「東洋の白いやきもの」展を見に出光美術館へいってきました。
「白い」といっても色々な白がある奥深いやきものの世界。中国で誕生した白磁(はくじ)が、産地、時代によってどのように移り変わっていったか、その変遷を見られる展覧会でした。
詳しいことはよくわからなかったので、学んだことをおさらいのためノートします。展覧会の構成が時代順になっていたので、そのまま構成タイトルをもとにしつつ、出品作品以外のものも見てみたいと思います。
序 白いやきものの出自
はじめに登場した白いやきものは、商(殷)時代後期ということなので、紀元前13~11世紀くらいとかでしょうか。殷の時代といえば、あの複雑な文様が刻まれた青銅器が盛んにつくられていた頃です。作られた当時の状態がどんなふうだったかわからないですが、出光美術館では真っ白とは言い難い壺の断片が見られました。この頃のものは1100℃くらいで白色の粘土を焼き固めたもので、「白陶(はくとう)」とよばれ、釉薬は使っていないので土器になるそうです。この写真のものはけっこう白くみえますね。
歴史文物陳列館(台湾)というところの所蔵品
1 白いやきものの始まり―陶器質の“白磁”
白いやきものが次に進化するのは6世紀~唐の時代にかけて。白、もしくは白くない粘土に白土を塗り、透明な釉薬をかけて白い器が作られ始めるということですが、原料には陶石が含まれていないので、正しくは磁器ではない。けれど、この頃のものから広い意味で“白磁”と呼ばれているそうです。質についてまだまだ発展途上のこの頃のものは、確かにもたっとした粘土感がありました。お墓に副葬していた人形の俑(よう)なども同じ陶器質の白磁だそうです。
今回出品されていた出光美術館所蔵の白磁壺 唐時代
大阪市東洋陶磁美術館所蔵の「加彩 婦女俑」 8世紀
2 本格白磁の発展―磁器質の白磁
唐時代中頃になると、ついに陶石を用いて1300℃前後で焼成する白磁が河北省の邢窯(けいよう)と呼ばれる窯で誕生。ガラッと雰囲気が変わります。青磁で超有名だった越州窯と並び称されるほど、この邢窯の白磁は評価されていたということです。
唐から宗の時代に入ると、邢窯にかわって定窯(ていよう)が白磁の中心生産地になり、花などの文様も施されたりと、ますますレベルアップしていきます。
出光美術館所蔵 邢窯産 唐時代
東京国立博物館所蔵 定窯産 北宋時代 アイボリーっぽい白さです
3 白磁と青白磁―景徳鎮白磁の世界
宗から元の時代に入ると、ちょっと耳にしたことのある景徳鎮(けいとくちん)という所が登場。青花の染付け磁器でも有名な景徳鎮窯は、白磁の原料となる陶石とカオリン土の大鉱脈に恵まれ、水運の便も良かったことから、白磁の大産地になったそうです。
景徳鎮では、酸素を奪って焼く還元焼成の方法で焼かれたため、釉薬に含まれている鉄分が残り、それによって青みがかった白磁が生まれました。さらに文様を彫られた部分は、そこに釉薬が溜まり青がより濃くなるのでそれを利用した表現も生まれます。なので青白磁は影青(いんちん)とも呼ばれたり。
化学反応ってすごい。焼くってミラクルです。最初にこの色が出来たとき人はどんな気持ちだっただろう、と想像してしまいます。「青白磁が登場!」は、今なら「iphone5がでたー」とかのインパクトでしょうか。次々と発展していく技術を見るのは、いつの時代も楽しいんだなと思います。
出光美術館所蔵 「青白磁刻花牡丹唐草文吐魯瓶(北宋時代)」ポストカード
4 皇帝の白磁―白磁が御用器になった理由宗の時代までは、青磁が最も権威のあるものとされていたそうですが、時代が元に変わると、モンゴル族が白を好んだことから、宮廷祭器が景徳鎮製品の白磁に変わります。
元から明の時代になると、青味の残らない甜白(てんぱく)という白磁も開発され、さらに透明度の増したホワイトに。これについては良い例が見当たらなかったですが、宮廷御用器にまでのぼりつめた白磁は、ちょっと神経質というか、うすら繊細な感じが漂っていました。
5-1 白土がけの庶民の“白磁”―磁州窯系の白釉陶器
宮廷や権力者用の製品を作っていた官窯があれば、庶民向けの民窯があり、磁州窯(じしゅうよう)というところなどで作られた安価で大量に焼かれた白い器が庶民向けに出回ったそうです。
民衆の器と言えば柳宗悦を思い出しますが、「民窯」という言葉も民藝運動のときに用いて以来使われている言葉だそうです。雑!みたいなものもあれば、大量生産ならではの、数をこなしてる感が分かるものもあり、いわゆる「民藝」な感じでした。掻き落としという装飾手法があったり、鉄絵という技法があったり、いろいろな工夫が見られますが、中でも磁州窯の黒はなんだかかっこいい。
東京国立博物館所蔵 「白釉七宝文瓶」磁州窯 11~12世紀
五島美術館所蔵 「白釉黒花牡丹文梅瓶」磁州窯 12世紀
5-2 明末の漳州窯・徳化窯白磁―輸出で飛躍した白磁
3点だけしか見られなかったですが、漳州窯(しょうしゅうよう)と徳化窯(とっかよう)というところの白磁がありました。下の真っ白な観音さまは徳化窯のもの。指先から飾りの玉一粒まで繊細で、この徳化窯で作られた製品は輸出されたヨーロッパでも高く評価されたそうです。
出光美術館所蔵 「白磁観音像」徳化窯 明時代末期
6 朝鮮王朝の白磁
やっと朝鮮に辿り着きました。中国でも日本にもない、何とも言えない安心感のある朝鮮の白磁、いわゆる李朝白磁が一番の好みのタイプです。高麗時代には精巧な青磁が主流だったなか、李朝になると白は聖なる色とされ、官窯も設けられ白磁の祭器も作られていたそうです。中国の影響があるというのに、土地によって雰囲気が全然ちがうことが不思議です。なんだかお腹みたいな感じで安心します。完璧さを感じさせない、どこか非対称なところに魅力を感じるのは、やっぱり日本人の感覚だからなのでしょうか。。そんな李朝白磁もやっぱり時代などによって少しずつおもむきが違ったりします。
高麗美術館所蔵 白磁壺 17世紀後半
7 日本の白いやきもの
最後は日本の白いやきものたちが少し並んでいました。ここでは、徳川美術館の「白天目」が期間限定で特別出品されていました。さらに、繊細で手にもったら薄くて割れてしまいそうな可憐な形の花杯というものがあったのですが、とってもかわいくて気になりました。日本は日本で、またより深くやきものの世界を学ばねばと思います。
徳川美術館所蔵 「白天目」 美濃窯 室町時代
花杯はまさしくここのサイトのものと似ているのですが古九谷白磁だったんでしょうか。
単純にいいな、すてき、以上のことを分かろうとすると、製法なんかを知らないとどうしても入っていけない焼き物ワールド。そこのところが一番難しいのですが、「白いやきもの」についてそのさわりだけでも今回知れてよかったです。ただあまりに簡単にまとめ過ぎたので、これからまた陶磁器を見る機会があったときに、少しずつ知識を付け足しながら深めていこうと思います。
そして併設で展示されていたセンガイ和尚さんの画を見て、ふっと気が抜けて帰路につきました。
気に入らぬ 風も阿ろうに 柳哉 ・・・堪忍
堪え忍ぶ心を忘れそうなときは、この言葉を思い出そうと思います。
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