2012年2月29日水曜日

2日で読む本つながり


雨の日の夜。

休みの日の雪。

その次に好きなのは  寒い日の読書。

冬の寒い日は外の空気をよそにぬくぬく読書に限る。 というのは少し嘘で、雨や雪や寒さを口実にして引きこもりたいだけです・・・でも暑い日だけは何もしたくないな。
 

エンターテイメントなストーリーを一気読みしたかったので、ダン・ブラウンの『ロスト・シンボル』にしました。

 

ついつい夜更かししてしまうくらい展開も気になるし、知的好奇心をそそるような宗教や科学の話もちりばめられていて、ベストセラー中のベストセラー本はやっぱりおもしろいのです。今回のテーマはフリーメーソンと純粋知性科学についてで、ちょっと興味が行き過ぎるとトンデモ本とかに辿りつきそうだけど、何が本当で何が嘘か分からないくらいでまとまっている感じがちょうど楽しめる。しかし早くも魔方陣とかカバラとか怪しいことが気になっています。。




一気読みといえば、『ジェノサイド』も現実にあり得そうという程度にあり得ない設定と、大量虐殺を行ってきた人間の歴史というテーマと、ストーリーの展開力があわさって2日で読んだ本でした。テーマや設定も大掛かりなので、はじめ翻訳本かなと思ってしまいました。スケールが大きい話は最後にぐちゃぐちゃに終わらないか心配になるけど、この本は破綻なく読み終えることができてよかった。面白かったので同じ高野和明さんの『13階段』という死刑制度をテーマにした本も読んでみました。




『ジェノサイド』を読んだとき、ジョン・ダーントンの『ネアンデルタール』を思い出しました。絶滅したネアンデルタール人が実は今も存在して、人間とは違うコミュニケーションの力を持っているというような話。ストーリー力はダン・ブラウンなどに比べるとさすがに落ちるけどノンストップで読めるし、この人の本は取り上げるテーマが好きです。ダーウィンの進化論が生まれる経緯に、じつは隠された陰謀があったという話、『The Darwin Conspiracy』も面白かった。




2日で一気読みの王道東野圭吾、の中でも『虹を操る少年』はちょっとサイエンス要素が含まれていて印象に残った本でした。人間は、バイオフォトンという微量の光を出しているという設定を使った話。

1日で読み切るには生活に支障がでるので、一気読みはやっぱり2日がちょうどよい。定番ベストセラーは面白いこと間違いないし、科学、宗教、生命に関わるような好きなテーマが添えられていると読み応えがあってよい。

だから結果なんなのかというと、私はインディージョーンズが好きで、ハリウッド的なものはやっぱり面白いヨ、ということ。

ひょ!


2012年2月22日水曜日

感想 「東洋陶磁の美」 いってきました


いつか行ってみたい大阪市立東洋陶磁美術館。そこのコレクションがサントリー美術館にやってくるということで、「悠久の光彩 東洋陶磁の美」の展覧会に行ってきました。館長さんの講演もあり、あわせて聴いてきました。


東洋陶磁美術館は、安宅産業がコレクションした貴重な陶磁器をその経営破綻によって散在するのを防ぐため、住友グループの協力によって大阪市に寄贈され、それらを収蔵するため1982年に設立された美術館。国宝2件、重文12件を含む「安宅コレクション」をつくりあげたのは、天性の審美眼を持っているといわれた安宅英一。



その安宅産業がモデルとなったドラマ「ザ・商社」。タイトルがすごい。。石油ビジネスに進出した巨大商社が、事業に失敗し経営破綻してしまうまでを描いた実話に基づく話。原作は松本清張『空の城』。
わたしの中の安宅英一は、このドラマで演じていた片岡仁左衛門さんそのままのイメージで、絵にかいたような骨董趣味の近寄りがたいおじいちゃん。もちろんコレクションは趣味とかのレベルでなく、最高級といわれるようなものばかり。安宅産業の事業よりも美術品の収集や、若手音楽家の育成に傾倒したりと、パトロン的存在でも知られる安宅英一。

日曜美術館では「執念と礼節のコレクター」と紹介され、側近でもあった伊藤郁太郎さんは『美の猟犬』と比喩している。安宅英一についての形容詞には狂気のような恐ろしさがあるけれど魅力を感じる。

