを収めるためのタイプの。ちらりと解説を見れば、紀元前10世紀頃のものと。クラっときます。胴体一面には細かく緻密な模様、モチーフが描かれていて、想像絶する信仰、古代エジプトの死生観、人間の思いがギュッとそこに凝縮されているようでドキドキが止まりません。

シュメール語がびっしり書かれた粘土版。
お金の貸し借りについて書いてあるとかでしたが、くさび形文字って・・・ナンダっけ?  今のアラビア語とかも全然読める気がしないですが、この粘土版をずーっと見ているだけで時間を使ってもいいと思ったほど、文字のことをしばらく考えたい、生シュメール語はインパクトがありました。

布でがっちり包まれているトキのミイラ。
古代エジプトではトキは「トト神」という文字や知恵を司る神として崇められていたそうなのですが、中には実際トキがちゃんと折りたたまれて収まっているそうです。京都大学にもあるということ。

などなど「文明の誕生」ゾーンでは、何千年も前の世界にハッと息を飲むことばかりが。
時の隔たりに対してすぐに価値をおいてしまいがち。一人の人間が考えられる時間感覚では、何千年という「時」は大きすぎて考えられる度量を越えているので、簡単に凄いと出てしまうのですが。

そんな考古として「わ、すごい!」と思うきもち。
そこからもう少し心を離して造形を見たいというきもち。
今回は後者を大切にして見たかった今まで知らない世界。その造形を作ろうとした精神や、今から見て感じることは何なのか、特にイスラム美術と呼ばれるものも、以前の中国同様に垣間みたかったという心持ちでこのたびは訪れたのでした。

「ローマ時代の技術革新」ゾーンで見た香油瓶は色といい形といい、ちょっと忘れられないかわいらしさ。


こちらはChristie'sに出ていたものですが、紐を通してお腰に付けたりして携帯する用なので、自立しない小さい形になっていました。ここに体に塗ったりするための香油を入れていたのですね。金属の棒に粘土を巻き付け形を作って、その上にガラスを巻き付けて最後に中の粘土をかき出して作るコアガラスと呼ばれるもの。模様は巻き付けていくガラスを櫛形の物で引っ掻いて描かれ、どこか均整でないところがかわいらしさの要因。

コアガラスで調べれば、今でも作っている方たちがいるようですが、その後ローマ時代になると、吹きガラスの技法が誕生しガラスを沢山生産することが可能になったため、コアガラスは消えていってしまった製法だそうです。それまで不透明だったガラスも、ぷーっと膨らませる技術が出来たことによって薄くなり、次第にガラスと言えば透明なもの、と好まれていくようになったんだとか。

「実用の美」ゾーンでは、9〜19世紀頃までにイラク、イラン、トルコなどで作られたお皿や器などの実用品を見る事ができたのですが、


中近東文化センターの入り口ページにも配されていた、12〜13世紀頃のイランの陶器。
なんでしょうか、この顔、この表情。陶器に描かれている絵や写本に描かれた挿絵の人を見ていると、どこかちびまる子ちゃん的なのです。模様や彩色の部分は緻密だったりするからこそ、より目立つ人物のまる子ちゃん感。

こうなったのもさまざまな理由からのようでした。
人物画はイスラム教で禁止されている偶像崇拝に繋がりやすいため回避されてきた、
「画家」を表すアラビア語が神を意味する「創造者」と同じであるため、神の模倣や神への挑戦と捉えられることがあった、
画家自体の地位も高かったわけではなく、むしろ写本芸術が栄えているなか書家のほうがランクが高かった、
などの事があり、絵画や彫刻などの鑑賞芸術はイスラム美術では発展してこなかったと言われています。

なので宗教にまつわるものにおいては、人物や動物などの表現は排除されたことにより、植物模様や文字をモチーフにした模様、幾何学模様などが開発されていき、それらは工芸品だけでなく、モスクの大きな壁面を満たすために使われたりと、建築の面でも装飾が高度に発展していったそうで。

とはいえ、人物や動物の絵が描かれた陶器や絵などは今回いくつもありました。あくまで禁止されているのは宗教的な場面においてで、世俗的なところではわりと自由に人物・動物表現がなされていたようです。


『すぐわかる イスラームの美術』桝屋友子 2009

入門として今回はこの本を読んでみました。
「すぐわかる」とか付いている本は、どうしても頭に入って来なくてあまり好きではないのですが、知りたいところをちょこちょこ開く感じで読みました。建築、写本、工芸の括りに分かれていて全編カラー。

