2012年9月30日日曜日

感想 「江戸の判じ絵」いってきました


たばこと塩の博物館で開催中の「江戸の判じ絵 これを判じてごろうじろ」を見に行ってきました。

江戸時代に流行したという「判じ絵」。絵で考える「なぞなぞ」みたいなものでした。
象と金太郎の絵で「雑巾」、真っ黒の目で「目黒」とか、謎掛けのようになっている絵から答えを導くという言葉遊び。

 

絵からはおもしろそうな雰囲気が漂っているので、いっちょ判じてみよう!という気になるのですが、結構これが難しい。。なかなか正解が分かりません。判じ物に扱われているのは、地名や名所、鳥とか魚とか生活道具まであらゆるものがテーマになっているのですが、今では使われてない言葉も多いのでそこも難しいポイント。
ただ答えと照らし合わせながら見ていくと、結構無理やりな言葉もあったりして面白かったです。展示室で見るには絵が小さいので目と姿勢がかなり疲れます。さらに興味を持ったなら本などでゆっくりみながら楽しむのがいいと思いました。

判じ物はだじゃれや謎掛けなどのような言葉遊びの中に括られますが、そのルーツは平安時代の和歌まで辿れるそうです。とはいえ言葉がある限り、だじゃれのように言葉を掛けて楽しむのはどの時代どの場所でもありそうです。

判じ絵には、例えば「井戸の絵」が出てきたら「い」と読む、というように一つの絵に一つの音を対応させて読む場合もあります。といっても50音全てに当てはまる絵は無いそうですが、自分の名前の音には全部絵があったので、名前判じ絵をつくってみました。

 「歯」
 天狗は魔物なので「魔」
 「田」に濁点
 
 

絵を見ているとちょっと自分でも組み合わせてみたい気になります。

50音のなかでも、やっぱり一番インパクトがあるのは「へ」だと思います。


勢いがすごいです。やってやろうという突き出し感がいいですね。
ふんどし姿もかわいらしいです。


そして今回の展示の中でいちばん気になったのが、「絵文字経」もしくは「絵心経」と呼ばれるもの。文字が読めない人でもお経が読めるように、お経の音がすべて絵で表されているのですが、絵が簡略化されていて記号的になっています。それがまたすっきり洗練されたバランスになっていて何とも美しいです。


「絵文字経」は17世紀後半くらいから、岩手県・青森県の太平洋側の南部地方と呼ばれていた場所で作られ始めたそうで、そこのものは「南部絵経」と呼ばれています。真面目なものだから丁寧に作られたんだと思うのですが、一つ一つの絵がなんだかかわいいですね。
「盛岡てがみ館」というところでこの南部絵経についての冊子を発刊しているようなので、ちょっと読んでみたいのですが、盛岡まで行かないと手に入らないでしょうか。。

盛岡市文化振興事業団 盛岡てがみ館の刊行物

それからお遍路さん用に作られた絵心経の手ぬぐいなんかも販売されているらしく、どこかで見つけたら買ってみたいです。こちらも絵が結構かわいいです。
Amazonではなんと250円から買えるんですが。

和風手ぬぐい 絵心経のプリントタイプ【お遍路用品/巡礼用品】

この手ぬぐいの般若心経バージョン「まかはんにゃはらみった」の部分を真似てみました。


写経のように一度ぜんぶ絵写経してみたいです。

たばこと塩の博物館では、今回の展示に際して関連講演会があったのでぜひ聴いてみたかったのですが、なんと当日行ってみると満席でした。とても残念だったので、講演会でもお話が予定されていた岩崎均史さんという同館の主任学芸員さんによる本を読んでみました。


たばこと塩の博物館では、じつは1999年に同じテーマで展示を行っていたそうです。それによって判じ絵の認知も高まり反響を呼んだこともあって、その時の図録を元にしてこの本が2004年に出版されたということ。たくさんの判じ絵が全てカラーで掲載されています。これさえあれば展示会場でなくともゆっくり眺めながら楽しめる、かなり充実の一冊でした。