なので今回見られる品々は、ほとんどがその怖いおじいちゃんの眼にかなった逸品たち。安宅英一の眼を見られるという楽しみもあり出かけてきました。

中国や韓国の陶磁器の歴史など、館長の話を聞いていると、もっと知りたい病にかかります。中国では今でも、絵画などより書や工芸のほうが芸術性が高いそう。ヨーロッパなどでは「飾り」と見られてきた工芸も、中国では窯の中に入れてみなければ分からない、という不確実性から生み出す技術に重きを置かれるため、陶磁器が最も芸術性の高いものだという。特に北宋時代の美意識は今からみるとモダニズム的な要素が一番表れていた時代だったそうで、アクションペインティングのようなことも行われていたり、陶磁器に微妙に表れるひびが美しいとか、鑑賞方法も変わっていたよう。さすが中国4000年の歴史。一つ知ろうとすると、深い歴史が芋づる式についてくる。ほかにも青磁の中のトップクラスで王家しか使ってはいけないという「秘色青磁」の話や、安宅コレクションの性格など、てんこ盛りで頭がぱんぱんでした。日本の陶磁器のお話もあり、特に割れた茶碗や欠けた陶磁器を全く違う質感や模様などを用いてで継ぎはぎする方法の話は印象的でした。修復された桃山時代の器のスライドを見たときはそのダイナミックさと発想にびっくり。それでさらに価値が高まるとか、修復の美を鑑賞するとか、その感性が生まれた事はやっぱりかっこいいとしか言いようがないです。。

さて、展示の方については、事前知識があろうとなかろうと、先入観を持っていようと、なんにも知らなくても、素晴らしい以外何ものでもないと思います。私も知らないことだらけで見てきましたが、その美しさに驚愕。次の壺、次の器と前に立ってはめっちゃいいやん・・の連続。めっちゃいいやん祭りでした。感動すると言葉で語りたくなる、でも目の前にすると語り尽くせないむなしさがある、そんな感情と共に見てきました。


あとで振り返ろうと、こちらは図録。写真と記憶を繋ぎ合わせて全体の印象を思い出す。サントリー美術館でもとても美しく見えましたが、できることなら美術館という場でもなく、安宅英一が言った青磁の鑑賞方法で心行くまで眺めてみたい。秋の日の障子一枚隔てた光でみるのがふさわしい、おのれの青に染まるから」。おのれの青・・・。そしてそんなベストポジションが分かるまで眺め尽くした人が羨ましい限りです。


2012年2月17日金曜日

感想 「今和次郎 採集講義」展 いってきました

少し前に、パナソニック汐留ミュージアムで開催中の「今和次郎 採集講義展」に行ってきました。

今和次郎・・   いまわ じろう? 
と、名前も分からないくらいで出掛けたものの、思いがけず楽しい展覧会でした。名前も思いがけず「こん・わじろう」さん。


パンフレット、そして図録。
主に写真やスケッチ、ドローイングが展示物だったので、普通の書籍サイズで十分に収まってます。解説もしっかりあって、今さんの不思議なスケッチをただただ眺めたりもしやすく、この図録は気に入っています。

「「考現学」の創始者にして型破りな画家・建築家・デザイナーによる大正・昭和の日本一切しらべ!」 

と、帯には。「考現学」というのは、「考古学」に対して作られた言葉で、字から察する通り、現代のあらゆるものをとにかくひたすら観察し記録し、分析するというものであるらしい。

〜学とか記録というと堅い感じがあるけれど、今さんの場合、絵で記録を残していたり、観察対象が一風面白かったりするので、アカデミックさよりも、実験的・前衛的な芸術活動のようにもとれる。図録にコラムも寄せている藤森照信さん、赤瀬川源平さんらによる路上観察学やトマソンなどは、考現学に再注目した人々でもありその影響が大きいということで、なんとも納得できる。

徹底した観察ぶりと、つっこみどころも兼ね備えた記録資料を見ながら、展示室の中では思わず笑ってしまいそうになるので、誰かと一緒に行くと楽しかったかなと少し残念。

終始絵の面白さに気をとられてばかりでしたが、今さんは建築学科などで教える大学教授だったので、学問としては異質な「考現学」以外にも、住居論、生活学、服装研究など人間生活に関わる分野で功績を残された方で、後々に与えている影響も多いそうです。