「イスラム美術」と呼ぶことに関しても、定義がさまざまあり、かんたんに理解することが難しそうですが、宗教があるからこそ発展してきた造形でありつつ、あまり宗教メインの視点で見ていると分からなくなることもあり。。
ともすると勝手な想像で解釈を補って一瞬分かった気になったりもしがちになり、文化の見方というのは難しい。長い長い歴史を持つ場所で時間をかけて生まれてきた色や形、表現からもっと新しいことを自分の中で発見したい、当たり前と思っている価値観をがらがらーっと揺さぶられるくらい、もっとグッと知りたいです。グッと。

美術を遡れば、宗教という「祈り」と切っても切れないところに行き着き、根拠のないような根拠を信じている力というのが、作られたモノを見ているとどれだけ強いのかが分かります。そして、そういうものこそ美しいとか、特別な感慨を覚えたりして。不思議な思いにかられます。


出光美術館の醍醐味といえば、やっぱりロビーでの休憩。
大きな展望用の窓際で、皇居を見ながらお茶を一服。ここに座るとみんなぼーっとせずには居られない、なんとも言えない雰囲気があるコーナー。
頭を巡らせたあとに、ゆっくり座って考えをまとめる時間。そんな時間が美術館の中に一緒にあるのはとてもよいです。


2013年1月31日木曜日

感想 「フィンランド・デザイン展」いってきました


サントリー美術館で開催されていたフィンランド・デザイン展。
見過ごしてもいいかなあ、くらいのテンションでしたが、美術館を出るころには“間に合ってほんとうによかった”と大絶賛で会場を後にしました。

内容も構成もいつもどおり、さすがサントリー美術館ならではの、安定感と楽しさと新発見があり、なおかつ今回はとても美しい展覧会でした。

フィンランド。といえば北欧。
北欧。北欧。。

シンプルで、あったかみがあって、おしゃれな、あれでしょ北欧ってやつは。

というくらい、私のなかではその実態よりも、「北欧」の響きのほうが先行していて、これまでしっかりモノを見たり、考えたりすることはありませんでした。今回見たのは、デザイン史にも名を刻む人たちのガラスを中心にした作品や製品で、それこそ有名なものばかりですが、まあ全く知りません。あとでいろいろ知るうちに、自分が知らなすぎたことにビックリするくらい0からのフィンランドデザイン。
改めて、というかはじめて、「北欧」なるもの、そしてフィンランドに意識を向ける機会になった展覧会でもありました。

iittalaのサイト。す、すてきがいっぱい。

現代にあふれるデザインされたプロダクトを見ると、結果論ではどれも洗練されていて何を北欧デザインとするのか、曖昧に思えるところもあります。

でも時代を遡り、デザインの黎明期・躍進期・黄金期とみていくうち、フィンランドデザインにひそんでいる何かを感じずにはいられませんでした。

例えば日本のものには、どこか繊細なところとか、自然的なものとか、生真面目なところとか、なにかがあって、あ・これは日本だなというバランスがある。そういう感じで時代順にガラス製品をみていくと、ぶれないフィンランドらしさが貫かれていました。

フィンランドを代表するガラスメーカー「イッタラ」のコンセプトは、against throwawayism。フィンランドにおける生活用品は、timeless designを念頭に作られているといいます。使い捨て主義に反し、時代を超えて生き続ける美を日々の暮らしで使うモノに与える。

それがフィンランドの永遠の定番としてあるんだ、と思っていたのですが、フィンランドのデザインが台頭してきたのはここ1世紀くらいのことだそうです。というのもスウェーデンの支配とロシアからの統制を受け、国として独立したのが1917年のこと。
なのになぜこんな確固と潜むものがあるの? フィンランドのガラスの世界をみていると、単に「時代を越えたデザイン」という言葉だけでは片付けられないものがあるようです。ぶれないというか、根底に流れているスピリット。100年くらいで築き上げられたとは思えない、はるか昔からのその土地の精神性みたいなものが一緒になっているように感じます。

たまたま本屋さんでこの本を見ました。


『フィンランド・森の精霊と旅をする - Tree People -』

ちいさい、ちょっとした詩集のような雰囲気の本。
Tree peopleというくらいなので、木と人のことが書いてあったのですが、フィンランドでは木というのが人間にとって特別な存在で、自分の分身の木や、家族を守る守護の木というのがあり、何かあるたび自分の木を訪れたりと、人生と深く関わる木に信仰のようなものがあるそうで、なんとすてきで素晴らしい信仰なんだと感動してしまいました。
木や自然とつながりが深いからか、今回見た作品の中にも自然を感じさせるモチーフがあり、そんなところが日本のわたしたちからすると親しみが湧きやすくて、ほっとするところなのかもしれないです。

さらに一見美しく幻想的になイメージのフィンランドも、実際は気候風土が厳しく、歴史的にも長く苦しい暮らしを余儀なくされてきたとありました。
そんな時に支えになったのが‘Sisu’という言葉。負けない心という意味だそうです。厳しい環境が、ずっと使い続けられる、タイムレスなモノを生み出す源泉ともなり、長く使えるものにするからこそ無駄が省かれたデザインに。そこには機能的という側面も備わり、無駄を省くことでつまり洗練されていく。そんなところから生まれてきたフィンランドのデザイン。