『江戸のなぞ絵〈1〉』岩崎均史 2009

こちらは3巻まで出版されている子ども用の本でした。35ページくらいのうすいものです。なぞなぞ絵本として子どもと一緒に楽しむ感じです。


「ことば遊び」について日本の文学史の中から具体的な作品に焦点を当て、その発生と展開を見るといった内容の本でした。和歌、狂言、落語などにでてくる「しゃれ」や、「なぞなぞ」の登場する文学作品などがわかります。
「判じ物の文学史」の章では、その起源を求めて『紫式部集』まで遡り、順に作品を追いながいろいろ形で登場する「判じ物」がまとめられていました。文学作品の拠出を中心に構成されているので、すこし小難しい感じになっています。


たばこと塩の博物館での講演会は、この小野恭靖さんによる「ことば遊びの系譜」という題目での講演会も10月にあるそうです。
意気込んで当日行ったときの「満席です」ほど辛い言葉は無いので、個人的にはぜひ予約制を今後検討してもらいたいところです。

2012年9月25日火曜日

感想 「東洋の白いやきもの」いってきました


「東洋の白いやきもの」展を見に出光美術館へいってきました。
「白い」といっても色々な白がある奥深いやきものの世界。中国で誕生した白磁(はくじ)が、産地、時代によってどのように移り変わっていったか、その変遷を見られる展覧会でした。

詳しいことはよくわからなかったので、学んだことをおさらいのためノートします。展覧会の構成が時代順になっていたので、そのまま構成タイトルをもとにしつつ、出品作品以外のものも見てみたいと思います。


序 白いやきものの出自

はじめに登場した白いやきものは、商(殷)時代後期ということなので、紀元前13~11世紀くらいとかでしょうか。殷の時代といえば、あの複雑な文様が刻まれた青銅器が盛んにつくられていた頃です。作られた当時の状態がどんなふうだったかわからないですが、出光美術館では真っ白とは言い難い壺の断片が見られました。この頃のものは1100℃くらいで白色の粘土を焼き固めたもので、「白陶(はくとう)」とよばれ、釉薬は使っていないので土器になるそうです。この写真のものはけっこう白くみえますね。

歴史文物陳列館(台湾)というところの所蔵品


1 白いやきものの始まり―陶器質の“白磁”

白いやきものが次に進化するのは6世紀~唐の時代にかけて。白、もしくは白くない粘土に白土を塗り、透明な釉薬をかけて白い器が作られ始めるということですが、原料には陶石が含まれていないので、正しくは磁器ではない。けれど、この頃のものから広い意味で“白磁”と呼ばれているそうです。質についてまだまだ発展途上のこの頃のものは、確かにもたっとした粘土感がありました。お墓に副葬していた人形の俑(よう)なども同じ陶器質の白磁だそうです。

今回出品されていた出光美術館所蔵の白磁壺 唐時代

大阪市東洋陶磁美術館所蔵の「加彩 婦女俑」 8世紀


2 本格白磁の発展―磁器質の白磁

唐時代中頃になると、ついに陶石を用いて1300℃前後で焼成する白磁が河北省の邢窯(けいよう)と呼ばれる窯で誕生。ガラッと雰囲気が変わります。青磁で超有名だった越州窯と並び称されるほど、この邢窯の白磁は評価されていたということです。
唐から宗の時代に入ると、邢窯にかわって定窯(ていよう)が白磁の中心生産地になり、花などの文様も施されたりと、ますますレベルアップしていきます。

出光美術館所蔵 邢窯産 唐時代

東京国立博物館所蔵 定窯産 北宋時代 アイボリーっぽい白さです


3 白磁と青白磁―景徳鎮白磁の世界

宗から元の時代に入ると、ちょっと耳にしたことのある景徳鎮(けいとくちん)という所が登場。青花の染付け磁器でも有名な景徳鎮窯は、白磁の原料となる陶石とカオリン土の大鉱脈に恵まれ、水運の便も良かったことから、白磁の大産地になったそうです。
景徳鎮では、酸素を奪って焼く還元焼成の方法で焼かれたため、釉薬に含まれている鉄分が残り、それによって青みがかった白磁が生まれました。さらに文様を彫られた部分は、そこに釉薬が溜まり青がより濃くなるのでそれを利用した表現も生まれます。なので青白磁は影青(いんちん)とも呼ばれたり。
化学反応ってすごい。焼くってミラクルです。最初にこの色が出来たとき人はどんな気持ちだっただろう、と想像してしまいます。「青白磁が登場!」は、今なら「iphone5がでたー」とかのインパクトでしょうか。次々と発展していく技術を見るのは、いつの時代も楽しいんだなと思います。