今さんが生きたのは大正から昭和の時代、1888年~1973年。
解説などを読んでみると、今さんについて考えるときには、ざっくり三つくらいに括れそうです。

○民家研究
早稲田大学の建築学科へ入学し、その後教授になるまでの間に、今さんは柳田国男さんと一緒に民家研究を行っています。早稲田での今さんの先生は、建築学科を創設者した佐藤功一さんという人。後の考現学での徹底したまでの観察や、記録をとるやり方は佐藤功一さんから教わったことが大きいらしく、佐藤さんのことも気になります。
今さんの民家研究のルーツは、その佐藤さんと柳田さんたちがつくった「白茅会(はくほうかい)」という民家研究の会に参加したこと。今さんが絵が上手だということで記録係としてご指名されたことが始まりのようです。
また、柳田国男と同行調査したことは、住居というものを単に入れ物や構造としてだけでなく、人の行動や土地土地の環境によって成り立っているという視点を培うキッカケだったようで、柳田さんの影響は計り知れないと思います。


その頃のスケッチ。絵が上手。
右側は漁村の物干し竿。下にイカが干されています。


○関東大震災と考現学
幼い頃から絵を描くことが好きだったそうですが、絵が上手なわけは、建築科に進む前に東京美術学校の図案科で学んだことに辿れます。そのルーツがあったことが、上の民家研究の経験に加わって震災後の活動にさらに表れてくるようです。
ひとつは「バラック装飾社」 の活動。地震後の火災によって焼け野原となった東京では、人々が瓦礫の中からあり合わせでバラックの住居を作っていたそうです。今さんはそれらの調査とともに、次々とできるバラックを美しくしようと、美術学校時代の仲間達とペンキでバラックを装飾するという活動を行っています。
もうひとつが「考現学」。震災以前に発達した都市社会は、複雑すぎて記録をとることは困難でしたが、震災後に東京の街がどんどん新しく作られていくのを見て、これを機会にその様子を記録していこうと考えたようです。これも美術学校の後輩であった吉田憲吉さんらと、『婦人公論』の記者だった嶋中雄作さんらが加わり、協力のもと調査を行ったということ。その調査結果は、紀伊国屋書店の田辺茂一さんの薦めなどもあり、1927年同店で開いた「しらべもの[考現学]展覧会」という場で発表されました。「考現学(モデルノロジオ)」という言葉も、この展覧会を機にして造ったということです。

今回の展示では、この展覧会を再現したような小部屋が設けられて、しらべものの数々を見る事ができました。


中学生の洋服の破れ方、街ででくわした犬の種類。他にも、洋服を着た女性「モガ」の散歩ルート、茶碗の欠け方、雨の日の履物の種類など。全てに絵が添えられて。。絵は今さんだけでは無いですが、なんかおかしいですよね。絵。極めつけの記録は、「蟻ガ50cmノ平地ヲ横ギル時間」。これには仰天。

○生活学、服装研究
地方や都市の暮らし、人の営みの観察は、さらに日常生活を考察する「生活学」や「服装研究」という新しい学問領域を開拓していくこととなりました。農村の生活の記録を視覚的に残すことで、生活改善を提案したり、建築の側面から住宅改善を訴えたりということを行っています。また、服装への興味は、住居が体を置くものであるように、服装は体を覆うものであるという共通点から自然と研究が進んでいった事柄のよう。


という今さんは、「ジャンパー先生」という異名をもっています。観察をする人は、観察されていることを人に意識させたらいけない。その場にいかに馴染んで存在するかが大事だということで、結果それがジャンパーだったらしい。 「ジャンパー」・・好きな言葉の一つです。この本はいつか読んでみたいと思います。

ジャンパーを着て四十年 (1967年)


人間生活のありとあらゆる事を観察し記録に残すことは、現実の実情や問題を浮き彫りにすることに繋がるんだろうけれど、その先はなんなんだろう、ともやっとする。いまでこそ考現学のようなものは世の中に沢山あるから、そう思うと不思議ではないけれど。今さんが何か著書や文章ではっきりと分析した結論づけなどはあるんだろうか、。わからないけれど、図録に収められていた黒石いずみさんという方の文章にはこのようにまとめられていて、なんとなくおさまりつきました。

今和次郎の細部を重視した暮らしへの視点は、「現実には一つの論理では説明できないさまざまな要素があり、問題の所在も明確にしがたいうえに、解決の見通しが立たない事がらも多く、単純に原因と解決方法を提示することの危険を感じた故」問いかけ続けられたのではないだろうか。