Kaj Franck 1609 1610

人の暮らしと、自然と、時代と、環境と。

様々な複合要素があって、同じ人間なのに全く違うものを生み出す人々がいること、世界のはしからはしまで、みんな違ったものを生み出す文化を持っていること。人間のバラエティに富んだクリエイティブを見るのはやっぱり楽しいなあとしみじみします。

日本では決して生まれないような配色、感覚、透明さ。
違うところに育ったのに、例えばカイ・フランクは、濱田庄司とも親交があり何かを分かり合ってたなんて話も聞くと、同じ人間だからこそ同じく共感する部分があるということも面白く。

そしてまさにフィンランドデザインは「用の美」。
デザインやモノの世界に頭をめぐらせては、毎度柳さんのところへ帰ってきてしまう。自分の中でも柳さんの考えはけっこう大事なものになってきているようです。

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最近引っ越したら、モノについて考えることが多くなった今日このごろ。
家の中にはずいぶん「使い捨て主義」のモノがあるなあと見回したり。でも、デザインの段階で反使い捨て主義として作られたものでなくたって、モノを大切にするという心がまず私たち日本人には備わってるじゃないか、とも思ったりする。
結局ステキなものもすぐ捨ててしまえば使い捨てになり、何でもないものでも大事に使い古せば以前にみた坂田さんの古道具になったりする。どこの段階でもモノを救うタイミングはあるんだなあと。

それにしてもまずはモノを見つめないといけない・・
引っ越して特にそういう気持ちが表面化しているけど、これをずっと使っていこうとか、何を選ぼうとかって大変なことなんだなあと実感しています。新しいものを買うとか、使い方とか考えていると、モノを根本的に見つめる作業がふえます。
モノをじっと見てその存在について考えることは、必然的に「生活していこう」と前向きに思う事でもあり・・。
でもこれってもっと早くから必要だったことだなと悔やんでもいます。

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展覧会ではオイヴァ・トイッカさんの鳥をパシャパシャ激写できるコーナーがあって、みんな夢中で写真を撮っていましたがこれは楽しかったー。iphoneが鳥だらけになりました。

そしてカイ・フランクさんのことを深く知りたくて、すてきな本があったのですがお高いんです。

Kaj Franck Muotoilija Formgivare Designer

あきらかに本としてすてきなんですけどお高いんです。

2013年1月19日土曜日

中国山水画をかいまみる


ある点を見つめていたら
そこに繋がる線が気になり
点が現れては線を追って 

この美術への興味もひきつづき落ち着くことなく、2013年を迎えました。

昨年12月に、泉屋博古館分館で開催されていた「中国絵画展」を見たことから、今年は、中国の山水画について知ることからはじめました。


水墨で描かれた絵を見ていて、気づけば目にし、気になるのが「瀟湘八景」や「瀟湘図」と題されているもの。しょうしょうはっけい、しょうしょうず・・。
その名の通り、「瀟湘(しょうしょう)」と呼ばれる中国のある場所を描いた絵です。
絵の中には山があり、水があり。風光明媚な地を描いていることくらいしか分からずですが、なんの知識もなくても、眺めているとひとりでに心がその中に入り込みます。
「瀟湘」と聞けば、なんとも言えない浮遊感が味わえるテーマだと勝手に思ってきました。

漁村夕照図 牧谿 根津美術館蔵(13世紀)

まず「瀟湘」という場所はどこなの?

瀟湘八景の位置

wikiによるとこんな感じでした。湖南省の北のほうに洞庭湖という有名な湖があり、いくつか川が流れ込んでいますが、瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)という川が合流する長沙のあたりが元々名高い水郷地帯だったということで、そこらへんが「瀟湘」。

11世紀後半に長沙に赴任した宗迪(そうてき)という文人がおり、そこで八景図を描いたことから「瀟湘八景図」というのが始まったということでした。
というのも、瀟湘の地は古くから伝説や神話が生まれた場所として知られ、文学者や詩人たちによって歌にも詠まれ続けた名勝の地として有名なところだったので、宗迪はその場所を絵によって表現しようと試みたんだそうです。
その後13世紀半ばくらいまで「瀟湘八景図」というのは大変流行したそうです。

日本でも近江八景や金沢八景があるのは、この「瀟湘八景」からきているということで、中国だけでなく日本・韓国などでも流行ったのは、この形式が適度に詩的で、文学的であったからと言われてます。たしかに今私が好きなのも同様の理由だからですね。あんまりよく分からなくても理解でき、適度に教養的な響きがあるからだとおもわれます。

