2013年3月20日水曜日

感想 「白隠展」いってきました


Bunkamuraで開催されていた白隠の展覧会。

「質、量ともに史上最高の白隠展」とパンフレットにも書かれていましたが、未だかつてこれほどの規模での白隠展というのは無かったということで、ちょっと記念的な存在となる会だった模様。イベントなどもずいぶん盛りだくさんでしたし、力の入り方がグイグイ伝わる展覧会でした。

「白隠」と聞くと色々取り上げられているし、
ここ最近の流れしか知らないので、美術の面ではかなり有名人なんだとすっかり思っていました。でもそれはやっぱりここ最近のことらしく、これまでそのユニークさが取り上げられることはあっても、正統な「日本美術史」にはなかなか組み込まれておらず、美術史的な意義が語られることがなかった、というのが実情なんだそうです。

とりあえず図録など参照しつつ、これまでの美術面からの「白隠」の扱いはどんな感じだったのかをメモ。

「白隠」と名のつく展覧会。過去にはちらほら各地でありつつも、主なのはこんな感じ。
1958年 東京国立近代美術館での「白隠の芸術:水墨画と書」
1986年 継続的に白隠展が行われている佐野美術館での「白隠・禅の芸術展:生誕300年記念」
2004年 生誕系では京都府京都文化博物館の「「白隠/禅と書画」展:白隠禅師生誕320年」

ほかに白隠禅画の研究で重要な事として書かれていたのは、
1964年 約500点の図版が収録された竹内尚次による『白隠』の刊行。
2009年 約1000点もの図版が収録された芳澤勝弘による『白隠禅画墨跡』の刊行。
2010年 日本美術史の権威である学術雑誌の『国華』にはじめて白隠の特集が組まれる。

また、今回の展覧会に繋がる直接のルーツになっているのが、2000年に開催されたギッターコレクションの「ZENGA展」。アメリカのコレクターが所蔵する白隠をはじめとする禅僧たちの絵を「ZENGA」の名のもと逆輸入的に紹介したという展覧会。日本各地をちょっとおもしろな禅画が巡回したという、この展覧会の監修を行ったのが今回の監修もされている山下裕二先生でした。

大量の書画を残し、見る人に強烈なインパクトを与える達磨の絵や、ユーモラスな戯画などが知られている白隠さん。

なぜ、これまで美術史の面からあまり語られてこなかったのか。
という理由の一つには、単純に「書かれている賛の解読が難しい」ことが挙げられるという。たしかに、あくまで禅画なので、表面的にいかにおもしろくても、添えられている言葉が分かっていなければ本当の意味で理解ができない。。

そんな中、今回のもう一人の監修者、芳澤勝弘先生の存在が。散在している白隠書画の徹底調査を行い2009年に刊行された研究書は、賛の書き起し、読み下し、解説が全ての作品に付けらたということで、白隠研究が新しい段階に進むことになったものすごい本みたいなのです。そんな研究成果の流れがあってこそ、ついに2012年、美術面からの評価と意味からの評価が融合することで、この大規模な白隠展が開かれるに至ったということでした。

展覧会の図録。すたすた坊主が表紙をすたすた。


白隠慧鶴 はくいん・えかく 享保2年(1686)~明和5年(1769)。
禅の世界では超メジャーな白隠禅師。今の日本の臨済禅の法系を辿ればすべてこの人物の下になるという、偉大なる人。その禅画を美術面からみたとき、絵は恐らく独学で、アカデミックな潮流からは程遠い作風。まだまだ安定していない評価。しかし何にもとらわれない独創的な表現は、後の「奇想」とかと呼ばれる画家たちの祖とも呼びえるのではないか、白隠はメインストリームで扱われるべき人物なのではないか、と今まさに美術史は塗り替えられようとしている最中。図録に寄せられた山下先生の文章のタイトルはまさに「白隠のいる美術史へ」でした。

ということで美術史上の意義がとっても大きい展覧会だったのだと思います。
集められた作品も、白隠画が最も独創的になりエネルギーが溢れるとされる最晩年の作品が多く。厳選された作品が一堂に見られ、また個人のコレクションも含まれていたので、見る側としても、二度とお目にはかかれないかもしれない一期一会の機会でもありました。

とはいえ、ただ個人的に「白隠」に向き合うなら、1点だけ見るのでも十分に思いました。
まだまだ仏の経験値みたいなものが少なかったり、精神がゆるーいわたしには、いろいろなことを本当に理解することもできないと思ったので、一点集中! と、定めたのは、分かりやすく伝わってくる文字、書となりました。

「親」 孝行するほど子孫も繁昌 おやは浮世の福田(ふくでん)じゃ
親に孝行するほど子孫は栄えていく だから親は幸福を生み出す宝物だ という意味だそう。

きっと見るタイミングによって全く変わってしまうと思う、見る側の精神度合いとかでもかなり左右される白隠画の観賞。見方感じ方は色々で、単に造形として感じたいときもあれば、やはり書かれたものを深く知ろうと思えば、同時に宗教的なことを理解しなければいけない。