出光美術館所蔵 「青白磁刻花牡丹唐草文吐魯瓶(北宋時代)」ポストカード


4 皇帝の白磁―白磁が御用器になった理由

宗の時代までは、青磁が最も権威のあるものとされていたそうですが、時代が元に変わると、モンゴル族が白を好んだことから、宮廷祭器が景徳鎮製品の白磁に変わります。
元から明の時代になると、青味の残らない甜白(てんぱく)という白磁も開発され、さらに透明度の増したホワイトに。これについては良い例が見当たらなかったですが、宮廷御用器にまでのぼりつめた白磁は、ちょっと神経質というか、うすら繊細な感じが漂っていました。


5-1 白土がけの庶民の“白磁”―磁州窯系の白釉陶器

宮廷や権力者用の製品を作っていた官窯があれば、庶民向けの民窯があり、磁州窯(じしゅうよう)というところなどで作られた安価で大量に焼かれた白い器が庶民向けに出回ったそうです。
民衆の器と言えば柳宗悦を思い出しますが、「民窯」という言葉も民藝運動のときに用いて以来使われている言葉だそうです。雑!みたいなものもあれば、大量生産ならではの、数をこなしてる感が分かるものもあり、いわゆる「民藝」な感じでした。掻き落としという装飾手法があったり、鉄絵という技法があったり、いろいろな工夫が見られますが、中でも磁州窯の黒はなんだかかっこいい。

東京国立博物館所蔵 「白釉七宝文瓶」磁州窯 11~12世紀

五島美術館所蔵 「白釉黒花牡丹文梅瓶」磁州窯 12世紀


5-2 明末の漳州窯・徳化窯白磁―輸出で飛躍した白磁

3点だけしか見られなかったですが、漳州窯(しょうしゅうよう)と徳化窯(とっかよう)というところの白磁がありました。下の真っ白な観音さまは徳化窯のもの。指先から飾りの玉一粒まで繊細で、この徳化窯で作られた製品は輸出されたヨーロッパでも高く評価されたそうです。

出光美術館所蔵 「白磁観音像」徳化窯 明時代末期


6 朝鮮王朝の白磁

やっと朝鮮に辿り着きました。中国でも日本にもない、何とも言えない安心感のある朝鮮の白磁、いわゆる李朝白磁が一番の好みのタイプです。高麗時代には精巧な青磁が主流だったなか、李朝になると白は聖なる色とされ、官窯も設けられ白磁の祭器も作られていたそうです。中国の影響があるというのに、土地によって雰囲気が全然ちがうことが不思議です。なんだかお腹みたいな感じで安心します。完璧さを感じさせない、どこか非対称なところに魅力を感じるのは、やっぱり日本人の感覚だからなのでしょうか。。そんな李朝白磁もやっぱり時代などによって少しずつおもむきが違ったりします。

高麗美術館所蔵 白磁壺 17世紀後半


7 日本の白いやきもの

最後は日本の白いやきものたちが少し並んでいました。ここでは、徳川美術館の「白天目」が期間限定で特別出品されていました。さらに、繊細で手にもったら薄くて割れてしまいそうな可憐な形の花杯というものがあったのですが、とってもかわいくて気になりました。日本は日本で、またより深くやきものの世界を学ばねばと思います。

徳川美術館所蔵 「白天目」 美濃窯 室町時代 

花杯はまさしくここのサイトのものと似ているのですが古九谷白磁だったんでしょうか。


単純にいいな、すてき、以上のことを分かろうとすると、製法なんかを知らないとどうしても入っていけない焼き物ワールド。そこのところが一番難しいのですが、「白いやきもの」についてそのさわりだけでも今回知れてよかったです。ただあまりに簡単にまとめ過ぎたので、これからまた陶磁器を見る機会があったときに、少しずつ知識を付け足しながら深めていこうと思います。


