根津美術館の那智瀧図(なちのたきず)。
たぶんこの瀧が飛瀧(ひろう)神社のご神体として崇拝されている熊野の那智瀧である、ということを知らなくても、向かい合えばかならずそこに神性を認めさせる、その完璧な絵姿がとてもすきです。国宝なんだそうですが、歴史的にこのような絵が日本の宗教画としてあることはまさに国の宝もの。
はじめて実物を見ましたが、ふしぎなことに、たとえばプリントされたこのパンフレットでも十分というか。神々しいものを含めた那智瀧がそれくらい記号化されてこの絵の中に収まっているからこそなのか。
滝というのにはなんだか特別さを思わせるなにかがある。大きい滝、小さい滝でも山を切り分け上から下に音を響かせ流れるさまには、分かりやすく自然の力を感じさせるものがある。滝行とかあるくらいだし、滝と聞けばその美しさを越えて何か厳かなものがそこにあるというのが、感覚的に備わっています。
それにしてもこれまで滝をモチーフに描いている絵は数え切れないと思いますが、思いつくのといえば何だろう。
円山応挙 大瀑布図 1772
「保津川図」「波濤図」「龍門鯉魚図」。水を描いている印象も強い応挙。これは音が聞こえてきそうな勢い。
葛飾北斎 木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝 1833頃
全国の有名な滝を描いた北斎の『諸国滝巡り』8枚のうちの1つ。かっこよすぎてびっくりする絵。
東山魁夷 夕静寂 1974
これは滝というより静けさのほうが主役。実際この場所に滝は無くあとから付け足したんだそう。音が静寂をつくるというふしぎ。
ほかの千住さんの作品を知らないのですが、滝といえばと思い出しました。
会田誠 滝の絵 2007-2010
先日行った会田誠展でも見られた滝の絵。たしか「奉納」と額に書かれていて、滝にあそぶ少女たちの姿は宗教画として妙に納得させられる作品。
那智瀧そのものもたくさん描かれてきたということですが、あまり知らず。
(左)鈴木芙蓉 那智瀑泉真景図 1793 (右)冨田溪仙 那智瀧 1935
瀧のことについて、またまた先日読んでいた白洲正子さんの本に「瀧に想う」という文章があり、短いながらも瀧にまつわる日本人の感覚がまとまっていて良いエッセイでした。
『縁あって』白洲正子 1999
そのなかにあった百人一首のひとつ。
瀧の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
藤原公任
「瀧は枯れてしまってずいぶん経ってしまったが、その名声は流れ伝わって今もよく知られている」という内容の歌。それより詳しい歌の解釈はわからないですが、“もはや無いものをあるように聞く、あるように感じようとする”、という意味で「想像する」のはとてもアーティスティックな行為だと思いました。そのあと白洲さんは石と苔だけで瀧を表現する「枯山水」を例にひいていて、それは静寂の極みである反面「音の庭」だと書いていました。まさに観念の世界の最高域のものという感じです。
宗教画というのもそういう性質を持ち合わせていると思うのですが、那智瀧図も千手観音が姿を変えた神体・飛瀧権現という観念の世界をいかに凝縮させてあらわすかが突き詰められているようです。
那智滝図は、13〜14世紀の鎌倉時代に制作され、誰が描いたのか、何のために描かせたのかは研究者のあいだでも議論が続いているそうです。根津美術館の白原由起子さんの書いたものによれば、絵の下のほうに卒塔婆が描かれていて、これは亀山上皇が1281年に建てたという説があるので、この絵が書かれたのはその後なのではと想定されているんだそうです。とにかく描いた人がすごい。
那智瀧がモチーフになっているものとして最も好きなのは芹沢銈介展で見た「御滝図文のれん」(1962)。那智瀧図が完全に元になっていると思うのですが、細かいところが削ぎ落されているにも関わらず、おもわず祈りたくなるような神聖さを兼ね備えているのがすばらしい。ただちょっと簡単にはくぐりづらいと思われるのれんです。
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