膨大な数の著作を残し、各地に赴き講義を行い、大量に描いた墨蹟を通してひろく禅を伝えることに努めた白隠禅師。宗教改革者としてのそのすごさを読めば読むほど、白隠さんの絵のことを理解できるなんてまだまだだ、と思ってしまいます。


白隠さんの絵は、どこが、何が、すごいのか。
今回の作品解説も書かれていた矢島新さんの本には「「主観の表現」により日本独自の禅画のルーツを生み出した」、とありました。伝統的な宗教画というと、崇高さの表現を目指すもので、技術をもって完全な形態を作り出そうとするものであるが、それと比べると白隠画は先例に習うものでも、模写的なものでもなく、「内なる仏」を画面に映し出そうとしている、と。


『近世宗教美術の世界』 矢島新 2008

白隠の現存作品の総数は1万点を越えるともいわれ、80歳を越えても1日10点近くの制作していたというエピソードがありました。また同じ絵や同じ文字、同じ主題を何度も何度も書いていたと。“くりかえしくりかえし書く”という行為を想像してみると、それはその人物やその物事へ深く入り込み理解をしようとすることで、それ自体が修行そのもので、「内なる仏」を見出す行為なのだと思いました。
その境地としての精神世界が、線として一体化されている迫力。
そしてなにかの形式や、制約などにとらわれることなく生み出されている絵。
そういう表現主義的な部分こそが、禅という宗教的なものを越えても、今の時代にグイグイ伝わってくる格好良さなのかと思いました。


どんな感じで書いてたんだろうと「横向き半身達磨」を真似てみました。西日でいい感じ風を装いましたが、筆がむずかしすぎて「横向きバランスへんな達磨」になりました。


『白隠-禅画の世界』 芳澤勝弘 2005


芳澤さんの著書でも図録の中でも繰り返し言われていたこと。
白隠禅画は見るだけでなく、読まなくてはならない。白隠は芸術家ではない、宗教家である。美術として注目を集めているが、ただ美術的観点からだけでなく、宗教家として伝えようとしたメッセージの深意を掴まなければいけない。
と、とても研究的に白隠を考える時の視点が前面にありましたが、個人的に白隠に出会う場合は、禅からでも絵からでもどこから入っていっても、どう捉えようとも、最終的には宗教家とも芸術家とも分けることができない。そして言葉にできない「絵のかたちをした何か」に辿り着いてしまうことになるんだろうと思います。

白隠さんという人自体についての感想。
『徒然草』を嫌っていた白隠は、吉田兼好を猿に見立た「吉田猿猴」という絵を残していました。白隠さん的にはたぶん「つれづれなんかしてんじゃねーよ」という感じでしょうか。私としてはどちらかと言えば「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかい」たいほうなので、その点でも私にはまだまだ白隠さんの境地なんか理解できたもんじゃないと思ったのですが・・ この作品と背景を知ったとき、なぜか大島渚と野坂昭如の殴り合いシーンがよぎって消えていきました。言いたいこともズケズケいうけど、憎めない偉大なるオヤジ。なんとなく勝手に、そんなイメージの人物が出来上がりました。


数多くの作を残し、形式に捉われず、内から見出す仏の表現、そして正統な美術史からは外れた存在と見られてきたこと。。。それは次に訪れた「円空展」でもまったく同じものを感じたのでした。


2013年3月5日火曜日

那智瀧図


根津美術館の那智瀧図(なちのたきず)。

たぶんこの瀧が飛瀧(ひろう)神社のご神体として崇拝されている熊野の那智瀧である、ということを知らなくても、向かい合えばかならずそこに神性を認めさせる、その完璧な絵姿がとてもすきです。国宝なんだそうですが、歴史的にこのような絵が日本の宗教画としてあることはまさに国の宝もの。

はじめて実物を見ましたが、ふしぎなことに、たとえばプリントされたこのパンフレットでも十分というか。神々しいものを含めた那智瀧がそれくらい記号化されてこの絵の中に収まっているからこそなのか。

滝というのにはなんだか特別さを思わせるなにかがある。大きい滝、小さい滝でも山を切り分け上から下に音を響かせ流れるさまには、分かりやすく自然の力を感じさせるものがある。滝行とかあるくらいだし、滝と聞けばその美しさを越えて何か厳かなものがそこにあるというのが、感覚的に備わっています。