そして併設で展示されていたセンガイ和尚さんの画を見て、ふっと気が抜けて帰路につきました。

気に入らぬ 風も阿ろうに 柳哉  ・・・堪忍

堪え忍ぶ心を忘れそうなときは、この言葉を思い出そうと思います。



2012年9月17日月曜日

長谷川潾二郎


この猫があまりに気持ち良さそうで、このままそっとしておきたくなったので、新聞を切り抜いて置いておいた。
数日後、なんとなくこの猫のことが気になってきた。そういえば、新聞の解説もぜんぜん読んでない。新聞をもういちどひっぱり出して、ちゃんと読んでみた。

絵を描いたのは、長谷川潾二郎(はせがわ りんじろう)という、もうすでに亡くなっている人でした。そしてこの絵は完成までに何年もかかったという。それは猫がこのポーズをとるのが年に数回しかなく、長谷川さんはその時だけしか描かず、絵の仕上がりを待たず猫は亡くなってしまい、この絵を譲ってほしいと画商が現れるが、まだヒゲを描いてないからと断り、さらに月日は流れ、「できました」と画商に連絡があり絵を見てみると、ヒゲは片方しか足されていなかったという。
わたしたちとは違う時間を使って絵とずっと対峙してきたような、画家の気の長さが窺い知れるようなエピソードが書かれてありました。

眺めれば眺めるほど、猫から目がはなせない。周りの空気ととけあうようにまどろんでいる猫の存在感は、こちらの気持ちを動かすような優しさがある。猫と時間と長谷川さんの世界。たんなる筆の足し算だけじゃない、たんにリアルなだけじゃない、言葉ではあらわせない感覚までを描いたこの長谷川潾二郎さんとは ?


『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』

教えてAmazonさ〜ん!
到着したこの画集は、2010年に開催された「長谷川潾二郎展」の公式図録兼書籍として刊行されたものでした。

絵が沢山収められているのはもちろんですが、本人によるエッセイのような文章が入っていて、それを読みおわる頃にはもう長谷川さんの大ファンになってしまったのでした。

「写生を見る人々」では、道端で絵を描いている長谷川さんのそばを通り過ぎて行った人たちの話が、すこし空想も交えながら綴られているのですが、その語り口になんとも静かなユーモアがあって引き込まれます。ある時は側で写真撮影がはじまり、そのままモデルと勘違いされて色々指示をされることになった長谷川さん。彼らに協力しよう、と絵を描く画家を演じた話とか。

絵になった猫の「タローの思い出」という話。読み物としてもすてきな物語で、ちょっと涙も出てしまいそうなタローのこと、絵が生まれるまでのこと。ふと思いついて書いたというタローの履歴書がおもしろく、最後には念入りに前足で押された拇印がかわいらしい。


○近況と自己PR
二十才の時描きはじめた画が未だ仕上らず、今も描いたり消したりしている有様。当年七十四才。
○好きな言葉
何事も判断してはいけない・・・ 
○好きな食物
よく煮たもの

これはどういう経緯で書かれたのかわからないですが、「この人Q&A」と題されたものから。その絵からも言葉からも、同じように伝わってくる長谷川さんな感じ。

長谷川さんの絵を眺めていると、見ているものと自分の間に不思議な世界ができあがる気がします。身の回りのものを描いた静物画も、当たり前のものがどこか当たり前でないような、現実とファンタジーのすきまのようです。
そんなふうに物が在るのは「長谷川さんの目」の独特さによるものですが、長谷川さんのように物をみつめてみたいと思うようになります。



たまたま読んでいた安野光雅さんの本で、アンリ・ルソーを代表とするナイーブ派(素朴派)と呼ばれる人たちには、ふしぎな共通点があるように思う、とまとめられていたものが長谷川さんにもちょうど当てはまる気がしたので、その内容を要約しておきます。