瀟湘八景と言われる8つの景はこのとおり。

洞庭秋月 (どうていしゅうげつ) 洞庭湖に浮かぶ秋の月
漁村夕照 (ぎょそんゆうしょう) 夕焼けに染まる漁村
遠浦帰帆 (えんぽきはん) 遠くに行き交う帆船
江天暮雪 (こうてんぼせつ) 降り積もる雪
山市晴嵐 (さんしせいらん) 山の市の賑わい
烟寺晩鐘 (えんじばんしょう) 寺の鐘が聞こえる夜
平沙落雁 (へいさらくがん) 砂原へ舞い降りてくる雁
瀟湘夜雨 (しょうしょうやう) 瀟湘の地に降る夜の雨

これを書いているだけも、訪れたことのない瀟湘の地をいい風景だなあと思ってしまいます。これらの句は宗迪ではなく後の人が付けたのだろうと考えられてますが、たった4字から生まれるイメージ! 詩と言葉を重んじてきた中国文化の一端がここからでも感じられます。

以前に見た池大雅の「洞庭秋月図」、通称「ピョロリのおじさん」と勝手に呼んでいる絵も瀟湘八景の一つを描いたものでした。おじさん呼ばわりしつつ、じつは「笛を吹く唐子」と解説にあったので、ぜんぜん子どもだったので後に驚いたのですが。

大雅の瀟湘図なんかだいぶゆったりしてましたが、時代や国や人によって描かれ方も色々あり、どの人のが好きだろうかとか、こんな絵もあるんだとおもしろいです。日本に八景図の断簡が伝わり有名なのが、牧谿(もっけい)、玉澗(ぎょくかん)で出光美術館にあったり、徳川美術館にあったりするようです。日本では狩野元信とか、雪村とか。「瀟湘八景図」は鎌倉時代にはすでに日本でも知られるようになっていたようです。以前に見た雪舟の山水長巻にも瀟湘八景のテーマが盛り込まれていたりと。それぞれにだいぶ雰囲気が違います。

  
狩野元信 東海庵蔵(15〜16世紀)   遠浦帰帆図 玉澗 徳川美術館蔵(13世紀)

そういえば信じられない感じで描かれていた朝鮮民画もあったわけだし、瀟湘八景を自分で描いてみるのもいいなあと。

山と水の描かれている自然を見ていると、ひとりでに心はその隠遁の世界に入りこんでしまう、そんな感覚になれる山水画が特に好きですが、「臥遊(がゆう)」という言葉があるそうです。

宗炳『画山水序』より(と思われます)

宗炳(そうへい)という人が、晩年老いと病で名山を訪れることが出来なくなったので、これまで行った地を絵に描き、絵に向かい自室でその境地に浸ったことから生まれた言葉。

ただ懐を澄まし、臥したままそこに遊ぶ。

という意味です。なんといい言葉!
この「臥遊」が、その後の中国の山水画観の基本的な理念となったということ。
トーハクに「瀟湘臥遊図巻」というのがあるらしいです。今このタイミングでちょうど見られるみたいですが、李さんという名字しか分からない人の絵のようです。
文人たちの集いに添えるために描かれた絵で、「瀟湘」というのが文人にとって特別な土地として語られ、「臥遊」の精神がキーポイントになっていることが分かる代表的なもの。

ということなどについてを、以下の本で知りました。


『花鳥・山水画を読み解く』宮崎法子 2003

カチっとした堅い本かなと思いながら読んでみて、たしかにカチっとした本でしたけど、中国の花鳥画、山水画への入門としてふさわしい、すごくしっかりした良い本でした。特に絵の主題に着目して、時代による描かれ方の変化やモチーフに込められた意味などの解説があり、まず垣間見てみるのにはちょうどよかったです。ひとまずこれを足がかりにさらに深い世界へ踏み込んでいければと思える本でした。
また、過去を懐かしむように知る、ということだけでなくて、このような中国の伝統を通じて、現在では過小評価されてしまった、かつて東アジアの文化圏の一員であった日本というものを再認識できれば、という著者の歴史観についての態度も合わせて垣間見えるようなところもあり。「はじめに」のところから考えさせられる部分がありました。
中国を摂取し、西洋を急速に摂取してきたので、一度シーソーをまっすぐに戻すような気持ちで見てみたら、ちょっとずつ見える物が変わってくるのかもしれないです。

そしてもう一冊読んでみている本。

『中国絵画のみかた』王 耀庭 1995

まだ読みきれてないですが、これも良い本だと思います。
上のよりもっと分かりやすく、中国絵画で大切にされている表現についてと、時代の流れで見ていく絵画史に大きく内容が分かれていました。こちらはほとんどカラーで図版もたくさん載ってます。みかたを教えてくれるので、構成は教科書的ですがやたら説明的にタンタンとした感じはなく、文章が良いのか、個人的に好みの本でした。

