2012年12月18日火曜日

感想 「巨匠たちの英国水彩画展」いってきました 


12月の一番目はBunkamura ザ・ミュージアムの「巨匠たちの英国水彩画展」でした。
イギリス美術のこともよくわからなければ、水彩画というとまず小学校の美術の授業が思い出されるくらい。すこし退屈を心配しながらいってみたのですが、ほかにはない水彩の世界に引き込まれ、結局かなり長居した展覧会でもありました。

Francis Towne 1777

今回いちばん好きだったのはフランシス・タウンという人の絵。ほかにも沢山の人による風景画が見られたのですが、この人のだけはすこしジブリっぽくてアニメな感じ。現実の風景なのにちょっとしたファンタジー要素が紛れ込んでいる気がして、欲しいなあと思う絵でした。

このような風景画が描かれた18世紀後半〜19世紀は、イギリスの裕福な人たちの間で国内外への旅行が盛んになった頃だそうです。旅行が流行るということは、各地の見所を紹介するガイドブックも出版されるようになり、写真がまだないこの頃は風景画がその役目を果たし人気を博していたということ。

画家たちはそんな「画になる風景」を求め絵を描いていたようですが、絵にふさわしい、絵のような景観の魅力を指す言葉として「ピクチャレスク」という概念も生み出され流行するように。展覧会では自然の絵だけでなく、古城や大聖堂、廃墟などの絵も多かったのですが、古代の廃墟などは特に「ピクチャレスク」の典型だということです。

大体イギリスの美術のことがよく分からないので、参考のため一冊本をゲットしてみました。

『イギリス美術』高橋裕子 1998

世紀末美術あたりまでのおおまかなイギリス美術の流れが書かれてある本でした。ほかに簡単に手に入りそうなイギリス美術史の本がさっと見つからなかったのが心残りです。絶対これだけではないと思うのですが、何があるんだろう。

そもそもイギリスではこの18、19世紀より前の美術史となると目立った発展をしてこなかったそうです。というのは大げさだと思いますが、イタリアやフランスなど当時の正当派美術理論からすると、最も格の高い絵は「歴史画」。「目の前にあるものを写し取るだけの技術」よりも、「人間の意義ある行為」を描く方が高尚だとされていたので、その観点から見ると、なぜかそれまで「肖像画」が一躍流行していたイギリスという国は美術史において芸術的な弱点があるともされてしまうのが一般的評価らしいのです。

そんなフランスなどに立ち後れる形で、1768年にイギリスでも美術アカデミーが設立。
「遅れた」ことが結局イギリスにとって独特の価値観を生むことに繋がったようで、アカデミーが設立される少し前には、エドマンド・バーグという哲学者が『崇高と美の観念の起源』という美術理論を発表しています。そこではラファエロの調和的な「美」を最高位に置いた17〜18世紀のフランスアカデミーの価値観に対して、「サブライム(崇高)」という荒削りで力強く、人を畏怖させることで魅惑する特性が最高の美的観念であるとして、バーグはそれまで個性的であるため否定的に評価されていたミケランジェロを再評価し、新しい理論を生み出したそうなのです。このエドマンド・バーグの本読んでみたいリスト行きです。

「ピクチャレスク」というのはウィリアム・ギルピンやユーヴェデイル・プライスといった人たちが発展させた理論で、これは「美」と「サブライム」の中間、もしくはどちらでもないけれど明らかに美的満足感を与えるもう一つの特性、として出来た美学的概念だということでした。

ピクチャレスク、と聞いたときに、写真が登場しはじめた頃に言われていた「ピクトリアリズム」という言葉を思い出しました。まだ芸術と見なされていなかった写真を芸術的に確立させるため、絵画的な主題や構図を模倣するような写真が撮られ、絵的な美しさを写真に同様にあてはめた概念のことでした。この考え方も同じくイギリスから生まれたものです。
肖像画の発展、風景画の発展、と結局時代の流れによって「写真」にその座を奪われてしまう所で絵を発展させてきたというのは、その頃のイギリスにだけ何か独特なものがあったのかなと面白い気がします。

それにしても画になる写真「ピクトリアリズム」は、写真が絵から離れ独自の表現方法を目指していく時代に変わっていくうちに廃れていったと思いきや、今では例えばInstagramとか流行っているのを考えれば、「画的なもの」というのがまたどこかから現れてぐるっと螺旋の階段を登っているような感覚にもなります。


