2012年8月22日水曜日

感想 「具体ーニッポンの前衛 18年の軌跡」いってきました


具体 GUTAI グタイ。。。
「具体」って何だろう?

国立新美術館で開催されている、「「具体」ーニッポンの前衛 18年の軌跡」という展覧会に行ってきました。

*戦後の日本美術シーンには、「具体」と呼ばれる前衛的な美術集団が存在しました。

という数文字くらいのことしか知らなかった「具体」。
パフォーマンスやインスタレーションなど形式に捉われない活動も行われた、ということで、何だかわけのわからないだけだったらいやだなあと思いながらも、この機会に知ってみようと、おそるおそる行ってきました。

結果、とても面白かったです。
まず、回顧展なので一通りの流れをパックで見られたことが、GUTAI初心者としてはとにかく良かったです。小さい展覧会で数点見ただけだと、うーん何だこれ、と理解を深めるのも難しそうなところ、今回は39人の作家の150点くらいの作品が揃っていることでGUTAIワールドにどっぷりと入ることができました。


この展覧会はどれくらいの人が訪れるんだろう?
国立新美術館はきちんと宣伝できているんだろうか。でも宣伝だけでどれだけハードルが下がるのか分からない。戦後の勢いで何か変なことしてた人たち、くらいのイメージしか無かったり、力強く押し出された「具体」の響きもちょっと怖いし。。すごく知っている人以外は、ちょっと足が重いような展覧会な気がします。

そんないらぬ心配をくどくど思うほど、面白かったです展覧会自体が。
もしかすると「2012年、行こうか迷っていたが行ってよかった展覧会No.1」かもしれない。GUTAIという存在を知れたインパクトと、GUTAIメンバーの作品が集まっていることで分かるそれぞれの作家の面白さ。

平日なので人はまばらでしたが、同時代に生まれた表現スタイルということで言えば、この間のジャクソン・ポロック展と同じくらいには盛況となるべき展覧会なんじゃないかと思いました。


村上三郎氏の「紙破り」という代表的なパフォーマンスを、今回の展覧会オープニングに際してご子息の知彦氏が行った映像。
この破られた部分が展覧会場の入り口となっていました。

図録などを読んでいると、パフォーマンス自体が作品なのではなく、この行為によって破られた紙があくまで作品のよう。制作過程のセンセーショナルな部分が特に語られやすいので、行き過ぎた評価がなされてきたり、GUTAIの本質とのズレを生じさせているというようなことが書かれていました。それはGUTAIの事を知っていくほど、確かにと分かることでもあります。
でも語りたくなる要素がいっぱいの衝撃を受けるのは間違いない・・。また右の写真が良い感じなので余計にかも。写真を撮った人も凄い。

人のまねをするな、誰もやっていないことをやれ

というのがGUTAIを貫いた一つの指針。
これは、「具体」を結成させた吉原治良(Yoshihara Jiro)の言葉。


この人の存在自体がGUTAIそのものでもあったようなカリスマ的リーダー。メンバーは吉原に作品を見せては「ええ」「あかん」とだけ言われたそうで、絶対的な影響力を持つ存在。そんなバランスで成り立っていたのがGUTAIの面白く不思議なところ。

 白髪一雄「天雄星豹子頭」1959年
ロープにぶら下がって足で描いたりする白髪一雄さんの絵。サイズも大きくて絵の具の迫力があるので、周りの空気が変わってしまうほど。

 田中敦子「絵画」1960年
5月頃まで現代美術館で大規模な回顧展があった田中敦子さんの絵。なぜかサインの部分がすごく丁寧でふしぎ。

 白髪富士子「作品No.1」1960年
白髪さんの奥さんの富士子さん。ガラスとか紙とか布が一緒に塗込められている。ちょっとくぐもった色合いが良くて女性っぽさを感じる。

立体の作品もさまざまありましたが、絵の形式だと抽象画は特に伝わりやすいし、海外へも輸出しやすく売買にも都合が良いため、これらの絵が描かれた頃は、ちょうどGUTAIが絵画の形式へと集約されていく段階にもあたっています。
そして当時、ヨーロッパやアメリカで巻き起こっていたアンフォルメルや、抽象表現主義の流れに取り込まれ、海外での展覧会への出品や個展、グループ展も盛んになった頃です。

そうして現在までの間も、GUTAIは海外で評価があり、そして日本での活動場所だった関西の方では比較的知られた存在だったそうなのですが、東京ではほとんど実像が知られていないままだということで、今回の展覧会はそこを埋めるための場でもあるそうです。

展覧会をとおしてGUTAIの軌跡を見て行くと、絵以外の形式の作品もおもしろかったので、絵に収斂されていってしまったというのは少し残念なことでもありました。

 元永定正「ざるから」1954年

 白髪一雄「超現代三番叟」1957年
舞台を使って作品を発表したりということも試みていて、この赤い衣装はその舞台で使用したものなんだそうですが、おもしろ恐くてしばらく目が離せませんでした。

展覧会場には当時の舞台映像があったり、電飾で作られたドレスがあったり、箱に耳を近づけて音を聞くとか、ボタンを押すと繋がれたベルが順番に鳴っていくとか・・・
それぞれの人が色んな事をやっていたんだなあと。どこまでなら作品になり得るか、人の真似でない表現なのか、実験をしているようでもありました。

「誰もやってないことを」
という言葉の下で、生まれてきた前衛的な表現を見ていると、美術という既存の枠組みを壊したり問いただしたりしていたのか?、とかさらに深い理念を探ってしまいそうになったのですが、なんだかそういうことでもないようでした。それも妙にGUTAIの面白かったところで、これはポロックを見たときに思った感じと似ていました。

では何をもって「誰もやってないこと」と言っているのか。
吉原さんは、視覚・感覚・形式だけで成り立つ純粋な表現にこだわっていました。作品の世界だけで簡潔する抽象にこだわっていました。あくまで色・物質・形だけでの抽象的表現を作り、その中で「誰もやっていないこと」をストイックに求めていたという事です。

吉原さんの残した言葉には、真に受けて理論として考えてみようとするとあれ?となるようなものが多いです。最終的には「ええ」「あかん」があって、GUTAIというものを一貫して語れる理論は存在しないんだと思いました。

たぶん今回の展覧会を素直に面白いと思ったのも、全体を通してコンセプチュアルな作品が無く、知覚のインパクトだけに一点集中していたのが、変に物思いにふける感じにならず楽しめたのかもしれないです。

具体は1972年、吉原さんが亡くなったことによって解散を決定し終焉。
そして気になるのは、メンバーそれぞれが思っていたことや、それぞれの進んで行った道。時代が近いだけに沢山本も出てたりするので、ちょっと読んでみたいと思います。あと大阪万博で行われた「具体美術まつり」の映像がかなりキテレツでよかったので、あれをもう一度見たいなあ。DVD化されないかなあ。

個人的に好きになった元永定正さんの作品。

左はは会場を出たところに吊るされていた色水の入った袋。
右のモニョっとした形の絵が特徴的な元永さん、、アッと思ったら


『もこもこもこ』谷川俊太郎

この絵本で見覚えがあったのでした。

この展覧会でいちばんぐっときた元永さん石の作品は、そのためにも図録を購入したのに、大々的に写ってなかったのがちょっと残念でもありました。


この石は必ず真似して作ってみよう。


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