この二冊を続けて読めば、なーんとなくポイっと中国絵画に入っていけそうな気がしてます。

それにしても、いちばんとっかかりにくいのが人名! 検索するのにも漢字変換が難しくてたいへん。図書館で本を見てても、西洋のカタカナの名前の人のは沢山あっても、東洋の本は少なめ。そんなことすら今が西洋社会に傾いてるせいなのかとか、勝手になすりつけてみたり。

ともあれ、もっと中国絵画のことを知ってみてから、その影響下にあった日本の絵をまた見直してみれば、改めていろいろ感じられるかもしれないし、何が違って何が同じかとかも考えてみたいし。

今回書いたことですら、宮崎さんの本の5ページ分くらいに満たないちっぽけなことで、さすが中国何千年の歴史。ひとつ知ろうとすると深淵が見え怖じ気づいてしまう気持ちもあります。もっとあたまをまとめたいことがいっぱい。!


2012年12月30日日曜日

感想 「会田誠展」いってきました


何かの番組で秋元康先生が、生きていることはその時代の目撃者であること、のようなことを言っていたのが心に残っています。
会田誠展を見るというのも、今、now、この場所で、同時代を生きているからこそ目撃しておかなければいけないような気がしたので足を運んでみました。

好き、嫌いに関わらずと思いつつ、これまで会田さんの作品を積極的に見た事は無いし、エロ的グロ的なセカイが広がっているのかなあと六本木ヒルズを見上げながら怖じ気づく・・・ ひとまずお茶を一杯。緊張感を和らげてから53階へと向かいました。

「美術館」での個展は初のことだそうで、展覧会は20年以上にわたる会田さんの作品をおおよそ時系列で見ていくことができました。
最初は何だかビートたけしの笑いを思わせるような作品から始まって、戦争、少女などのテーマが現れたと思うと、ビン・ラディンに扮した映像が流れていたり。表現方法も形式も何かにとどまることなく、次々と試みが重ねられていく会田さんのセカイがありました。

ばかみたいなもの、気持ち悪いもの、へんなもの。
一見そんな風に見えるものが多々あって、展覧会の間中、この人ってどういう人なんだろうと考えざるを得ませんでした。

会田さんの作品はやれそうと思っても、ふつうそれは作品化しようと思わないのでは?という「ふつうそれは、」のラインを軽々と越えてしまっています。何も取り繕わず、表そうとしたものをそのまま世にお披露目している態度でいること自体がすごいなと感じました。
「今日もっとも注目されている日本の現代アーティストのひとりです。」
と紹介されていましたが、いわゆる現代アーティストとしての立場とか、アート市場のことにも、はなから関わっていないしこだわってもいない人物なんだろうなと。

とはいえ、作品を洗練させたいし、良いところ見せたいし、簡単に言えば「誰かを気にする」ことは人ならばアーティストだってあると思うんです。でもこの人はそこをまんまオープンにしてしまうような。ありのまま、1965年生まれの芸大を出た会田誠という人間の作ったもの。自分の存在が全ての作品の根源で、前提で、自分の中から排出できるものをどんどんさらけ出している人、そんな人かなと思いました。考えれば考えるほどじわじわと、騙されたかなと思うほど、会田さんという人の持つ魅力を感じました。

腸のようなモチーフで埋め尽くされたピンク色の部屋があり、「どうしてこれを作りたかったか謎」ということが書かれていました。ご本人がどこまで色々なことを意図してやっているのか分からないですが、「どうして」という部分を追求し尽くさずに、形として作品に落としどころを持って完成させているのは、長年作り続けてきた力技を持ってるんだなあと思いました。

散らかっているように見えて、意味の無いようにみえて、でもなんだか結局考えてしまう自分がいます。

「美術が扱うのは本質ではなく表面だ」

という言葉が心に残りました。それは裏腹な言葉にも聞こえて、物事のガワだけを意識して描き続けることは、結局本質を現してしまうこともあるんだと思います。

2000年以降の作品になると、サイズがばかみたいに大きい大作が現れました。
最後の展示室に進むと、すっぽり巨大な部屋におさまった巨大な絵がいくつも。「継続中」と書かれ、今も描き続けられている未完成の作品も2つありました。夜な夜なここで筆を進めているそうです。
個人の好みではこの部屋の作品が一番好きで、大きい空間と絵が作り上げている不思議な場を感じながら、特にラストの「電信柱、カラス、その他」が最も素晴らしくて見入ってしまいました。“困った時の伝統頼み”と本人が言われているように、この画も等伯の松竹図の要素を取り入れているそうです。靄のなか揺れる松竹の空気感を思わせながらも「今この時代この場所」でしか描けない仕上がりになっているところに、またもや力技を感じました。

