2012年6月9日土曜日

福田平八郎展 ひとまずその前に


5/26から始まっている山種美術館での福田平八郎展、
楽しみにこれから行こうと思っています。

以前に「筍」を初めて見て以来、福田さんについて読んだりしてきましたが、山種美術館へ行く前にひとまず整理します。


福田平八郎さん。
1892年(明治25年)に大分で生まれ、京都で活躍し、1974年(昭和49年)82歳で亡くなる。

経歴を見ると、世間からの評価が得られず苦しんだ画家、とは正反対のタイプ。若い頃から順調に日本画の技法を身につけ、世に出る機会にも恵まれ順風満帆な画家人生に見える。近代日本画壇の巨匠として名を残している人物。


「漣(さざなみ)」「筍」「雨」、 代表的な作品。
絵の構図は不思議だし、時代をあまり感じさせない。何なんだろう?
と気になってしまうのがこの人の絵。模様化されたような風景と、単純化された造形、なんでこんなことになったんだろうと疑問が出てきます。

このような表現に至るまでについて、本人の回顧録では、絵専(京都市立絵画専門学校)時代の中井宗太郎先生の言葉が、方向性を定めるきっかけとなったと言っています。
福田について語られるときは必ず紹介されるのがこの言葉、

「自然を隔絶する幕(先輩の技法)を取り除く必要がある。自然に直面して、土田麦僊君の如く主観的に進むか、榊原紫峰君のように客観的に進むかであるが、君は自然を客観的にみつめてゆくほうがよくはないか」

伝統的な中国の花鳥画や桃山時代の障壁画などの技法を学び、学校時代はつねに優秀な成績を収めてきた彼が、卒業制作のときに初めて制作の苦しみを覚えた際に受けたアドバイスです。
そしてこの言葉を羅針盤として、「雨」を発表した1953年(昭和28年)頃まで、自然を客観的に見つめるという態度を守っていったそうです。

しかし、ここでいう「土田麦僊のように主観的」と「榊原紫峰のように客観的」がちょっとわかりません。客観的に見つめる自然ってなに? あとで考えようと思います。

その後数年を経て、第3回帝展(帝国美術院美術展覧会)に出品した「鯉」が特選となり、宮内省に買い上げられた事で、一気に評判が高まり身辺に変化が。依頼画を受けたり、画商が訪れたりと、自分自身の勉強に専念できないことが辛くなり、故郷の大分に一時帰郷。

京都に近すぎないちょうどほっとできる故郷の距離。そういう時に引きこもれる場所があるのは良いよなあと思いつつ、人気が出たからって調子に乗ったりしない人柄が窺い知れる話でした。
人柄といえば落款の話も。「平八郎」と書かれた下には「馬安」「馬平安」「平」のどれかの角印が使われていますが、馬と安はお父さんとお母さんの名前の一字から。学校時代は、「平八郎」ではなく「九州」という号を使っていたというのも、なんだかかわいい話です。


鯉 1921年(大正10年)

とはいえこの頃の絵は後に生まれるものと全く別なスタイルです。
ここから「牡丹」「閑庭待春」を発表していくあいだに、古典形式と訣別し、「朝顔」「茄子」などを通して、自然に対するこれまでの微細な見方を反省。もっと大きな自然を感じたいと中国旅行へ。その事がブレイクスルーの足がかりに。

1929年に発表した「南蛮黍」では、その方向性をにおわせるような表現に変化をしています。残念ながらこの作品は行方不明とのこと。行方不明になった背景には、首藤定という人物と戦争にまつわる話が関わっていました。


南蛮黍 1929年(昭和4年)

福田さんは、モノを見た時、 まず最初に色に惹き付けられると言っています。色の表現もこの頃からだんだんと自由になり、「カラリスト」「色彩画家」と呼ばれることになる特徴的な色使いを手に入れていきます。

その色彩感覚に加えて、
それまで希薄だった独自の表現や新しい様式を生み出したいという課題、
細部にこだわり過ぎず、自然のダイナミズムを掴み取りたいという課題、
が合わさりその答えが出たように、ここから約3年後「漣」が生まれています。

そこで構図についての疑問が残ります。
山種美術館のサイトでは、福田平八郎展にまつわる山下裕二先生、鈴木芳雄さんの対談ページが公開されていますが、その中で面白い話がありました。

岡本東洋(1891ー1969)という写真家について、中川馨さんという人が行った研究の中で、この人の写真と福田さんの絵の構図にとても良くにたものがあることが分かっているそうなのです。