それにしてもこれまで滝をモチーフに描いている絵は数え切れないと思いますが、思いつくのといえば何だろう。

円山応挙 大瀑布図 1772

「保津川図」「波濤図」「龍門鯉魚図」。水を描いている印象も強い応挙。これは音が聞こえてきそうな勢い。










葛飾北斎 木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝 1833頃

全国の有名な滝を描いた北斎の『諸国滝巡り』8枚のうちの1つ。かっこよすぎてびっくりする絵。










東山魁夷 夕静寂 1974

これは滝というより静けさのほうが主役。実際この場所に滝は無くあとから付け足したんだそう。音が静寂をつくるというふしぎ。
千住博 waterfall 2009

ほかの千住さんの作品を知らないのですが、滝といえばと思い出しました。




会田誠 滝の絵 2007-2010

先日行った会田誠展でも見られた滝の絵。たしか「奉納」と額に書かれていて、滝にあそぶ少女たちの姿は宗教画として妙に納得させられる作品。













那智瀧そのものもたくさん描かれてきたということですが、あまり知らず。

(左)鈴木芙蓉 那智瀑泉真景図 1793 (右)冨田溪仙 那智瀧 1935

瀧のことについて、またまた先日読んでいた白洲正子さんの本に「瀧に想う」という文章があり、短いながらも瀧にまつわる日本人の感覚がまとまっていて良いエッセイでした。


『縁あって』白洲正子 1999

そのなかにあった百人一首のひとつ。

瀧の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
藤原公任  

「瀧は枯れてしまってずいぶん経ってしまったが、その名声は流れ伝わって今もよく知られている」という内容の歌。それより詳しい歌の解釈はわからないですが、“もはや無いものをあるように聞く、あるように感じようとする”、という意味で「想像する」のはとてもアーティスティックな行為だと思いました。そのあと白洲さんは石と苔だけで瀧を表現する「枯山水」を例にひいていて、それは静寂の極みである反面「音の庭」だと書いていました。まさに観念の世界の最高域のものという感じです。

宗教画というのもそういう性質を持ち合わせていると思うのですが、那智瀧図も千手観音が姿を変えた神体・飛瀧権現という観念の世界をいかに凝縮させてあらわすかが突き詰められているようです。

那智滝図は、13〜14世紀の鎌倉時代に制作され、誰が描いたのか、何のために描かせたのかは研究者のあいだでも議論が続いているそうです。根津美術館の白原由起子さんの書いたものによれば、絵の下のほうに卒塔婆が描かれていて、これは亀山上皇が1281年に建てたという説があるので、この絵が書かれたのはその後なのではと想定されているんだそうです。とにかく描いた人がすごい。

那智瀧がモチーフになっているものとして最も好きなのは芹沢銈介展で見た「御滝図文のれん」(1962)。那智瀧図が完全に元になっていると思うのですが、細かいところが削ぎ落されているにも関わらず、おもわず祈りたくなるような神聖さを兼ね備えているのがすばらしい。ただちょっと簡単にはくぐりづらいと思われるのれんです。





2013年2月26日火曜日

日本民藝館 2013年2月


民藝館へ行き、柳宗悦の眼で選りすぐられた民藝品を見る時
とくに言葉に残しておきたいことはなくなり、後に残るほわっとした何かを、大切にとっておくよう心がけています。

語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。

というヴィトゲンシュタインの言葉。ちゃんと理解しないまま簡単に使ってはいけないと思いますが、この言葉をなんとなく思い出してしまいます。

すがた、かたち。だけでなくて、生活の品として生まれてきた物の背後に潜む人の暮らし、使い回されてきた感触が残る全体の感じ、素朴さ、きれいとは違う美しさ。
そんなものがなぜ「かたち」としてそこにあるんだろう?
というなんとも語ることの難しい存在。

毎回訪れては、結論は同じところに。
日々使うもの、周りのもの、珍しいものでもそうでないものでも、モノをみるときには「単に見る」んじゃなく「すごい見」ないといけない。見て見て見つくすと、時に開眼して、これまで見ていたモノではないようにそのモノが見えることがある。それが、何とも言い表せない感覚のキーになるものだったりする。
それがいわゆる民藝に限らなくても、むしろ民藝なんて言葉に縛られなくても、見出せる眼と見出される物と。

というのが私のなかでの「語り得ぬもの」で、柳さんのコレクションにはそれがふんだんに含まれている、と思っています。

見つめていればいるほど、見つめてきていないモノが多いことに気づきます。“はい、見よう”と枠組みに入り込むとき以外には、なにも見てきてないことに気づきます。そんなことを何度も思い、何度も忘れ、そしてまた思い出すためにこの場所があるような気がします。

わたしにとってここは、
そういう目線を教えてくれる場。
知らない美を教えてくれる場。
そして何かを忘れないようにする場。
と考えて定期的に訪れています。

たまたま今白洲正子さんの本を読んでいますが、このひとの眼の深さも恐ろしいとびびっています。


『縁あって』白洲正子 1999

「真の美は買って、所有しないとわからないところがあります。所有することによって、ある充ち足りた時間を確実に生きるということなんです。単なる美術の鑑賞とは深さが違います。」そして使い込んではじめてそのものの美が生まれてくるそうで、刀のつばを寝る間もずっと離さず触っていたら、鉄の色がなんともいえない深い色になったと白洲さん。

そんなことを白洲さんは「物が見える」という言葉で表しているのですが、柳さんもまた「物が見える」人ですね。どんな世界でも極めれば、言い方は異なれど最後に至るところは「物が見える」と同じ感覚に違いないと思います。感じ方は柳さんや白洲さんと同じでなくてもいいと思いますが、そこまでに至る道のりを体感してみたい。というには私はまだまだモノまでの距離が遠いところにいるように思います。

「開眼」は最近気に入っている言葉ですが、まさに「物が見える」っていうのは開眼。

カッ!

という感じですよね、開眼ってなんか。

民藝館から帰り道を歩いていたら、通すがりの建物の塀に、お、お皿?