1965年生まれという事は、会田さんは40代後半になるんですね。
ここ数年の作品は、今まさに気力・体力の最高潮にいるのではと思わされる迫力と迫真がありました。大きいものを描き上げるだけで相当の体力が要ることと思います。
にしてもエロとかグロなものを一番和らげているのは、会田さんのビジュアルが相当大きいなあと思います。同じ事を違う人がすると作品のニュアンスまで変わってしまいそう。

なんだか別に会田さんのこととか・・
と思い続けないで、きっちり見に行ってみて大変良かった展覧会でした。

私が訪れた頃は、図録もまだ仕上げ中で販売されておらず、作品リストも会場にありませんでした。今図録はAmazonでも購入できるようで、作品リストは展覧会サイトからダウンロードできました。

『会田誠作品集 天才でごめんなさい』2012

作品リストpdf


2012年12月18日火曜日

感想 「巨匠たちの英国水彩画展」いってきました 


12月の一番目はBunkamura ザ・ミュージアムの「巨匠たちの英国水彩画展」でした。
イギリス美術のこともよくわからなければ、水彩画というとまず小学校の美術の授業が思い出されるくらい。すこし退屈を心配しながらいってみたのですが、ほかにはない水彩の世界に引き込まれ、結局かなり長居した展覧会でもありました。

Francis Towne 1777

今回いちばん好きだったのはフランシス・タウンという人の絵。ほかにも沢山の人による風景画が見られたのですが、この人のだけはすこしジブリっぽくてアニメな感じ。現実の風景なのにちょっとしたファンタジー要素が紛れ込んでいる気がして、欲しいなあと思う絵でした。

このような風景画が描かれた18世紀後半〜19世紀は、イギリスの裕福な人たちの間で国内外への旅行が盛んになった頃だそうです。旅行が流行るということは、各地の見所を紹介するガイドブックも出版されるようになり、写真がまだないこの頃は風景画がその役目を果たし人気を博していたということ。

画家たちはそんな「画になる風景」を求め絵を描いていたようですが、絵にふさわしい、絵のような景観の魅力を指す言葉として「ピクチャレスク」という概念も生み出され流行するように。展覧会では自然の絵だけでなく、古城や大聖堂、廃墟などの絵も多かったのですが、古代の廃墟などは特に「ピクチャレスク」の典型だということです。

大体イギリスの美術のことがよく分からないので、参考のため一冊本をゲットしてみました。

『イギリス美術』高橋裕子 1998

世紀末美術あたりまでのおおまかなイギリス美術の流れが書かれてある本でした。ほかに簡単に手に入りそうなイギリス美術史の本がさっと見つからなかったのが心残りです。絶対これだけではないと思うのですが、何があるんだろう。

そもそもイギリスではこの18、19世紀より前の美術史となると目立った発展をしてこなかったそうです。というのは大げさだと思いますが、イタリアやフランスなど当時の正当派美術理論からすると、最も格の高い絵は「歴史画」。「目の前にあるものを写し取るだけの技術」よりも、「人間の意義ある行為」を描く方が高尚だとされていたので、その観点から見ると、なぜかそれまで「肖像画」が一躍流行していたイギリスという国は美術史において芸術的な弱点があるともされてしまうのが一般的評価らしいのです。

そんなフランスなどに立ち後れる形で、1768年にイギリスでも美術アカデミーが設立。
「遅れた」ことが結局イギリスにとって独特の価値観を生むことに繋がったようで、アカデミーが設立される少し前には、エドマンド・バーグという哲学者が『崇高と美の観念の起源』という美術理論を発表しています。そこではラファエロの調和的な「美」を最高位に置いた17〜18世紀のフランスアカデミーの価値観に対して、「サブライム(崇高)」という荒削りで力強く、人を畏怖させることで魅惑する特性が最高の美的観念であるとして、バーグはそれまで個性的であるため否定的に評価されていたミケランジェロを再評価し、新しい理論を生み出したそうなのです。このエドマンド・バーグの本読んでみたいリスト行きです。

「ピクチャレスク」というのはウィリアム・ギルピンやユーヴェデイル・プライスといった人たちが発展させた理論で、これは「美」と「サブライム」の中間、もしくはどちらでもないけれど明らかに美的満足感を与えるもう一つの特性、として出来た美学的概念だということでした。

ピクチャレスク、と聞いたときに、写真が登場しはじめた頃に言われていた「ピクトリアリズム」という言葉を思い出しました。まだ芸術と見なされていなかった写真を芸術的に確立させるため、絵画的な主題や構図を模倣するような写真が撮られ、絵的な美しさを写真に同様にあてはめた概念のことでした。この考え方も同じくイギリスから生まれたものです。
肖像画の発展、風景画の発展、と結局時代の流れによって「写真」にその座を奪われてしまう所で絵を発展させてきたというのは、その頃のイギリスにだけ何か独特なものがあったのかなと面白い気がします。