1.「誠実さ」を感じること
専門家の作品にありがちな、達者という感じがなく好感が持てます。わざと下手に描く演技をしているわけではありません。 
2.人と競争しない、比べない
闘うとしたら、相手は自分です。 
3.プロの真似をしない
自由です。これは良くも悪くも自分を大切にするということです。 
4.世間の束縛がない
プロは一人で描いているだけ、という具合にはいかないので何らかの束縛の下にいます。 
5.格別、栄誉を求めない
描いていればそれだけで満足ということです。これは、絵で身を立てようと思う人には難しいことです。 
6.自分の絵を客観的に見る力
自分で伸びていこうと思うなら、やはり試練だと思って、客観的な見方について考えなければなりません。


『絵のある人生』安野光雅 (2003)

「ナイーブ派」と呼ばれる人は、生まれも人種も違うのにふしぎな共通点がある、と安野さんは言っていますが、税関の仕事をしながら独学で絵を描き続けたルソーと、画壇との関わりを持たずこちらも独学で油彩画を学んだ長谷川さんは、まさにその共通点をもっているとおもいます。長谷川さんも初期の頃こそ、他派の表現やそのルソーの影響が見られる絵があると指摘されていますが、ゆるやかに離れて独自の道へ進んで行きます。

素朴派の人たちの道は、それはそれで大変試練のある道のようにも思います。比べない、真似をしない、自由である、それは自分に沢山のことを問い、何か大切な視点を見つけ、自分にとっての豊かな世界を築いていくことだとおもいました。安野さんが見つけた共通点は、ふだん自分が生きていくことにも取り込んでみたいエッセンスが含まれていました。

現実は精巧に出来た造られた夢である。

長谷川さんが残した詩的な文章のなかで、このことばが心に残りました。


2012年9月6日木曜日

感想 「おもしろびじゅつワンダーランド展」いってきました


夏休み企画としてサントリー美術館で開催していた「おもしろ美術ワンダーランド展」は、とってもおもしろでした。

今ではうやうやしくケースに収められた美術品。
本来生活の中にあったはずの美の身近さを、もう一度感じ直そうということで、展示方法などの工夫盛りだくさんで、日本美術の魅力を体感するというすてきな企画でした。

どれもこれも面白すぎて、「来て、見て、感じて、驚いちゃって!」の謳い文句通り、わー!きゃーと楽しく時間が過ぎました。

屏風に描かれた武蔵野のススキ林をさらにススキ林越しに眺める。

和ガラスの藍色ドームでは、移り変わる光に照らし出される美しい薩摩切子。

歌川広重の「即興かげぼうし尽」に描かれている影絵遊び。
それをそのまま体験できるコーナーがあり。

とかとか、などなど他にも色んな美術品が、ほんとうに考え抜かれた手法で「見る」「感じる」楽しさを演出してくれていました。「体感型にしようぜ!」と試みありきの展示はさまざまあると思いますが、実際のところ日本美術の面白さやすばらしが分かっているからこそ、今回の展覧会が面白かったのであって、そこを押さえていなければどんな形であれつまらないものになってしまうんだろうなと思いました。

そして一番楽しかったのがこの「京都街中タッチパネル」。


京都の街を描いた「洛中洛外図屏風」をデジタル化し、タッチパネルで細部まで拡大して見れるというもの。そばに展示されている本物の屏風そっちのけで、タッチパネルに夢中。これは土佐光高という人が描いたとされていますが、拡大して見て分かったのは、なぜか疲れたような物憂げな人の多さ・・。なぜ?


髪の毛もしなだれて、どんな苦しいことがあるというのでしょうか。
数あるほかの洛中洛外図屏風の中にも、こんなに面白い人がいるんでしょうか。であれば全部を見比べておもしろNo.1を決めたい。

このままアプリにしてほしいほどです。
ウォーリーを探せの楽しさを思い出すような屏風パネルでした。

さらに良かった点は、すべて写真OKだったこと。関連イベントでは、鈴木芳雄さんによる美術ブログの書き方講座もあったようで、今回の展覧会に関するブログも写真が沢山アップされていることだと思います。

そして待ちに待った次回のサントリー美術館の展覧会は「お伽草子」展。


鼠草子絵巻をはじめ、どんなお伽草子の世界が見られるか楽しみであります。!