 

いつもは自転車でぴゅーっと過ぎ去ってしまうところに、見えていない物もある。「知っている」というのはいつもほとんど嘘に近い言葉。知らないことはたくさん。
ひょんなところで、すてきなお皿を発見したらちょっとお得気分。


2013年2月17日日曜日

感想 「オリエントの美術」いってきました


出光美術館といえば、日本や中国などの古美術を主に、というイメージでしたが、じつは国内でも有数の中近東美術のコレクションを持つ美術館でもあるということ。
それらのコレクションは三鷹にある中近東文化センターということろで常時公開されているそうなのですが、今回そこの改修工事が行われるにあたり、厳選した品々を三鷹から呼び寄せ、34年ぶりに出光美術館で展示されるというのがこの「オリエントの美術」展でした。

“オリエントの美術”というのもざっくりしていますが、古代エジプト、メソポタミアの頃のもの、ローマ時代に栄えた地中海地域のガラス品、イスラムの歴史が始まって以降の陶磁器・写本などの実用品、の3構成にむりやり収めたという感じで、時代も場所も種類も幅広いコレクションが一気に見られる展覧会でした。

まずは入るなり、エジプトの木棺蓋が。


こういうミイラを収めるためのタイプの。ちらりと解説を見れば、紀元前10世紀頃のものと。クラっときます。胴体一面には細かく緻密な模様、モチーフが描かれていて、想像絶する信仰、古代エジプトの死生観、人間の思いがギュッとそこに凝縮されているようでドキドキが止まりません。

シュメール語がびっしり書かれた粘土版。
お金の貸し借りについて書いてあるとかでしたが、くさび形文字って・・・ナンダっけ?  今のアラビア語とかも全然読める気がしないですが、この粘土版をずーっと見ているだけで時間を使ってもいいと思ったほど、文字のことをしばらく考えたい、生シュメール語はインパクトがありました。

布でがっちり包まれているトキのミイラ。
古代エジプトではトキは「トト神」という文字や知恵を司る神として崇められていたそうなのですが、中には実際トキがちゃんと折りたたまれて収まっているそうです。京都大学にもあるということ。

などなど「文明の誕生」ゾーンでは、何千年も前の世界にハッと息を飲むことばかりが。
時の隔たりに対してすぐに価値をおいてしまいがち。一人の人間が考えられる時間感覚では、何千年という「時」は大きすぎて考えられる度量を越えているので、簡単に凄いと出てしまうのですが。

そんな考古として「わ、すごい!」と思うきもち。
そこからもう少し心を離して造形を見たいというきもち。
今回は後者を大切にして見たかった今まで知らない世界。その造形を作ろうとした精神や、今から見て感じることは何なのか、特にイスラム美術と呼ばれるものも、以前の中国同様に垣間みたかったという心持ちでこのたびは訪れたのでした。

「ローマ時代の技術革新」ゾーンで見た香油瓶は色といい形といい、ちょっと忘れられないかわいらしさ。


こちらはChristie'sに出ていたものですが、紐を通してお腰に付けたりして携帯する用なので、自立しない小さい形になっていました。ここに体に塗ったりするための香油を入れていたのですね。金属の棒に粘土を巻き付け形を作って、その上にガラスを巻き付けて最後に中の粘土をかき出して作るコアガラスと呼ばれるもの。模様は巻き付けていくガラスを櫛形の物で引っ掻いて描かれ、どこか均整でないところがかわいらしさの要因。

コアガラスで調べれば、今でも作っている方たちがいるようですが、その後ローマ時代になると、吹きガラスの技法が誕生しガラスを沢山生産することが可能になったため、コアガラスは消えていってしまった製法だそうです。それまで不透明だったガラスも、ぷーっと膨らませる技術が出来たことによって薄くなり、次第にガラスと言えば透明なもの、と好まれていくようになったんだとか。

「実用の美」ゾーンでは、9〜19世紀頃までにイラク、イラン、トルコなどで作られたお皿や器などの実用品を見る事ができたのですが、


中近東文化センターの入り口ページにも配されていた、12〜13世紀頃のイランの陶器。
なんでしょうか、この顔、この表情。陶器に描かれている絵や写本に描かれた挿絵の人を見ていると、どこかちびまる子ちゃん的なのです。模様や彩色の部分は緻密だったりするからこそ、より目立つ人物のまる子ちゃん感。

こうなったのもさまざまな理由からのようでした。
人物画はイスラム教で禁止されている偶像崇拝に繋がりやすいため回避されてきた、
「画家」を表すアラビア語が神を意味する「創造者」と同じであるため、神の模倣や神への挑戦と捉えられることがあった、
画家自体の地位も高かったわけではなく、むしろ写本芸術が栄えているなか書家のほうがランクが高かった、
などの事があり、絵画や彫刻などの鑑賞芸術はイスラム美術では発展してこなかったと言われています。

なので宗教にまつわるものにおいては、人物や動物などの表現は排除されたことにより、植物模様や文字をモチーフにした模様、幾何学模様などが開発されていき、それらは工芸品だけでなく、モスクの大きな壁面を満たすために使われたりと、建築の面でも装飾が高度に発展していったそうで。