それにしても画になる写真「ピクトリアリズム」は、写真が絵から離れ独自の表現方法を目指していく時代に変わっていくうちに廃れていったと思いきや、今では例えばInstagramとか流行っているのを考えれば、「画的なもの」というのがまたどこかから現れてぐるっと螺旋の階段を登っているような感覚にもなります。


展覧会名にある「巨匠たちの〜」ことまで辿りつかないのですが、巨匠と指されているのは、ターナー、ブレイク、ミレイ、ロセッティ、バーン=ジョーンズ・・など18世紀後半〜19世紀にかけて活躍した画家たち。
わたしのなかでターナーといえば夏目漱石を思い出し、ブレイクといえば柳宗悦、ミレイもやっぱり『草枕』に出てくる「オフィーリア」の話で、ロセッティ、バーン=ジョーンズは青木繁、と彼らを通じて名前を聞いたイメージが強い。いまだ明治時代のエゲレス的感覚でしか彼らを知らないような気がします。
特にターナーさんについてはいつかきちんと知らなければと、不思議に思う一人でした。

Joseph Mallord William Turner 自画像 1775〜1851

本人は鼻が大きいのが嫌だったらしいですけど、結構かっこよさげに描いてると思うんですが。。すこし小泉進次郎さんを思わせる眼差しではないでしょうか。

ターナーの絵を時々どこかで見かけていつも不思議だったこと。
19世紀末には印象主義が生まれました。
20世紀になると表現主義が発展しました。
と教科書的な断片知識をもったままターナーの代表的な絵を見ると、彼らより以前にこのもわもわした画を描いているこの人はじゃあ何なのよ??といつも不思議でした。

ターナー「吹雪」 1843

これは油彩になるので今回は出ていなかったものですが、ターナーがお願いしてなんと舟のマストに体を縛りつけてもらい、嵐の中4時間も海を眺め続けて生まれたという作品らしいです。「石鹸の泡と水漆喰のかたまり」と酷評されたものらしいですが。ターナー何なの?とますます気になるばかりです。
ターナーの絵はこのような革新的な絵ばかりではないのですが、やはり印象的なのは、火事や雪崩や荒れ狂う海など、人が太刀打ちできない自然の荒々しさを描いているもの。それはまさしく今回知った「サブライム」の概念に通じるところにある絵でした。

展覧会ではピクチャレスクが流行した頃のターナーの水彩画を見たので、まだ形がしっかりとどまっている風景や廃墟などの絵も見る事ができました。ロイヤル・アカデミーで学び若くして名声を得たターナーは、流行していた地誌的出版物の原画を描く仕事を油彩画制作と並行しながら行っていたそうです。旅行などの人の往来が盛んになり世の中の距離が縮まってくるこの時代、ターナーが画を描き、銅板画で版画化し出版する・・ 日本でもちょうど広重や北斎の「東海道五十三次」「富嶽三十六景」などの風景版画シリーズが出される前でもあり、ターナーを「ロンドンの浮世絵師」と呼んでいる本もありました。

『ターナー』藤田治彦 2001

ターナーについてはこちらの本を読んでみました。画がたくさん収められている100ページ程度の本です。分かるような分からないような、いまいちしっくり来ない本でした。

もう一人、今回はじめて知って気になった人のメモを。


Alexander Cozens 1717〜1786

アレグザンダー・カズンズという人。水墨っぽい表現だったり「染みこませによる素描」とか書かれていて変わった人だなと絵を見ていました。
この人はイギリスの水彩画発展の基礎を築いたと言われる、ロシア生まれのお方だそうです。偶然性の高いしみ(ブロット)を発展させて風景画を描く手法を提案していたらしく実験的なことをしていた人のもよう。その息子さんジョン・ロバート・カズンズも画家として活躍していて、ターナーはその人たちの作品の模写などで水彩画の技法を吸収していったらしいです。

ちょうど読んでいた椹木野衣さんの本で水墨画についての箇所があって、
西洋美術の世界では偶然性や不確実性を人の技芸の及ばぬ領域として非常に嫌った、構造によらない造形では修練が意味を為さなくなるし、偶然性を認めると画家としての向上もなくなるからだ、
というような事が書かれてありました。
これまで積極的に為されなかったような偶然を利用するとか、風景画の発達とかいうことがイギリス水彩画の世界で起こったことは、やっぱりイギリスに何か独特な美術を生むものがあったのだと思いますし、今回でイギリス美術への興味がかなり増しました。

『反アート入門』椹木 野衣 2010

結局、水彩画とターナーのことで頭がいっぱいになってしまったのですが、展覧会にはミレイなどのラファエル前派の作品やブレイクなどもあり、ロセッティの絵もはじめて見ましたが見惚れてしまったので、彼らのことももっとしっかり知ろうと思いつつ、、
読んでみようと思う本だけ決めてまだ読まずじまい。