『動物・植物写真と日本近代絵画』中川馨

その研究がまとめられた本です。価格が5,250円とちょと高いので、本屋さんで少し見てきたのですが、これは後でゆっくり読んでみたいです。
岡本東洋さんという写真家は、主に画家のための資料用として、動物や植物の写真を撮りながら活動していた人で、約300人に10数万枚くらいの写真を提供したそうです。
確実に提供したのが分かっている人には、竹内栖鳳らがいるようですが、事実が確認できていない画家達の中にも、岡本東洋の写真を資料として使ったと明らかに分かるほど、よく似た構図の絵があるということです。

「漣」についても、岡本東洋の写真の構図との類似性が指摘されていて、比較したものを見ると、どう考えても写真が参考になっていたとしか思えないほどでした。

福田の絵の構図が、トリミングされたような斬新な構図と言われているのは、写真からの影響が大きいのかもしれません。福田を解説しているものを読んでも、構図の大胆さに述べられているものはあっても、どうしてそうなったのか、何によってなのかということがはっきり分からなかったので、もやもやしていた部分でした。

そしてこの岡本東洋さんの写真は、感性豊かな画家達の手に渡ることを前提としていたからか、単に動物や草花を撮りましたという写真ではなく、それ自体が絵のような叙情的な印象を受けました。

奥村土牛の「醍醐」に似ていると言われる

『花鳥写真図鑑』という全6冊からなる昭和5年に出版されている岡本さんの写真集があります。一冊の中にぎっしり写真がつまっていて、最後に草花と動物の解説があります。お花の解説を書いているのは牧野富太郎さんでした。岡本さんについての展覧会がいつかあれば行きたいなと思います。


とはいえ福田さんの作品を最後の時期まで追っていくと、大きな展覧会への出品をやめた69歳以降は、それまでの雰囲気とはまた違った絵になっていきます。晩年の作品は何かを突き詰めようとするものではなく、心の赴くまま自分が受け止めた自然を愛情持って描いたような絵でした。

こちらも良く紹介される、福田さんが75歳の時の言葉。
「私の絵は、分かりやすく言えば、写実を基本にした装飾画と言えると思います。」

福田さんの絵は、ただの自然の美しさだけがあるところが好きです。寂しかったり、悩ましかったり、理論めいていたりしない。描いた人の気持ちと繋がっていたりしない。よく考えるとかなり難しいことのように思います。自然を客観的に見つめることとは、そのように主観的な事によって目に写る自然ではなく、あるがままの自然を受けとめ表現することを指していたのかなあと思いました。


福田さんについて見たり読んだりした本。


『福田平八郎 (Suiko arts)』島田康寛編 2001

コンパクトサイズの画集。初期の頃から晩年の作まで、一つ一つにつけられた解説を読み進めると、福田平八郎という人についても分かる。平八郎の残したスケッチ、アルバムからの写真、コンパクトな年譜も。全部がコンパクトにちょうどまとめられている本。

『福田平八郎 (現代の日本画)』島田康寛編 1991

こちらも同じく、島田康寛さん編集による大型本。解説は全作品にはついてなかったですが、大きい紙面と綺麗な印刷で見やすい本。さらに詳しい年譜と評伝あり。
 

『東山魁夷/福田平八郎(Art Gallery Japan)』岩崎吉一 原田平作 1986

美しい自然を捉えた東山魁夷と福田さんで一冊を二分割。解説は多いですが、掲載作品は1/2。福田自身による数点の作品解説と、写生についての文章が少し入っていました。

『現代日本美術全集 愛蔵普及版 (6) 福田平八郎集』矢内原伊作 竹田道太郎 1973

こちらも福田の作品解説少しと、中井先生のエピソードも含まれている「大正の頃」という回想録が1ページ入っていました。解説は一番多かったかも。でもスケッチは一部白黒だったり。現代の日本画の方がカラーの図版も作品数も多いです。

『福田平八郎』横川毅一郎 1949

福田さんと親交の深かった美術評論家の横川毅一郎さんによる評伝。横川さんとは他の画家も含めた六潮会という芸術家仲間の会のメンバーでもあります。「雨」が発表されるまだ前、福田さんが57歳ころに出版されている本です。


さてさてさて、山種美術館の福田平八郎展は、この見たり読んだりしたことを全て忘れて訪れたいです。前期・後期で入れ替わり作品があるようなので、ちょっとめんどくさいですが全部見たいしどちらも行ってみようと思います。


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