とはいえ、人物や動物の絵が描かれた陶器や絵などは今回いくつもありました。あくまで禁止されているのは宗教的な場面においてで、世俗的なところではわりと自由に人物・動物表現がなされていたようです。


『すぐわかる イスラームの美術』桝屋友子 2009

入門として今回はこの本を読んでみました。
「すぐわかる」とか付いている本は、どうしても頭に入って来なくてあまり好きではないのですが、知りたいところをちょこちょこ開く感じで読みました。建築、写本、工芸の括りに分かれていて全編カラー。

「イスラム美術」と呼ぶことに関しても、定義がさまざまあり、かんたんに理解することが難しそうですが、宗教があるからこそ発展してきた造形でありつつ、あまり宗教メインの視点で見ていると分からなくなることもあり。。
ともすると勝手な想像で解釈を補って一瞬分かった気になったりもしがちになり、文化の見方というのは難しい。長い長い歴史を持つ場所で時間をかけて生まれてきた色や形、表現からもっと新しいことを自分の中で発見したい、当たり前と思っている価値観をがらがらーっと揺さぶられるくらい、もっとグッと知りたいです。グッと。

美術を遡れば、宗教という「祈り」と切っても切れないところに行き着き、根拠のないような根拠を信じている力というのが、作られたモノを見ているとどれだけ強いのかが分かります。そして、そういうものこそ美しいとか、特別な感慨を覚えたりして。不思議な思いにかられます。


出光美術館の醍醐味といえば、やっぱりロビーでの休憩。
大きな展望用の窓際で、皇居を見ながらお茶を一服。ここに座るとみんなぼーっとせずには居られない、なんとも言えない雰囲気があるコーナー。
頭を巡らせたあとに、ゆっくり座って考えをまとめる時間。そんな時間が美術館の中に一緒にあるのはとてもよいです。


2013年1月31日木曜日

感想 「フィンランド・デザイン展」いってきました


サントリー美術館で開催されていたフィンランド・デザイン展。
見過ごしてもいいかなあ、くらいのテンションでしたが、美術館を出るころには“間に合ってほんとうによかった”と大絶賛で会場を後にしました。

内容も構成もいつもどおり、さすがサントリー美術館ならではの、安定感と楽しさと新発見があり、なおかつ今回はとても美しい展覧会でした。

フィンランド。といえば北欧。
北欧。北欧。。

シンプルで、あったかみがあって、おしゃれな、あれでしょ北欧ってやつは。

というくらい、私のなかではその実態よりも、「北欧」の響きのほうが先行していて、これまでしっかりモノを見たり、考えたりすることはありませんでした。今回見たのは、デザイン史にも名を刻む人たちのガラスを中心にした作品や製品で、それこそ有名なものばかりですが、まあ全く知りません。あとでいろいろ知るうちに、自分が知らなすぎたことにビックリするくらい0からのフィンランドデザイン。
改めて、というかはじめて、「北欧」なるもの、そしてフィンランドに意識を向ける機会になった展覧会でもありました。

iittalaのサイト。す、すてきがいっぱい。

現代にあふれるデザインされたプロダクトを見ると、結果論ではどれも洗練されていて何を北欧デザインとするのか、曖昧に思えるところもあります。

でも時代を遡り、デザインの黎明期・躍進期・黄金期とみていくうち、フィンランドデザインにひそんでいる何かを感じずにはいられませんでした。

例えば日本のものには、どこか繊細なところとか、自然的なものとか、生真面目なところとか、なにかがあって、あ・これは日本だなというバランスがある。そういう感じで時代順にガラス製品をみていくと、ぶれないフィンランドらしさが貫かれていました。

フィンランドを代表するガラスメーカー「イッタラ」のコンセプトは、against throwawayism。フィンランドにおける生活用品は、timeless designを念頭に作られているといいます。使い捨て主義に反し、時代を超えて生き続ける美を日々の暮らしで使うモノに与える。

それがフィンランドの永遠の定番としてあるんだ、と思っていたのですが、フィンランドのデザインが台頭してきたのはここ1世紀くらいのことだそうです。というのもスウェーデンの支配とロシアからの統制を受け、国として独立したのが1917年のこと。
なのになぜこんな確固と潜むものがあるの? フィンランドのガラスの世界をみていると、単に「時代を越えたデザイン」という言葉だけでは片付けられないものがあるようです。ぶれないというか、根底に流れているスピリット。100年くらいで築き上げられたとは思えない、はるか昔からのその土地の精神性みたいなものが一緒になっているように感じます。

たまたま本屋さんでこの本を見ました。


『フィンランド・森の精霊と旅をする - Tree People -』

ちいさい、ちょっとした詩集のような雰囲気の本。
Tree peopleというくらいなので、木と人のことが書いてあったのですが、フィンランドでは木というのが人間にとって特別な存在で、自分の分身の木や、家族を守る守護の木というのがあり、何かあるたび自分の木を訪れたりと、人生と深く関わる木に信仰のようなものがあるそうで、なんとすてきで素晴らしい信仰なんだと感動してしまいました。
木や自然とつながりが深いからか、今回見た作品の中にも自然を感じさせるモチーフがあり、そんなところが日本のわたしたちからすると親しみが湧きやすくて、ほっとするところなのかもしれないです。