『ラファエル前派』ローランス デ・カール 2001 

これは面白いのかなあ。
今回手に取った本は求めている感じにぴったり来なかったので、イギリス美術関連の本に心配がつのります。


2012年11月30日金曜日

こんぴらふねふね

しゅら しゅしゅしゅ。

その昔、インドにはワニの姿をした神様クンピーラがいました。
神様たちの世界は複雑で、クンピーラが仏教の世界にあらわれると宮毘羅(くびら)大将、別名・金毘羅(こんぴら)さまと呼ばれます。
香川県、今の「こんぴらさん」がある山は元々松尾山と呼ばれる山で、お釈迦さまをご本尊とする松尾寺というお寺がありました。金毘羅さまはお釈迦様が修行したというヒフラ山の守護者だったので、そんなご縁もあり一緒におまつりされることに。
金毘羅さまは海や水に関わるお方、松尾山は瀬戸内の海に出る舟人たちの目印にもなる場所なので、航海の神としての存在が増すようになり・・土地の神様方とも習合しながら金毘羅さまの力はだんだんと大きくなり、ついに「金毘羅大権現」と呼ばれ崇められるように。
もともと金毘羅さまの守っていたヒフラ山というのは「象の頭」を意味する言葉。ということで、松尾山がいまでは象頭山(ぞうずさん)と呼ばれることになったのだとも。
しかしながら人間も勝手なもので、明治時代になると神仏分離を行ったので、仏さまが仮の姿として神さまの形になっている「権現」というもの自体が禁止に。そして松尾寺は廃寺になり、いまの金刀比羅宮と改められる。。
正確には違っているかもですが、というのが「こんぴらさん」についてかいつまんで分かったこと。すごいです人の考えることは。神様たちはなんのこっちゃ分からなかったんじゃないでしょうか。

そんな通称「こんぴらさん」へ大人になってはじめて行きました。
奥社までは行きませんでしたが、本宮までの785段の石段を登りました。


しんどいけれどなぜか楽しくそして清々しく、お参りのために登っていくという行為がしっくり来ました。下りながら参拝に行くのはいやだしなあ。上と下、天と地。やっぱり何かに登りたいんですね人間。


かっこいい。こまいぬがわんさか。

かれこれ昔の時代から、この道をどんな人たちが何を思って登っていたのかしら。江戸時代には金毘羅参りはお伊勢参りと同じくらい大流行になっていたというし。ふもとにあった琴平町立歴史民俗資料館という人っ子ひとりいない場所で、かつて賑わっていた門前町のミニチュアが見られました。


しかし今回の一番の目的は、金刀比羅宮の中の表書院を飾っている円山応挙の障壁画を見てみたかったのです。神仏分離以前は「金光院松尾寺」であったこんぴらさん。応挙に絵をお願いしたのは、お寺を統率していた代々の金光院さんの中の宥存(ゆうぞん)さんという人。応挙の前には、若冲にもお願いして奥書院のほうに絵を描いてもらったということで、他にも金光院のお歴々は文化に造形の深い人物が多く、芸術家への支援や書画の収集などもおこなっていたそう。

「鶴の間」から始まる6つの間を見られる表書院は、残念ながら部屋の中からの鑑賞が出来なかったので、各部屋を覗き魔のように外からじーっと眺めるしかありませんでした。応挙のことについてはまた別でちゃんと考えたいですが、最後の「富士の間」の富士山のすそがずーっと襖を続いて行く邨田丹陵の絵がとても良かった。これは明治35年に描かれたんだそうです。

 

しぶいお庭でした。表書院は金光院さんが客殿として使用するために1658〜1660年頃に建てられた建築物。格の高い訪問客をもてなす部屋、従者を待たせておく部屋など、各間の用途に沿った画題があり全体の連続性があり、それでもって金光院さんの権威を示すように巧みに計算され描かれている障壁画。「デザイン」という言葉に直接対応する日本語が無かったというのを以前知りましたが、すでに隅から隅まで計算しつくす空間デザインの考えがあったからこそ、あえて言葉が必要なかったのではと思わされました。


小さい子が一生懸命「おーい、おーい」と呼びかけてやっと頭をあげてくれた白いお馬は、神さまが乗られる神馬(しんめ)。やほー!

お参りをした後は、登ってきた階段コースとは別の裏参道コースで下山しました。階段の賑やかな参道とは違って、裏道は山の木々の中を抜けて行くルート。紅葉の綺麗なシーズンなのになぜか人が全然居ない。「こちらへお進みください」と立て看板を掛けてきたくなったほど、ほれぼれするような色の世界がありました。


抽象的な概念がいろいろあるなかでも「神聖」というのはいったい何なんだろう。

疲れたらほっと一息。