単純にまとめることには様々な要素を排除する怖さもあるという視点。


そして今回のポストカードはこちらにしました。
女人ノ髪ノクセ研究ノ整理図

2012年2月2日木曜日

感想 「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」後期にいってきました


山種美術館で開催中の「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」。
去年の終わりに前期の展示を見てきましたが、後期にも行ってきました。

作品リストやパンフレットなどを見返したいとき、比較的どこかに挟まりがち。


このきたない区画のどこかにあるんです。


山種美術館、と言えば、やっぱり速水御舟「炎舞」なんでしょうか。アンケートでもNO.1に選ばれた「炎舞」。初めて見ました。


小部屋のような第二展示室は、前からちょっと怖いなあと思っていた。その第二展示室に進むと、黒い壁、暗い室内の中に浮かび上がるように展示されている「炎舞」があります。第一印象は、思っていたより一回り小さかったことと、やっぱり怖い!という感覚。「名樹散椿」という不思議なかたちをしたツバキの老木の絵を前期で見たときにも、恐怖感のようなものがあった。国立新美術館だったかで、ルソーの「蛇使いの女」を見たときの感覚と似ている。踏み入れたくない、入ってはいけないような世界がその先にあるような。


何ともいえない怪しさと妖しさ。他にも何かに似てるよなあと思いながら見ていたら、分かった。山種美術館そのものの雰囲気と似ている。今の広尾に移転される前の山種美術館は知らないけれど、展示室の観賞環境と絵のハマり具合がすごい。
と思ったら、展示室に入る手前の解説パネルにちゃんと書いてありました。。この部屋は山種美術館が2009年に移転する際、御舟の研究者でもあった現館長の山崎さんが、「炎舞」展示のための最高の環境ということで、かなりの点について配慮して設計をしたコレクションルーム、というようなことが書かれていました。絵そのものの怪しさに加えて、「炎舞」×「山種美術館」の計算し尽くされた完璧な演出が、異様な妖しさを見せていたのでありました。そうなると、別の環境ではどんな印象になるのか、明るい場所でも「炎舞」を見てみたいような気がします。

後期のテーマは、「戦前から戦後へ」でした。洋画と日本画がばちばちと対立していた頃から少し進んで、どちらもそのジャンルの中から新しい表現を目指して試行錯誤が繰り返されて行く時代。

印象深かったものを2つだけ。


川端龍子「鳴門」 昭和4年。
これは作品そのもののデカさと、色の印象と、渦巻く濤の勢いが合わさり、すごく圧倒感のある絵でした。見る側が色々おもうよりも先に、青色と渦がドバーッと流れ込んでくるような、今までにも見た事無いような迫力感。こちらの身体感覚が揺さぶられるので見ていてとてもおもしろかった。


美術館のお楽しみ。ポストカードを購入した福田平八郎の「筍」 昭和22年。
屋根の瓦を描いた「雨」でも有名な福田さん。時々頭の隅を通り過ぎていく、気になっていた福田さん。大塩平八郎と時々ごちゃごちゃになっていた時もある。今回がっつり見た事でがっつりはまった気がする。
どこか抽象的な要素が特徴的な福田さんの絵に魅力を感じながら、さらに深く引きつけられたのは、「筍」の20年以上前に発表された「牡丹」という作品を一緒に見たからだと思う。大胆な構図や模様化されたスタイルに行き着く前の、写実的な牡丹の花の絵。まったく雰囲気が違うので、とても同じ人の作品とは思えない。
でもまた上手い。それもものすごく。匂い立つような牡丹の花。花そのものだけでなく匂いや雰囲気まで感じるような絵でした。「筍」のような大胆さと反対に、とても繊細な印象。どうにか牡丹というものが持つ要素を描き表そうとしたような絵に見えました。
そして見た目は全く違っていても、どちらも対象を観察する距離感が気になりました。近すぎず、遠すぎず。でも、どちらも穴が開くくらい見つめたような執着心があるような気がします。想像力とか気分やテンションなど自分側から出ているフィルターをなるべく排除し、客観的にくまなく観察した先に、「筍」も「牡丹」も出来上がったように思います。なので、「筍」にも写実的な「牡丹」の要素が、また「牡丹」にも抽象的な要素を感じました。後期の展示の中では、福田さんの絵に一番長く時間を使いました。


知りたい人リストにまた一人。
まだまだ全然追いつけない。