さらに一見美しく幻想的になイメージのフィンランドも、実際は気候風土が厳しく、歴史的にも長く苦しい暮らしを余儀なくされてきたとありました。
そんな時に支えになったのが‘Sisu’という言葉。負けない心という意味だそうです。厳しい環境が、ずっと使い続けられる、タイムレスなモノを生み出す源泉ともなり、長く使えるものにするからこそ無駄が省かれたデザインに。そこには機能的という側面も備わり、無駄を省くことでつまり洗練されていく。そんなところから生まれてきたフィンランドのデザイン。

Kaj Franck 1609 1610

人の暮らしと、自然と、時代と、環境と。

様々な複合要素があって、同じ人間なのに全く違うものを生み出す人々がいること、世界のはしからはしまで、みんな違ったものを生み出す文化を持っていること。人間のバラエティに富んだクリエイティブを見るのはやっぱり楽しいなあとしみじみします。

日本では決して生まれないような配色、感覚、透明さ。
違うところに育ったのに、例えばカイ・フランクは、濱田庄司とも親交があり何かを分かり合ってたなんて話も聞くと、同じ人間だからこそ同じく共感する部分があるということも面白く。

そしてまさにフィンランドデザインは「用の美」。
デザインやモノの世界に頭をめぐらせては、毎度柳さんのところへ帰ってきてしまう。自分の中でも柳さんの考えはけっこう大事なものになってきているようです。

--

最近引っ越したら、モノについて考えることが多くなった今日このごろ。
家の中にはずいぶん「使い捨て主義」のモノがあるなあと見回したり。でも、デザインの段階で反使い捨て主義として作られたものでなくたって、モノを大切にするという心がまず私たち日本人には備わってるじゃないか、とも思ったりする。
結局ステキなものもすぐ捨ててしまえば使い捨てになり、何でもないものでも大事に使い古せば以前にみた坂田さんの古道具になったりする。どこの段階でもモノを救うタイミングはあるんだなあと。

それにしてもまずはモノを見つめないといけない・・
引っ越して特にそういう気持ちが表面化しているけど、これをずっと使っていこうとか、何を選ぼうとかって大変なことなんだなあと実感しています。新しいものを買うとか、使い方とか考えていると、モノを根本的に見つめる作業がふえます。
モノをじっと見てその存在について考えることは、必然的に「生活していこう」と前向きに思う事でもあり・・。
でもこれってもっと早くから必要だったことだなと悔やんでもいます。

--


展覧会ではオイヴァ・トイッカさんの鳥をパシャパシャ激写できるコーナーがあって、みんな夢中で写真を撮っていましたがこれは楽しかったー。iphoneが鳥だらけになりました。

そしてカイ・フランクさんのことを深く知りたくて、すてきな本があったのですがお高いんです。

Kaj Franck Muotoilija Formgivare Designer

あきらかに本としてすてきなんですけどお高いんです。

2013年1月19日土曜日

中国山水画をかいまみる


ある点を見つめていたら
そこに繋がる線が気になり
点が現れては線を追って 

この美術への興味もひきつづき落ち着くことなく、2013年を迎えました。

昨年12月に、泉屋博古館分館で開催されていた「中国絵画展」を見たことから、今年は、中国の山水画について知ることからはじめました。


水墨で描かれた絵を見ていて、気づけば目にし、気になるのが「瀟湘八景」や「瀟湘図」と題されているもの。しょうしょうはっけい、しょうしょうず・・。
その名の通り、「瀟湘(しょうしょう)」と呼ばれる中国のある場所を描いた絵です。
絵の中には山があり、水があり。風光明媚な地を描いていることくらいしか分からずですが、なんの知識もなくても、眺めているとひとりでに心がその中に入り込みます。
「瀟湘」と聞けば、なんとも言えない浮遊感が味わえるテーマだと勝手に思ってきました。

漁村夕照図 牧谿 根津美術館蔵(13世紀)

まず「瀟湘」という場所はどこなの?

瀟湘八景の位置

wikiによるとこんな感じでした。湖南省の北のほうに洞庭湖という有名な湖があり、いくつか川が流れ込んでいますが、瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)という川が合流する長沙のあたりが元々名高い水郷地帯だったということで、そこらへんが「瀟湘」。

11世紀後半に長沙に赴任した宗迪(そうてき)という文人がおり、そこで八景図を描いたことから「瀟湘八景図」というのが始まったということでした。
というのも、瀟湘の地は古くから伝説や神話が生まれた場所として知られ、文学者や詩人たちによって歌にも詠まれ続けた名勝の地として有名なところだったので、宗迪はその場所を絵によって表現しようと試みたんだそうです。
その後13世紀半ばくらいまで「瀟湘八景図」というのは大変流行したそうです。

日本でも近江八景や金沢八景があるのは、この「瀟湘八景」からきているということで、中国だけでなく日本・韓国などでも流行ったのは、この形式が適度に詩的で、文学的であったからと言われてます。たしかに今私が好きなのも同様の理由だからですね。あんまりよく分からなくても理解でき、適度に教養的な響きがあるからだとおもわれます。