展覧会名にある「巨匠たちの〜」ことまで辿りつかないのですが、巨匠と指されているのは、ターナー、ブレイク、ミレイ、ロセッティ、バーン=ジョーンズ・・など18世紀後半〜19世紀にかけて活躍した画家たち。
わたしのなかでターナーといえば夏目漱石を思い出し、ブレイクといえば柳宗悦、ミレイもやっぱり『草枕』に出てくる「オフィーリア」の話で、ロセッティ、バーン=ジョーンズは青木繁、と彼らを通じて名前を聞いたイメージが強い。いまだ明治時代のエゲレス的感覚でしか彼らを知らないような気がします。
特にターナーさんについてはいつかきちんと知らなければと、不思議に思う一人でした。

Joseph Mallord William Turner 自画像 1775〜1851

本人は鼻が大きいのが嫌だったらしいですけど、結構かっこよさげに描いてると思うんですが。。すこし小泉進次郎さんを思わせる眼差しではないでしょうか。

ターナーの絵を時々どこかで見かけていつも不思議だったこと。
19世紀末には印象主義が生まれました。
20世紀になると表現主義が発展しました。
と教科書的な断片知識をもったままターナーの代表的な絵を見ると、彼らより以前にこのもわもわした画を描いているこの人はじゃあ何なのよ??といつも不思議でした。

ターナー「吹雪」 1843

これは油彩になるので今回は出ていなかったものですが、ターナーがお願いしてなんと舟のマストに体を縛りつけてもらい、嵐の中4時間も海を眺め続けて生まれたという作品らしいです。「石鹸の泡と水漆喰のかたまり」と酷評されたものらしいですが。ターナー何なの?とますます気になるばかりです。
ターナーの絵はこのような革新的な絵ばかりではないのですが、やはり印象的なのは、火事や雪崩や荒れ狂う海など、人が太刀打ちできない自然の荒々しさを描いているもの。それはまさしく今回知った「サブライム」の概念に通じるところにある絵でした。

展覧会ではピクチャレスクが流行した頃のターナーの水彩画を見たので、まだ形がしっかりとどまっている風景や廃墟などの絵も見る事ができました。ロイヤル・アカデミーで学び若くして名声を得たターナーは、流行していた地誌的出版物の原画を描く仕事を油彩画制作と並行しながら行っていたそうです。旅行などの人の往来が盛んになり世の中の距離が縮まってくるこの時代、ターナーが画を描き、銅板画で版画化し出版する・・ 日本でもちょうど広重や北斎の「東海道五十三次」「富嶽三十六景」などの風景版画シリーズが出される前でもあり、ターナーを「ロンドンの浮世絵師」と呼んでいる本もありました。

『ターナー』藤田治彦 2001

ターナーについてはこちらの本を読んでみました。画がたくさん収められている100ページ程度の本です。分かるような分からないような、いまいちしっくり来ない本でした。

もう一人、今回はじめて知って気になった人のメモを。


Alexander Cozens 1717〜1786

アレグザンダー・カズンズという人。水墨っぽい表現だったり「染みこませによる素描」とか書かれていて変わった人だなと絵を見ていました。
この人はイギリスの水彩画発展の基礎を築いたと言われる、ロシア生まれのお方だそうです。偶然性の高いしみ(ブロット)を発展させて風景画を描く手法を提案していたらしく実験的なことをしていた人のもよう。その息子さんジョン・ロバート・カズンズも画家として活躍していて、ターナーはその人たちの作品の模写などで水彩画の技法を吸収していったらしいです。

ちょうど読んでいた椹木野衣さんの本で水墨画についての箇所があって、
西洋美術の世界では偶然性や不確実性を人の技芸の及ばぬ領域として非常に嫌った、構造によらない造形では修練が意味を為さなくなるし、偶然性を認めると画家としての向上もなくなるからだ、
というような事が書かれてありました。
これまで積極的に為されなかったような偶然を利用するとか、風景画の発達とかいうことがイギリス水彩画の世界で起こったことは、やっぱりイギリスに何か独特な美術を生むものがあったのだと思いますし、今回でイギリス美術への興味がかなり増しました。

『反アート入門』椹木 野衣 2010

結局、水彩画とターナーのことで頭がいっぱいになってしまったのですが、展覧会にはミレイなどのラファエル前派の作品やブレイクなどもあり、ロセッティの絵もはじめて見ましたが見惚れてしまったので、彼らのことももっとしっかり知ろうと思いつつ、、
読んでみようと思う本だけ決めてまだ読まずじまい。

『ラファエル前派』ローランス デ・カール 2001 

これは面白いのかなあ。
今回手に取った本は求めている感じにぴったり来なかったので、イギリス美術関連の本に心配がつのります。


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