2012年8月15日水曜日

感想 「応挙の藤花図と近世の屏風」いってきました


円山応挙の藤花図を見に、根津美術館に行ってきました。
展覧会は、重要文化財の「藤花図屏風」を目玉に、草花や花鳥を描いた江戸時代の屏風の数々。といっても全部で十数点なので、疲れを気にせず、大きな屏風を前にゆっくり眺めることができました。

「藤花図屏風」 (右隻) 円山応挙 安永5年 1776年 44歳 

そんな感じで描いちゃうの? という筆使いが特徴的な藤花図屏風。
へんな幹のかたちを、椅子に座って眺めてみたり、近づいてみたり・・・

この独特の描き方は、応挙が完成させた「付立て」という技法によるもの。濃い墨と薄い墨を一度に含ませた筆を寝かせながら一気に描き、その濃淡を立体表現として利用するという方法なんだそうです。
するするっと勢いに任せたように見えるのに、計算され尽くしていないと出来ないような微妙な濃淡、ほそい蔓の曲線や全体と余白のバランス。どこまでが加減されていて、どこまでが偶然かわからない、そんなセンスを楽しめる幹でした。

すこし離れた距離から見ると、ふしぎと藤の花は立体感が感じられて、きらきら光っているように見えます。近寄れば、荒くも見えるような幹や蔓も、距離を持って見ると、なぜか立派な存在感。座って屏風を眺められるなら、ちょうど花を見上げながら、お花見ができるような華やかさもあります。

「藤花図屏風」 (左隻)

応挙というと、写生を基本とした写実主義、「写生の祖」とよく聞きます。
しかし精巧な写実画などを知っている今の時代から見ると、これが「写生」というの?という単純なハテナがありました。では応挙の写生ってなんなの。

ということで、今回もあわせて講演会を聴いてきました。
「円山応挙と18世紀の京都画壇」というテーマで、学芸主任の野口 剛さんによるお話です。それをもとに、私なりに解釈したことを覚え書きします。

写生、、、
というのは見た物を客観的に正確に写し取ること。
十分に観察し、見た通りを描くこと。

応挙の作品は、あくまで写生を元にして作られた作品であって、
応挙=写生画ではない。
写生を軸にして絵を制作する、そんなことをした初めて絵師ということで、「写生の祖」。

というのも、それまでは基本的には師匠の絵をもとに、これはこう描く、と筆使いや描き方をマスターしていくのが普通で、スケッチをする人がいても、それを作品に生かしたりするのは稀、むしろ物を正確に写しただけの絵というのは、図鑑的で芸術的に優れたものとは見なされないような風潮があったそうです。

応挙も絵の一般を習うため、石田幽汀という人のもとに短い間弟子入りしていたようですが、絵の制作方針に影響したのは、働いていたおもちゃ屋さんでの人形制作や、レンズで覗いたら立体的に見えるめがね絵の制作など、3Dな“モノ”を意識的に捉える体験によるものが大きかったということ。
さらに時代は、本草学の発展や「解体新書」の刊行など、形態の観察を基にした博物学や解剖学などの流行もあり、応挙のような姿勢をもった画家が生まれる土台がしっかりあったこともあります。
「絵は応挙が世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵が皆一手になった事じゃ。」 上田秋成『肝大小心録』
応挙が出てきたのでみんな写生ばっかりになった、と上田秋成が書き残しています。
この文章の後には、「これは狩野派の衆がみな下手ゆえの事じゃ・・・」と手厳しい文章も続きます。

新しい手法を元に作られた応挙の絵が、京都画壇に登場して一躍評判になったのは、当時の狩野派の絵に形式主義的なマンネリ感が生まれつつあったということが一方でありながらも、だれもが写生画をやりはじめたということは、応挙が全く理解不能なことをやっていたわけでなく、時代の流れに呼応して生まれた必然的なものだったのだと思います。
それまでぽつりぽつりと降り始めていた写実表現に対する機運を、応挙がドシャーっと大雨にして降らせたような。流行は、やっぱりとんでもないことではなくて、少しだけ先を行っているもの。

そんな「応挙の写生」は、どんなものなのか。
私が絵を見て感じるのは、納得感です。藤なら「ああ、藤ってこういうものだなあ」、鯉なら「たしかに鯉ってこんな存在感だなあ」、とそれ以上でもそれ以下でもない、妙な納得感があります。
事細かに緻密な描写で写し取っているわけではないのに、「そうそう、」というなぜか実感を伴う感覚があるのです。

遠目でみて、そのように見えればOK

というような事を、応挙自身も大事にしていたようですが、「見る」という事をとても重視して、ほんとうのように見える方法を絵画技法や理論として残していった人でもあります。ここまで納得感があるというのは、もの凄い観察に観察を重ねた目があったんだなあと思います。

ほんとうのように思わせる実感、
を与えるためには、ただ目に見える部分だけの問題ではなくて、人に感じさせることをしないといけない。つまりそれは人が持っているイメージを描かなければいけない。だから単純に写実、写生そのものでは表す事ができないけれど、そのために写生は必須のもの。
人のイメージは克明なものではないので、きっとある部分が強調されていたり、薄らいでいたりと偏っている。生を写すことは、私たちがその物をその物と認識している観念が何なのかを追求することなのかもしれないです。

そんな応挙は、どういう表現方法であればそのモノの存在感が伝わるか、ということをものすごく意識して、人間の「見る」という知覚方法を頼りに、絵で視覚効果の実験をしていたようにも思えました。

見た目の単純な一致、だけでなく雰囲気や質感、最終的には気配までを描いた応挙。
逸話として、応挙の描いた鶏が今にも絵から抜け出しそうだと、衝立てに網がかけられたという話がありました。そんな迫真にせまるということは、人が見れば単純に驚き、この驚きの力が一躍評判になった力でもあり、応挙自身驚かすのが楽しかったのかも。


そんな感じでひとまず理解したのですが、まだまだ解せないことも残ります。イメージは伝わってくる応挙の絵ですが、生き生きしたライブ感があまり感じられないのはなぜなんだろう。存在感があるのに、でも何かが犠牲になっているというか死んでいるような。
手で触れられるのに無臭。
その妙な矛盾感がなんなのか。これはまた考えることとして置いておこうと思います。


ということで、根津美術館ではやっぱり最後にお庭をひとめぐりして一息。


雨上がりが良い。


いろんなお方がいます。こんにちは。


秋はどんな感じかな。

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