瀟湘八景と言われる8つの景はこのとおり。

洞庭秋月 (どうていしゅうげつ) 洞庭湖に浮かぶ秋の月
漁村夕照 (ぎょそんゆうしょう) 夕焼けに染まる漁村
遠浦帰帆 (えんぽきはん) 遠くに行き交う帆船
江天暮雪 (こうてんぼせつ) 降り積もる雪
山市晴嵐 (さんしせいらん) 山の市の賑わい
烟寺晩鐘 (えんじばんしょう) 寺の鐘が聞こえる夜
平沙落雁 (へいさらくがん) 砂原へ舞い降りてくる雁
瀟湘夜雨 (しょうしょうやう) 瀟湘の地に降る夜の雨

これを書いているだけも、訪れたことのない瀟湘の地をいい風景だなあと思ってしまいます。これらの句は宗迪ではなく後の人が付けたのだろうと考えられてますが、たった4字から生まれるイメージ! 詩と言葉を重んじてきた中国文化の一端がここからでも感じられます。

以前に見た池大雅の「洞庭秋月図」、通称「ピョロリのおじさん」と勝手に呼んでいる絵も瀟湘八景の一つを描いたものでした。おじさん呼ばわりしつつ、じつは「笛を吹く唐子」と解説にあったので、ぜんぜん子どもだったので後に驚いたのですが。

大雅の瀟湘図なんかだいぶゆったりしてましたが、時代や国や人によって描かれ方も色々あり、どの人のが好きだろうかとか、こんな絵もあるんだとおもしろいです。日本に八景図の断簡が伝わり有名なのが、牧谿(もっけい)、玉澗(ぎょくかん)で出光美術館にあったり、徳川美術館にあったりするようです。日本では狩野元信とか、雪村とか。「瀟湘八景図」は鎌倉時代にはすでに日本でも知られるようになっていたようです。以前に見た雪舟の山水長巻にも瀟湘八景のテーマが盛り込まれていたりと。それぞれにだいぶ雰囲気が違います。

  
狩野元信 東海庵蔵(15〜16世紀)   遠浦帰帆図 玉澗 徳川美術館蔵(13世紀)

そういえば信じられない感じで描かれていた朝鮮民画もあったわけだし、瀟湘八景を自分で描いてみるのもいいなあと。

山と水の描かれている自然を見ていると、ひとりでに心はその隠遁の世界に入りこんでしまう、そんな感覚になれる山水画が特に好きですが、「臥遊(がゆう)」という言葉があるそうです。

宗炳『画山水序』より(と思われます)

宗炳(そうへい)という人が、晩年老いと病で名山を訪れることが出来なくなったので、これまで行った地を絵に描き、絵に向かい自室でその境地に浸ったことから生まれた言葉。

ただ懐を澄まし、臥したままそこに遊ぶ。

という意味です。なんといい言葉!
この「臥遊」が、その後の中国の山水画観の基本的な理念となったということ。
トーハクに「瀟湘臥遊図巻」というのがあるらしいです。今このタイミングでちょうど見られるみたいですが、李さんという名字しか分からない人の絵のようです。
文人たちの集いに添えるために描かれた絵で、「瀟湘」というのが文人にとって特別な土地として語られ、「臥遊」の精神がキーポイントになっていることが分かる代表的なもの。

ということなどについてを、以下の本で知りました。


『花鳥・山水画を読み解く』宮崎法子 2003

カチっとした堅い本かなと思いながら読んでみて、たしかにカチっとした本でしたけど、中国の花鳥画、山水画への入門としてふさわしい、すごくしっかりした良い本でした。特に絵の主題に着目して、時代による描かれ方の変化やモチーフに込められた意味などの解説があり、まず垣間見てみるのにはちょうどよかったです。ひとまずこれを足がかりにさらに深い世界へ踏み込んでいければと思える本でした。
また、過去を懐かしむように知る、ということだけでなくて、このような中国の伝統を通じて、現在では過小評価されてしまった、かつて東アジアの文化圏の一員であった日本というものを再認識できれば、という著者の歴史観についての態度も合わせて垣間見えるようなところもあり。「はじめに」のところから考えさせられる部分がありました。
中国を摂取し、西洋を急速に摂取してきたので、一度シーソーをまっすぐに戻すような気持ちで見てみたら、ちょっとずつ見える物が変わってくるのかもしれないです。

そしてもう一冊読んでみている本。

『中国絵画のみかた』王 耀庭 1995

まだ読みきれてないですが、これも良い本だと思います。
上のよりもっと分かりやすく、中国絵画で大切にされている表現についてと、時代の流れで見ていく絵画史に大きく内容が分かれていました。こちらはほとんどカラーで図版もたくさん載ってます。みかたを教えてくれるので、構成は教科書的ですがやたら説明的にタンタンとした感じはなく、文章が良いのか、個人的に好みの本でした。

この二冊を続けて読めば、なーんとなくポイっと中国絵画に入っていけそうな気がしてます。

それにしても、いちばんとっかかりにくいのが人名! 検索するのにも漢字変換が難しくてたいへん。図書館で本を見てても、西洋のカタカナの名前の人のは沢山あっても、東洋の本は少なめ。そんなことすら今が西洋社会に傾いてるせいなのかとか、勝手になすりつけてみたり。

ともあれ、もっと中国絵画のことを知ってみてから、その影響下にあった日本の絵をまた見直してみれば、改めていろいろ感じられるかもしれないし、何が違って何が同じかとかも考えてみたいし。

今回書いたことですら、宮崎さんの本の5ページ分くらいに満たないちっぽけなことで、さすが中国何千年の歴史。ひとつ知ろうとすると深淵が見え怖じ気づいてしまう気持ちもあります。もっとあたまをまとめたいことがいっぱい。!


2012年12月30日日曜日

感想 「会田誠展」いってきました


何かの番組で秋元康先生が、生きていることはその時代の目撃者であること、のようなことを言っていたのが心に残っています。
会田誠展を見るというのも、今、now、この場所で、同時代を生きているからこそ目撃しておかなければいけないような気がしたので足を運んでみました。

好き、嫌いに関わらずと思いつつ、これまで会田さんの作品を積極的に見た事は無いし、エロ的グロ的なセカイが広がっているのかなあと六本木ヒルズを見上げながら怖じ気づく・・・ ひとまずお茶を一杯。緊張感を和らげてから53階へと向かいました。

「美術館」での個展は初のことだそうで、展覧会は20年以上にわたる会田さんの作品をおおよそ時系列で見ていくことができました。
最初は何だかビートたけしの笑いを思わせるような作品から始まって、戦争、少女などのテーマが現れたと思うと、ビン・ラディンに扮した映像が流れていたり。表現方法も形式も何かにとどまることなく、次々と試みが重ねられていく会田さんのセカイがありました。

ばかみたいなもの、気持ち悪いもの、へんなもの。
一見そんな風に見えるものが多々あって、展覧会の間中、この人ってどういう人なんだろうと考えざるを得ませんでした。

会田さんの作品はやれそうと思っても、ふつうそれは作品化しようと思わないのでは?という「ふつうそれは、」のラインを軽々と越えてしまっています。何も取り繕わず、表そうとしたものをそのまま世にお披露目している態度でいること自体がすごいなと感じました。
「今日もっとも注目されている日本の現代アーティストのひとりです。」
と紹介されていましたが、いわゆる現代アーティストとしての立場とか、アート市場のことにも、はなから関わっていないしこだわってもいない人物なんだろうなと。

とはいえ、作品を洗練させたいし、良いところ見せたいし、簡単に言えば「誰かを気にする」ことは人ならばアーティストだってあると思うんです。でもこの人はそこをまんまオープンにしてしまうような。ありのまま、1965年生まれの芸大を出た会田誠という人間の作ったもの。自分の存在が全ての作品の根源で、前提で、自分の中から排出できるものをどんどんさらけ出している人、そんな人かなと思いました。考えれば考えるほどじわじわと、騙されたかなと思うほど、会田さんという人の持つ魅力を感じました。

腸のようなモチーフで埋め尽くされたピンク色の部屋があり、「どうしてこれを作りたかったか謎」ということが書かれていました。ご本人がどこまで色々なことを意図してやっているのか分からないですが、「どうして」という部分を追求し尽くさずに、形として作品に落としどころを持って完成させているのは、長年作り続けてきた力技を持ってるんだなあと思いました。

散らかっているように見えて、意味の無いようにみえて、でもなんだか結局考えてしまう自分がいます。

「美術が扱うのは本質ではなく表面だ」

という言葉が心に残りました。それは裏腹な言葉にも聞こえて、物事のガワだけを意識して描き続けることは、結局本質を現してしまうこともあるんだと思います。

2000年以降の作品になると、サイズがばかみたいに大きい大作が現れました。
最後の展示室に進むと、すっぽり巨大な部屋におさまった巨大な絵がいくつも。「継続中」と書かれ、今も描き続けられている未完成の作品も2つありました。夜な夜なここで筆を進めているそうです。
個人の好みではこの部屋の作品が一番好きで、大きい空間と絵が作り上げている不思議な場を感じながら、特にラストの「電信柱、カラス、その他」が最も素晴らしくて見入ってしまいました。“困った時の伝統頼み”と本人が言われているように、この画も等伯の松竹図の要素を取り入れているそうです。靄のなか揺れる松竹の空気感を思わせながらも「今この時代この場所」でしか描けない仕上がりになっているところに、またもや力技を感じました。

1965年生まれという事は、会田さんは40代後半になるんですね。
ここ数年の作品は、今まさに気力・体力の最高潮にいるのではと思わされる迫力と迫真がありました。大きいものを描き上げるだけで相当の体力が要ることと思います。
にしてもエロとかグロなものを一番和らげているのは、会田さんのビジュアルが相当大きいなあと思います。同じ事を違う人がすると作品のニュアンスまで変わってしまいそう。

なんだか別に会田さんのこととか・・
と思い続けないで、きっちり見に行ってみて大変良かった展覧会でした。

私が訪れた頃は、図録もまだ仕上げ中で販売されておらず、作品リストも会場にありませんでした。今図録はAmazonでも購入できるようで、作品リストは展覧会サイトからダウンロードできました。

『会田誠作品集 天才でごめんなさい』2012

作品リストpdf